いいニュースと悪いニュース、どっちから聞く?
と言われると、私は悪いニュースから聞きます。
好きな食べ物も最後に食べます。
なので、とほほな話から書きます。
(でも記事として上に来るのは後から書いたうふふ話の方になるのか…難しいな;)
【とほほなハネムーン】
ここのブログにも「イタリア行くの~v」とうきうきしていたハネムーンですが
イタリア4都市(ローマ→フィエンツェ→ベニス→ミラノ)を巡る8日間の旅
が
ローマ1日観光+ホテル静養の旅
となりました。
1日目はね、良かったんですよ…。
本当にいわゆるツアー観光を満喫!っていう感じで
目まぐるしくコロッセオやら真実の口やらヴァチカン美術館やらトレヴィの泉やらを回って
わっほい楽しーい♪と、私もダンナもハイテンションだったのです が、
夕飯を食べに移動するバスの中でダンナがいきなりエチケット袋を所望。
疲れてバス酔いしたのかな~とぐらいに思ってダンナをレストランのロビーのソファに寝かせ
私はツアーの方に交じってカンツォーネ聞きながら前菜のタコとか呑気に食べてたのですが
どうもダンナの具合は良くならないらしい。
うぬぅカンツォーネ残念…と思いながらもダンナと2人タクシーで宿に戻ることに。
宿に着いてから、戻したり下したりしながらも少し具合が良くなったっぽいので
風邪かなー?と二人で言いながら、日本から持ってきた市販の風邪薬と胃薬を飲ませ、
とりあえず寝ました。
夜中にふと目を覚ますと、ダンナが横でうずくまって
「ごめん…腹痛い…」とな。
夜中だから申し訳なく思いつつも、添乗員さんの部屋へ電話。
症状を言うと、「盲腸かもしれませんね」なんて言われてしまった。
でも私は、なんとなく自分のノロウィルスの時の症状を連想させられていて
1~2日は死ぬほどツライけどそんなに大病じゃないはず…と比較的落ち着いていた。
添乗員さん→ホテル→救急車を頼んでくれて、30分くらい?で、救急隊員のおっちゃんと兄ちゃんが到着。
んで、早く来た割に、やったら細かく症状を聞いて調書を書かれていたので、
結局救急車に乗れたのは着いてから15分後くらい(ちなみに添乗員さんが全部通訳してくれたので、私は横で見守ってればよかった)。
しかも、担架も何もなくて「ん?着いておいでよ?」みたいな感じだったので、
添乗員さんがわざわざ「このお兄さんに掴まったら!?」と言ってくれた。
しかも、救急車内でダンナはベッドに寝かされるのでなく、私と同じように横のイスに座らされる…。(ベッドにはおっちゃんが座っていた)
真夜中のローマの街を暴走して(でも鳴らしてはなかった)10分くらいで近くの救急病院に着いた救急車。
しかしここはイタリア、着いたからといってすぐに見てもらえるわけではない!
とりあえず寝台に乗せられ、診察室前の廊下に放置…。
その間も、トイレを往復するダンナ。
で、なんとか40分後くらいに血液検査のために採血され、点滴を打ってもらえる。
つまるところ、血液検査の結果が出ないとどうにもならないので、
否応なく結果が出る次の日の午前中まで病院で待つことが決定…。
この頃(午前3時くらいかしら)、添乗員さんが保険会社の通訳の方と交代。
添乗員さんは次の日も朝7時くらいからツアーの仕事があるのに
私らが語学が達者でない(すいません)のを心配してわざわざ交代要員が来るまでずっとついててくれたのです。
ありがとう!JTBでよかった!!
