遊就館の入場料は一人800円。25人以上の団体だと650円です。参集所を出ようとしたところ、職員の方に「集団参拝をされた方は玉串料500円にあと500円プラスして頂ければ遊就館も見られますよ。」と言われたので、そうする事にしました。神社なのに割引があるのが面白かったですね。
遊就館のロビーには零戦の実物がドーンと置いてあり、見るものを圧倒します。私はフィリピンで特攻隊の慰霊碑を訪れ、特攻隊とゆかりのあるフィリピンの方に話を聞く機会が良くありますので、実物の零戦を見て特攻隊員の姿が目に浮かんできました。隊員たちは、あの狭い操縦席で何を思っていたのでしょうか。
中に入ると、明治維新から大東亜戦争(靖国ではこう表記されていますので、それに習います。)に至るまでの戦争の歴史が展示されています。各戦いの詳細や、武具等。戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争とそれぞれの戦争の作戦の詳細や、局地の戦闘での英雄達の遺品も展示されています。
一般的にみたら戦争博物館・軍事博物館といったところでしょうか。特に、日露戦争には多くの展示スペースが割かれており、白人の植民地支配に立ち向かった戦争であり、この勝利によって多くの有色人種の国が勇気を得たとあります。一般の歴史教科書にはあまり載っていないことですね。日露戦争の事は中国・韓国の教科書には載っていないそうです。
フィリピンの高校生向け歴史教科書「アジアの歴史」には日露戦争についてきちんとかかれており、日本の事をGreat JapanでAsian readerと紹介しています。また、日露戦争の勝利によってアジアやアフリカの国々に独立の気運が高まったとも書いてあります。
その教科書では日本は~という単一的な見方ではなく、時代ごとに整理して書かれており、日露戦争と大東亜戦争はあくまで別のものだと捉えているのが印象的です。少なくとも大東亜戦争前には日本はアジアのリーダー足りえたとなっているのです。
余談ですが、私は1996年に半年間アフリカにいた事があります。そこでも多くの人から日露戦争の事や東郷平八朗の事を聞かされました。東郷平八郎の名前を知ったのはその時が初めてだったのでとても驚きましたし、ケニヤの大学の先生がこんな事を言っていたのを覚えています。
「日本は戦争で唯一白人国家に勝った、有色人種の国だ。アメリカには負けたけれども、有色人種でも白人に負けないんだと勇気を貰った。今は有色人種として唯一先進国に入っているのも日本だ。だから日本と日本人を尊敬する。」
当時、今ほど日本の歴史について興味が無かった私はなんと答えて良いか分からずに戸惑った事を良く覚えています。彼が言った事も歴史の一面だと今は思います。
さて、展示に話を戻します。大東亜戦争のコーナーに行くと、様々な亡くなった方に関するエピソードが遺品とともに展示されています。その中でも「奇跡の椰子の実」には戦争の善悪を超えて感動しました。
昭和19年にフィリピンで戦っていたある日本兵が、フィリピンから祖国の家族への想いを椰子の実に託し流しました。家族と自分の名前を書いて。その方はその後戦死されています。そしてなんと31年間ぶりに椰子の実が地元の浜辺にたどり着き、戦友の手を経て奥様の手元に届いたのです。実物が飾られており、うっすらながら文字を読み取る事もできました。
感動するとともにそんな強い家族愛も持った人たちが自分の意志とは関係なく戦地に行き、戦わなくてはならない。同じように家族がいるフィリピン人やアメリカ人と戦わなくてはならない。そんな状況を作り出す戦争の悲惨を感じました。連れてきた学生達もそれぞれの想いで展示に見入っていました。
展示も終わりに近づくと、靖国神社に神として祀られている方々の写真、約4000点が展示してある場所に近づいて行くのです。