月明かりの下の独り言

こちらに舞い戻って参りました。
こちらで、ちょっくら暑苦しく真面目な話題に、取り組んでいきたいと思います。

平和都市ヒロシマ、軍都廣島

2008-03-04 | 平和について
先日のピースウォークに参加した時に、一緒に歩いた女性2人ともに聞かれたことがあった。

「広島に来たら、もっとこういう活動が盛り上がっているのかと思った」

広島は、平和活動の聖地のようなイメージを持たれているのかもしれない。おそらく、長崎、沖縄と並んで、小中学校での平和教育がもの凄く熱心に行われている地域のひとつだろう。原爆記念日の8月6日は登校日だった。今はどうか知らないが、その日は8時15分になると市内電車も止まり、私も含め、多くの人が黙とうする、はず。

そんな広島で、先日のスタートイベントにしても、私自身ももう少し人数が集まるのかと思っていた。公式発表は300人とも400人とも言われているけれど、広島ならもっと多くの人が集まって、盛り上がるものだと、思われていたのかもしれない。私も、初めてこういったイベントに参加して、思ったよりも人が集まらないので、半ば納得、半ば驚いた、といった感じだった。

広島で生まれ育つと、たいてい身内には何人か被爆者がいて、私の場合もそうで、主人の祖父母は被爆者、両親は被爆2世ということになる。あの惨状を目にしたはずの祖父母からは、直にその体験を聞いたことはないし、敢えて聞くこともしない。小さな頃から、あの戦争が人々の生活、生き方にいかにひどい影響をもたらしたのか、原爆の被害というのはどんなものか、平和教育を通じて、TV番組を通じて、私たちは繰り返し繰り返し学んできた。

だけど、ウォーカーの人たちに聞かれて、改めて気付いたのは、その体験と、あの戦争の意味を考えることは、直結していない。

こんなことを考えたのは、最近藤原帰一さんの『戦争を記憶する』を読んだことも影響している。

戦争を記憶する―広島・ホロコーストと現在 (講談社現代新書)
藤原 帰一
講談社

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広島の平和記念資料館が訴えかける「戦争は絶対悪だ」というメッセージ。あんな悲惨な歴史を繰り返してはいけない。そんな価値観を、私は繰り返し教えられてきた。戦後、広島で生まれ育ってきた人たちは、少なくとも私と同じ世代の人間は、みな、そうだろう。

なのに、何故、今回のようなイベントに参加する人がそこまで少ないのか。

明確な答えは分からない。私の個人的な感覚としては、そこまで徹底的に教え込まれたはずの「平和観」「戦争観」。それにもかかわらず、繰り返される戦争。そのギャップに、やる気を失ってしまう。へこたれてしまう。そんな思いを持つ人も多いのではないかと思う。

それとはまったく別のことも考えた。もしかすると、広島という土地柄には、反戦、という考えが根付いているとは言えないのかもしれない。戦前戦中の廣島は、軍港宇品を擁し、日清戦争の時期に大本営がおかれ、県内のそこかしこに、軍の関連の施設があった。今もなお、多くの人に愛される戦艦大和は呉港でつくられ、大和ミュージアムは多くの観光客を集める。アメリカの戦略により、原爆投下までの廣島は空襲されることなく、軍の恩恵を受け、人々の生活はのんびりと、でもしっかりと戦争を支える方向で進んでいたのではないかというイメージがある。がっつりと、加害者、の廣島。そんなときに突然襲いかかってきた悲劇。その経験により、180度転換し、全面的に被害者である平和都市ヒロシマになってしまった。

そして、人々の感覚は、どうなんだろう。県民性とひとくくりにしてしまうのは危険だけど、広島といえば、保守が根強い。お上との結びつきをとても重要視する。東京で流行っていることは、すぐに取り入れようとする。

なにかを主体的に、率先して構築しようという姿勢は、非常に薄いんじゃないかと思う。真摯に平和活動を進めている人たちもいることは、否定できない。だけど、歴史的に広島という土地を考えてみた場合、平和活動の聖地、広島、とはまた別の姿が浮かんできそうだ。私自身、なぜもっと積極的に動けないのか、歩いてから今日まで、なんだか自分がよく分からない。

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