そして交代した保険会社の方も夜通しずっと病院の待合室に付き添ってくれたのでした。
この時点で、「保険ってすごい…」と変なところに感動している私。
しかし、夜中のイタリアの救急病院は変。
ダンナと同じく、寝台に乗せられて廊下に放置された患者さんが他に2人くらい。
どこかしらが痛いのかやったらうなってるなーこの人大丈夫かなーと思ってた人が、いつの間にか気持ちよさそうにすやすや寝ていた(通訳さん曰く、こっちの人は日本人とくらべると割と我慢しないで痛い!とか言うらしい)。
また、病人ではなさそうなのに何やら大声を出しながら診察室前を徘徊するおじさん現る。
通訳さんに「なんて言ってるんですか?」と聞くと、「あの人酔っ払いですね…」とのこと。
腹が減ったからサンドウィッチをくれとか何か冷たいものをくれとか言ってたらしい。
すると、病院スタッフの中に、リンゴやゼリーを本当にあげてる優しい人もいた(これやるから静かにしろ、もしくはどっか行け、てことなのでしょう)。
途中で警備の人も来たけど、なんか結局この酔っ払いのおっちゃんが言うこときかないから
呆れられて、またそのままそのへんにいる酔っ払いのおっちゃん(どっかいけー)。
そしてこれは添乗員さんがいる時の話ですが
40~50代くらいの男性の助手の先生(なんかちっちゃいコミカルな感じのおじさん)がダンナの点滴の様子を見に来た際に、
添乗員さんが私のダンナは大丈夫か様子を聞いてくれたところ、
何やらダンナと私の顔を見合わせながらペラペラペラ。
「??」と添乗員さんを見ると、心底疲れた感じの呆れ顔で
「ダンナは大丈夫だから、奥さんと寝ていいかダンナに許可をとってくれ、て言ってます…。」
と、訳してくれました。
私もとっさのことでリアクションが取れませんでしたが、
「おお、さすがイタリア男!」となんとなく本場を味わえた気がしてまた感動(なんで)。
きっと、心配そうな私の顔をみてジョークを言ってくれたんだろうと好意的に受け止めてみる。
夜が明け、朝7時くらいに夜勤の病院スタッフ達が交代で帰って行く。
患者数も増えていくけど、スタッフの数も倍ぐらいに増える。
(ちなみにダンナを夜に診てくれた先生は結構キレイな女医さんだったのですが
ダンナは全然覚えていないとのこと。残念!)
そーすると、手狭になってくるからか患者以外は外で待ちなさいという雰囲気になり、
通訳さんが外に出される。
その後、ダンナの点滴が終わった時にスタッフに伝えるとともに通訳さんに報告しに外へ出たら、
再び中に入ろうとした時に「入るな」と言われて私もそのまま外で待つことに。
あらまーと思いながらも自販機で飲み物買ったりしながら、通訳さんと外で待つ。
すると1時間後くらいに
「○○○(私の名字)-!ワイフー!!」
と呼び出される。
中に入ると、いきなり消えた私をダンナが心配して
どーにかこーにか知ってる英語を駆使して呼び出してもらったとのこと。
でも結局、5分後くらいにまた私は外に出される。
その後、ホテルのチェックアウトの時間が迫ってきていたので、
11時くらいに通訳さんが「血液検査の結果はまだですか」と急かしてくれる。
すると、割とすぐ診察室に私と通訳さんが呼ばれ、ダンナもそこにいた。
結果、胃腸炎とのこと(ほーらね)。
処方箋を書いてもらい、乳製品や野菜を食べるなと言われる。
ようやく病院を出ることができ、
その後ホテルを移動したり、薬を買いに行ったり、保険会社の事務所へ手続きに行ったり、スーパーへ買い物に行ったりする。
これもみーんな、保険会社の通訳さんがついてきてくれるんですわ。
私ひとりじゃバールでサンドウィッチも買えませんでしたよ。
ありがたや、保険、ありがたや。
そんなわけでダンナはホテルで療養。
私はダンナが寝てる横で本とか読んで過ごす。
次の日、部屋に保険会社が手配してくれた現地医師ロマーノ来たる。
なんかけだるい感じで診察して、さっさと書類を書いて10分足らずで帰って行く。
しかし、ロマーノの診断で、新たに禁止事項が増える。
乳製品・野菜に加えて小麦粉製品を食べるなと言われる。
イタリアで小麦粉と乳製品食うなって…。アンタ…。
つーか、日本で胃腸悪くした時、うどん食べたりするような気がするんだけど。
でもなんとなく恐いのでロマーノに従うこととする。
それと、枕の交換っこ(??)をしないようにと言われる。
よーするに私もうつるから気をつけろってことなんだけど、
やっぱりウィルス性なんだなーでもホテルだから気を付けるにも限界があるよなーと
ちょっと嫌な予感はしてたんだな。
ダンナの具合はだいぶ良くなり、
明日には移動してベニスでツアーに追いつきましょう!という話の流れだったのですが が!
