月明かりの下の独り言

こちらに舞い戻って参りました。
こちらで、ちょっくら暑苦しく真面目な話題に、取り組んでいきたいと思います。

歴史の真実とは~日中共同歴史研究に思う~

2008-01-07 | 歴史とは
日本と中国が、共通の歴史認識を構築するために日中共同歴史研究を行っています。
外務省の意図としてはこういうことのようです。
今年の北京オリンピック前に、その成果をまとめるそうです。

え、そんなに早くていいの?

これが始まったのは、昨年の夏でした。
そういう研究会が始められたってことはニュースで聞いて、NHKでも、これに関連して討論番組が開かれていました。

その中で、毛里和子さんの言葉が印象に残っています。
うろ覚えですが・・・。

「簡単に共通の歴史認識ができるとは思わない。さっと共通の認識ができる方が、気持ちが悪い」

歴史的事実、とか、歴史の真実、という言葉をよく耳にします。
確かに、事実、というものはあるかもしれません。
たとえば、日本軍が南京に進軍した、ということ、そして民間人を殺害した、ということは歴史的な事実です。
しかし、その事実がなぜおこったのか、ということについてはいろいろな説があります。
また、何人が殺された、という数字の部分にも諸説あります。
それが、虐殺なのか、戦争時に避けられない被害だったのか。

多くの人が様々な証言をして、裏付けをしますが、どの証言を利用するか、誰の立場を重視するのか、ということで、その事実の様々な側面、それは言い換えると証言をした、もしくは史料が語る「真実」が見えてきます。

なぜ、日本軍は南京まで攻め入ることになったのか。
なぜ、日本軍は、中国にいたのか。

いろんな事実に、いろんな「真実」がある。
それを、一つにまとめると言うこと自体、無理があります。

歴史というのは、それ程までに複雑なことです。

歴史研究者のいうことは、分かりにくい。
もっと普通の人でも分かるような歴史を描くべきだ。

そんな声も耳にします。一人の研究者として耳が痛い話ではあります。
でも、実際の研究をしていて、自分の主張したい「事実」について、何も知らない人に分かりやすく説明するということは、非常に難しいものです。

同じ時代、同じ人達、同じ事実を研究している人の間でも、使う史料によって、見えてくる物は異なってきます。

研究者の数だけ、史料の数だけ、更に言ってしまえば、その時代に生きた人達の数だけ、「真実」は存在するんです。
そのたくさんの事実、真実を、一つ一つ丁寧に、研究者は拾ってきます。そして、それぞれが見た「事実」をぶつけ合います。
その作業を繰り返すことで、だんだんと「妥当」な事実、つまり教科書に載せることができるような「歴史的事実」がぼんやりと見えてくる。

私は、歴史研究とはそんなものだと思っています。

事実とは、思いでもある。
そんなものを、それ程単純なストーリーでは描くことはできません。

一世一代の華々しい行事であるオリンピック。
その前に、なにか成果を上げたい。
そんな思惑がひょっとしたらあるのかもしれない。

だけど、そんな時期を区切って成果を出せるものなんでしょうか・・・。
まあ、完全な一つの歴史認識っていうわけではなく、それぞれの見解に全部で16本の論文が付されて発表されるということらしいですが。

それで終わり、ではなく、その成果を見てから、また考えましょうね。

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