月明かりの下の独り言

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加害体験と被害体験:戦争がもたらすものとは

2008-01-29 | 平和について
被害の後ろに存在する加害の事実。

日本が植民地支配や侵略をした国や地域と、未来に向かって共に歩んでいくために、何をしていかなければ行けないのか。

私自身の立場としては、日本が「過去過ち犯した」こと、それを「謝罪した方が良い」という認識を持っている。

しかし、これに対する反論が、たくさん出てきてもおかしくないと私は思っている。

西洋列強が行ってきた植民地支配や侵略の歴史。それと比較して、何故日本だけが貧乏くじを引いて、謝らなければならないのか。

これは、いつまで経っても解決されない問題を引き起こしていると思う。

こういった考え方にも一理あるし、私自身、西洋列強が植民地支配をしていた地域の、まさにその支配について研究をしているため、どうしてもこういった思いには至ってしまう。

そんな中で、今日の朝日新聞朝刊に気になる記事を見付けた。

昨年から連載しているシリーズ「歴史は生きている」の第8章、朝鮮戦争とベトナム戦争(下)

韓国にとって、ベトナム戦争は、特需だった。
アメリカ合衆国は、ベトナム戦争に韓国が派兵することを、「一石三鳥+α」であると考えていた。
三鳥とは「韓国の経済発展、韓米関係強化、韓国軍の戦闘能力向上」である、と。

この構造は、どこかで見たことがあるもの。

そしてさらに気になったのは、この韓国の「経験」に対する韓国人自身の被害者としての認識。

米国は韓国軍が展開していた地域には、米軍が枯れ葉剤をまいていた。
そのために、後遺症に苦しむ人たちがいる。それをもって、被害者であるという認識があった。

しかし、ベトナムでは韓国軍による虐殺を経験した人たちもいる。

被害の裏側にひそむ、加害の事実。

日本人も、欧米に対する様々な感情があろうが、戦争がもたらすこのような加害と被害の表裏一体の構造を、もう一度よく考える必要があるんじゃないかと思う。

確かに、ベトナム戦争自体、そしてベトナム戦争時に韓国軍が被害を受けた枯れ葉剤の問題、そして日本への原爆投下、これらに通底する、西洋社会のアジアへの冷たい目線も気になるところではあるけれども。

ちなみに、このシリーズについては、バックナンバーをネットで閲覧可能です。
こちらからどうぞ。

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