案の定、案の定ですよ。
その日の夜、私が発熱し始めました…。
次の日の午前中、保険会社から「ダンナ様のご加減いかがですかー移動できますかー?」という旨の電話がかかってきたのですが、「僕はだいぶよくなったのですが、今度は妻が…」とダンナが電話口で話すハメになる。
その後、再びロマーノ登場。
ほーらね、って感じでまたけだるそうに診察する(ていうか病状聞かれただけ)。
きっと、枕の交換っこしたなこいつらと思われたに違いない…(だから何なんだそれは)。
またすぐに処方箋やらを書いて、今度は5分くらいで帰って行った…。
私は吐き気はそんなになかったのですが、下痢(汚くてすみません)と発熱がなかなか治まらなくて、結局私も2日ほど療養することに…ううう;
その間、今度はダンナが私の代わりにスーパーやら薬局やらに通訳さんと行ってくれました。
初めてダンナにりんごを剥いてもらってちょっとまた感動。
これは海外旅行だからこそだったからかもしれない…
ナイフで剥いたせいもあるけど、いびつなリンゴでした…(日頃からもっと家事を手伝おうぜ☆)
この時、通訳さん(2人目)も一緒に果物剥いてくれたのですが
「イタリアの男の人もあまり家事を手伝ったりしないんですか?」と聞いたら
「何もしませんね!!」と言われました。
「お母さんがなんでもやってあげちゃうからダメなんですよー」とのこと。納得。
マンマミーアな国ですものね。
ちなみにこの方は、旦那様がイタリア人だそうな。
そう、そういうわけで。
そういう旅だったんです(泣)
でも帰りはロマーノの診断書のおかげでビジネスクラスでした。
超熟睡できちゃって「え、もう降りるの?」って感じでした。
料理も皿で出されるし、あんなに違うもんだとは…。
(ただもしかしたら、後で請求書が来るかもしれないんだけど;)
そしてこーやって思い出しながら書き起こしていると、
これはこれで面白い体験ができたのかも…と少し思えてきました。少しね、少し。
行く前から職場でも友達の前でもうきうきモード全開だったので
帰ってきてこの話をするとみんなかける言葉もない感じで
「リベンジするしかないね…!」と言われるのですが
ダンナは初海外旅行でこんな体験をしてしまったので、
「海外はもういい…」という感じです。まあ無理もない。
やっぱり最初はハワイとかにしとくべきだったな。
私はどーにか、子供ができちゃったりする前に行きたいとこ行っておきたいんですけどねー。
いやしかし、近くて遠いミラノだったわ。
そう簡単にはアルフレド様には近づけないのね…。
あと、最近『パリパリ伝説』(超愛読してます)の6巻読んで
フランスもそーなんだなーと思ったのですが
イタリアの薬局で処方箋を見せると箱で買わされるんですね。
(写真撮っておけばよかった…日本帰ってきた時になんかもー忘れたくてすぐ捨てちゃった;;)
だから、薬局のおねーさんがうっかりだと処方箋に「1日3回、5日間」と書いてあっても
3×5=15錠必要なはずなのに1箱10錠入りのみを買わされたりするのでした…。
そういう感じでダンナの薬が足りなくなりそうだったので、後で買い足しに行きました。
うーん、待ってろよミラノ!!
いつか意地でも行ってやるぜ(T皿T)!!
