クウ伝記 2
今月で8歳になるクウです。
6年前までは、今よりももっと、田舎に住んでおりました。
クウが5カ月のころ。体もまだ小さい頃の事。
夏祭りのあった夜、クウがたまたまご近所の家の中に入ったらしい。
夏祭りがおわっって、私が家に帰ると、ご近所の旦那さんが、自分の家の台所にクウが入ってきて、手を怪我した。
などなど私が叱られたわけです。その旦那さんと息子さん二人に叱られたので、平に謝り謝り、私は自分の家に帰りました。
帰ると異常なくらい、クウが泣いていました。
どうやら足が骨折しているみたいだ。
しかもクウの毛がところどころ短い。
きっとはさみで毛を切られたのだろう。
・・・・・ハサミで毛を切られていたから、暴れて旦那さんの手をかっちゃいたんだね。
後日、私の友達が教えてくれた。
ご近所の旦那さんが、クウをアスファルトに叩きつけたのだそうだ。
異常なくらい猫が嫌いだったようだ。他の私の友人の猫も、誰かに悪戯されたようなことがあったそうだ。それも同じ人がやったと断定できないが、全否定もできないだろう。
クウの痛がるかわいそうな声が一晩中聞こえてくる。朝が待ち遠しい。
クウを心配しながらも、自分が大事にしている対象物を痛めつけられたことに憤った。そしてクウを思うと悲しくなった。そしてとってもくやしかった。クウと一緒に、声を殺して嗚咽した。嗚咽した。
翌日バスで町の動物病院にクウを連れて行った。お医者さんは足が骨折しているから、手術してボルトでつなごうということだった。
私「そうしたら走れるようになりますか」
医者は大丈夫だと保証してくれた。
手術するのはいいが、入院の日をすくなくしてもらい、私が自宅で薬をやりがなら面倒をみることで、費用を少なくしてもらい、なんとか支払いをすませられた。たしか5万か6万か。それくらいだった気がする。
クウが自宅に戻っても、傷口を舐めたがるから、手がかかったが、元気に回復してくれた。
あれから7年半。今町の方に引っ越しして、今もクウは外にお出かけする。雨の日も雪の日も暑さの夏もね。そう、台風のときだってお出かけする。でもあんまりにも寒い雪の時は、玄関を開けても、数秒迷った後、また長女の部屋に戻るっていうね。やはり寒いことは寒いと感じているらしい。しかもね。雪がとけているほうのアスファルトを選んで歩いているし。やはり肉きゅうも、寒いと感じているんだな。
なのに、なのにダ。それでも雪がこんもりつもっていても、やっぱりお出かけするんだわ。新雪の雪につっこんでいく勇者だ。
なんたる放浪癖。
それでもいい。ちゃんと餌を食べに、ちゃんと夜寝に来てさえくれれば。ちゃんと「にゃあ~」って私に甘い声で、話しかけてさえくれれば。
私がチャリで帰宅しようとしていると、クウがその辺からでてきて、私のチャリと並行して一緒に、意気揚々と、耳を少し後ろにしながら走るんだ。家族っていう連帯感を感じるとっても楽しい時。
そして夜中になっても帰宅しないとき、私が外で口笛を吹くと、どこからともなく、鳴き声がして、どんどん黒い影がちかずいてくる。意気揚々と走ってくるクウがいるんだな。
楽しそうに外で走っている姿をみるとね、私も幸せになるんだな。
8年前のあの悔しい思いを、自分のせいだからと、他人に勝つのを止めたのだ。この気が強い私が、我慢した。他人様に勝ってはいけないんだ。私は負けた。負けてあげた。
苦情を言われた翌日、封筒に数1千円入れて、例の御近所の旦那さんの家に行った。息子さんが対応してくれた。
これはお見舞いですといって謝りながら封筒を出したが、息子さんは
「猫をちゃんと管理してくれさえすればいいのだから」と言われた。私は、
「それでも猫だから補償はできないからね」といって封筒を差し出したが、それはいいからいいから、と受け取らず親切そうに対応してくれた。
昨年、いなかでお葬式があり、あの時の旦那さんも顔を見せてくれていた。なので私は良い顔をしてお茶出したりして人として接した。
あの時自己主張したいのを我慢した。そして最後まで自分がいい人になろうと思った。
苦しいけどそうした。そして6年前私は、田舎から引っ越して、町のほうでのんびりと暮している。
クウの犠牲のお陰で、引っ越しを決断できて今の幸せがありますから。結局はすべてのこと、すべての人に感謝感謝。
もうすぐ春だね。長女のためにそろそろ、ねずみやら雀をゲットして貢ぐんだろうな。大変迷惑きわまりないのですが、本当に私には恐怖の死骸処理作業ですが、それでもクウは、意気揚々喜び勇んで死骸口にくわえてくるんだな。叱れないわよね。愛を与えても与えても与えられっぱなし。猫 万歳。