と言われると、私は悪いニュースから聞きます。
好きな食べ物も最後に食べます。
なので、とほほな話から書きます。
(でも記事として上に来るのは後から書いたうふふ話の方になるのか…難しいな;)
【とほほなハネムーン】
ここのブログにも「イタリア行くの~v」とうきうきしていたハネムーンですが
イタリア4都市(ローマ→フィエンツェ→ベニス→ミラノ)を巡る8日間の旅
が
ローマ1日観光+ホテル静養の旅
となりました。
1日目はね、良かったんですよ…。
本当にいわゆるツアー観光を満喫!っていう感じで
目まぐるしくコロッセオやら真実の口やらヴァチカン美術館やらトレヴィの泉やらを回って
わっほい楽しーい♪と、私もダンナもハイテンションだったのです が、
夕飯を食べに移動するバスの中でダンナがいきなりエチケット袋を所望。
疲れてバス酔いしたのかな~とぐらいに思ってダンナをレストランのロビーのソファに寝かせ
私はツアーの方に交じってカンツォーネ聞きながら前菜のタコとか呑気に食べてたのですが
どうもダンナの具合は良くならないらしい。
うぬぅカンツォーネ残念…と思いながらもダンナと2人タクシーで宿に戻ることに。
宿に着いてから、戻したり下したりしながらも少し具合が良くなったっぽいので
風邪かなー?と二人で言いながら、日本から持ってきた市販の風邪薬と胃薬を飲ませ、
とりあえず寝ました。
夜中にふと目を覚ますと、ダンナが横でうずくまって
「ごめん…腹痛い…」とな。
夜中だから申し訳なく思いつつも、添乗員さんの部屋へ電話。
症状を言うと、「盲腸かもしれませんね」なんて言われてしまった。
でも私は、なんとなく自分のノロウィルスの時の症状を連想させられていて
1~2日は死ぬほどツライけどそんなに大病じゃないはず…と比較的落ち着いていた。
添乗員さん→ホテル→救急車を頼んでくれて、30分くらい?で、救急隊員のおっちゃんと兄ちゃんが到着。
んで、早く来た割に、やったら細かく症状を聞いて調書を書かれていたので、
結局救急車に乗れたのは着いてから15分後くらい(ちなみに添乗員さんが全部通訳してくれたので、私は横で見守ってればよかった)。
しかも、担架も何もなくて「ん?着いておいでよ?」みたいな感じだったので、
添乗員さんがわざわざ「このお兄さんに掴まったら!?」と言ってくれた。
しかも、救急車内でダンナはベッドに寝かされるのでなく、私と同じように横のイスに座らされる…。(ベッドにはおっちゃんが座っていた)
真夜中のローマの街を暴走して(でも鳴らしてはなかった)10分くらいで近くの救急病院に着いた救急車。
しかしここはイタリア、着いたからといってすぐに見てもらえるわけではない!
とりあえず寝台に乗せられ、診察室前の廊下に放置…。
その間も、トイレを往復するダンナ。
で、なんとか40分後くらいに血液検査のために採血され、点滴を打ってもらえる。
つまるところ、血液検査の結果が出ないとどうにもならないので、
否応なく結果が出る次の日の午前中まで病院で待つことが決定…。
この頃(午前3時くらいかしら)、添乗員さんが保険会社の通訳の方と交代。
添乗員さんは次の日も朝7時くらいからツアーの仕事があるのに
私らが語学が達者でない(すいません)のを心配してわざわざ交代要員が来るまでずっとついててくれたのです。
ありがとう!JTBでよかった!!
そして交代した保険会社の方も夜通しずっと病院の待合室に付き添ってくれたのでした。
この時点で、「保険ってすごい…」と変なところに感動している私。
しかし、夜中のイタリアの救急病院は変。
ダンナと同じく、寝台に乗せられて廊下に放置された患者さんが他に2人くらい。
どこかしらが痛いのかやったらうなってるなーこの人大丈夫かなーと思ってた人が、いつの間にか気持ちよさそうにすやすや寝ていた(通訳さん曰く、こっちの人は日本人とくらべると割と我慢しないで痛い!とか言うらしい)。
また、病人ではなさそうなのに何やら大声を出しながら診察室前を徘徊するおじさん現る。
通訳さんに「なんて言ってるんですか?」と聞くと、「あの人酔っ払いですね…」とのこと。
腹が減ったからサンドウィッチをくれとか何か冷たいものをくれとか言ってたらしい。
すると、病院スタッフの中に、リンゴやゼリーを本当にあげてる優しい人もいた(これやるから静かにしろ、もしくはどっか行け、てことなのでしょう)。
途中で警備の人も来たけど、なんか結局この酔っ払いのおっちゃんが言うこときかないから
呆れられて、またそのままそのへんにいる酔っ払いのおっちゃん(どっかいけー)。
そしてこれは添乗員さんがいる時の話ですが
40~50代くらいの男性の助手の先生(なんかちっちゃいコミカルな感じのおじさん)がダンナの点滴の様子を見に来た際に、
添乗員さんが私のダンナは大丈夫か様子を聞いてくれたところ、
何やらダンナと私の顔を見合わせながらペラペラペラ。
「??」と添乗員さんを見ると、心底疲れた感じの呆れ顔で
「ダンナは大丈夫だから、奥さんと寝ていいかダンナに許可をとってくれ、て言ってます…。」
と、訳してくれました。
私もとっさのことでリアクションが取れませんでしたが、
「おお、さすがイタリア男!」となんとなく本場を味わえた気がしてまた感動(なんで)。
きっと、心配そうな私の顔をみてジョークを言ってくれたんだろうと好意的に受け止めてみる。
夜が明け、朝7時くらいに夜勤の病院スタッフ達が交代で帰って行く。
患者数も増えていくけど、スタッフの数も倍ぐらいに増える。
(ちなみにダンナを夜に診てくれた先生は結構キレイな女医さんだったのですが
ダンナは全然覚えていないとのこと。残念!)
そーすると、手狭になってくるからか患者以外は外で待ちなさいという雰囲気になり、
通訳さんが外に出される。
その後、ダンナの点滴が終わった時にスタッフに伝えるとともに通訳さんに報告しに外へ出たら、
再び中に入ろうとした時に「入るな」と言われて私もそのまま外で待つことに。
あらまーと思いながらも自販機で飲み物買ったりしながら、通訳さんと外で待つ。
すると1時間後くらいに
「○○○(私の名字)-!ワイフー!!」
と呼び出される。
中に入ると、いきなり消えた私をダンナが心配して
どーにかこーにか知ってる英語を駆使して呼び出してもらったとのこと。
でも結局、5分後くらいにまた私は外に出される。
その後、ホテルのチェックアウトの時間が迫ってきていたので、
11時くらいに通訳さんが「血液検査の結果はまだですか」と急かしてくれる。
すると、割とすぐ診察室に私と通訳さんが呼ばれ、ダンナもそこにいた。
結果、胃腸炎とのこと(ほーらね)。
処方箋を書いてもらい、乳製品や野菜を食べるなと言われる。
ようやく病院を出ることができ、
その後ホテルを移動したり、薬を買いに行ったり、保険会社の事務所へ手続きに行ったり、スーパーへ買い物に行ったりする。
これもみーんな、保険会社の通訳さんがついてきてくれるんですわ。
私ひとりじゃバールでサンドウィッチも買えませんでしたよ。
ありがたや、保険、ありがたや。
そんなわけでダンナはホテルで療養。
私はダンナが寝てる横で本とか読んで過ごす。
次の日、部屋に保険会社が手配してくれた現地医師ロマーノ来たる。
なんかけだるい感じで診察して、さっさと書類を書いて10分足らずで帰って行く。
しかし、ロマーノの診断で、新たに禁止事項が増える。
乳製品・野菜に加えて小麦粉製品を食べるなと言われる。
イタリアで小麦粉と乳製品食うなって…。アンタ…。
つーか、日本で胃腸悪くした時、うどん食べたりするような気がするんだけど。
でもなんとなく恐いのでロマーノに従うこととする。
それと、枕の交換っこ(??)をしないようにと言われる。
よーするに私もうつるから気をつけろってことなんだけど、
やっぱりウィルス性なんだなーでもホテルだから気を付けるにも限界があるよなーと
ちょっと嫌な予感はしてたんだな。
ダンナの具合はだいぶ良くなり、
明日には移動してベニスでツアーに追いつきましょう!という話の流れだったのですが が!
案の定、案の定ですよ。
その日の夜、私が発熱し始めました…。
次の日の午前中、保険会社から「ダンナ様のご加減いかがですかー移動できますかー?」という旨の電話がかかってきたのですが、「僕はだいぶよくなったのですが、今度は妻が…」とダンナが電話口で話すハメになる。
その後、再びロマーノ登場。
ほーらね、って感じでまたけだるそうに診察する(ていうか病状聞かれただけ)。
きっと、枕の交換っこしたなこいつらと思われたに違いない…(だから何なんだそれは)。
またすぐに処方箋やらを書いて、今度は5分くらいで帰って行った…。
私は吐き気はそんなになかったのですが、下痢(汚くてすみません)と発熱がなかなか治まらなくて、結局私も2日ほど療養することに…ううう;
その間、今度はダンナが私の代わりにスーパーやら薬局やらに通訳さんと行ってくれました。
初めてダンナにりんごを剥いてもらってちょっとまた感動。
これは海外旅行だからこそだったからかもしれない…
ナイフで剥いたせいもあるけど、いびつなリンゴでした…(日頃からもっと家事を手伝おうぜ☆)
この時、通訳さん(2人目)も一緒に果物剥いてくれたのですが
「イタリアの男の人もあまり家事を手伝ったりしないんですか?」と聞いたら
「何もしませんね!!」と言われました。
「お母さんがなんでもやってあげちゃうからダメなんですよー」とのこと。納得。
マンマミーアな国ですものね。
ちなみにこの方は、旦那様がイタリア人だそうな。
そう、そういうわけで。
そういう旅だったんです(泣)
でも帰りはロマーノの診断書のおかげでビジネスクラスでした。
超熟睡できちゃって「え、もう降りるの?」って感じでした。
料理も皿で出されるし、あんなに違うもんだとは…。
(ただもしかしたら、後で請求書が来るかもしれないんだけど;)
そしてこーやって思い出しながら書き起こしていると、
これはこれで面白い体験ができたのかも…と少し思えてきました。少しね、少し。
行く前から職場でも友達の前でもうきうきモード全開だったので
帰ってきてこの話をするとみんなかける言葉もない感じで
「リベンジするしかないね…!」と言われるのですが
ダンナは初海外旅行でこんな体験をしてしまったので、
「海外はもういい…」という感じです。まあ無理もない。
やっぱり最初はハワイとかにしとくべきだったな。
私はどーにか、子供ができちゃったりする前に行きたいとこ行っておきたいんですけどねー。
いやしかし、近くて遠いミラノだったわ。
そう簡単にはアルフレド様には近づけないのね…。
あと、最近『パリパリ伝説』(超愛読してます)の6巻読んで
フランスもそーなんだなーと思ったのですが
イタリアの薬局で処方箋を見せると箱で買わされるんですね。
(写真撮っておけばよかった…日本帰ってきた時になんかもー忘れたくてすぐ捨てちゃった;;)
だから、薬局のおねーさんがうっかりだと処方箋に「1日3回、5日間」と書いてあっても
3×5=15錠必要なはずなのに1箱10錠入りのみを買わされたりするのでした…。
そういう感じでダンナの薬が足りなくなりそうだったので、後で買い足しに行きました。
うーん、待ってろよミラノ!!
いつか意地でも行ってやるぜ(T皿T)!!