新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

宝塚ユーゲント 引き裂かれた青春

2023年11月16日 | ニュース
摩耶山からの帰り、宝塚音楽学校の生徒募集のポスターが目に入りました。

「何が生徒募集だ。この人殺しが」

と、毒づきたくなってしまいました。

なぜ、夢も希望もあったのだろう若い人方が死なねばならなかったのか、そこに至るまで何があったのか。真相を解明し、全面的に謝罪し、ハラスメント防止、過重労働禁止の体制が確立するまで、宝塚歌劇団には一切の公演を行う権利も、生徒を募集する資格もないと私は思います。

ちいかわコラボで、タカラジェンヌに扮していた「ちいかわ」たちを見て喜んでいたわが娘も、自分を苦しめた「いじめ」(傷害罪・暴行罪と呼ぶべきです)と同じことが宝塚で行われていたことに、少なからずショックを受けているようです。まだ乗ったことのない「うさぎ号」にわざわざ乗りに行ったのも、宝塚歌劇の姿勢次第では、阪急電車ボイコットと言い出しかねない父親の気性を知っているからでしょう。

「パワハラではなくて上級生からの指導」と会見でうそぶいた宝塚歌劇団の隠蔽体質には、つくづく失望し、幻滅しました。関西の業界の片隅にいたら、阪急グループの実態は知っているわけですが、まさかここまでひどいとは思いませんでした。リスクマネジメントも何もないことにも、歴史に名を残す不祥事事件を起こした企業数社の広報に携わってきた人間として、驚き呆れ果てました(敗北を勝利と言いくるめる、左翼時代に学んだ独特のレトリックは、この企業広報の仕事で最大限に生かされた?かもしれません)。

宝塚歌劇団の新理事長は、遺族に証拠を出せと妄言を吐いたのだとか。最悪ですね。どうして最愛の娘を失った遺族のこころを踏みにじるようなことができるのか。過労死レベルの長時間労働については、それが自殺の原因になったかもしれないことは自分たちも認めているわけでしょう。彼女を殺したのは宝塚歌劇団です。

坂口安吾は、「京都や奈良の寺社なんか全部燃えたって誰も困らない」と喝破しましたが、今後はこれに「宝塚歌劇」も加えたほうがよさそうですね。

宝塚歌劇はすばらしいかもしれない。しかし、それは人のいのちを引き換えにするほどのものですか?

私は、阪急の創業者の小林一三には一定の評価を与えてきました。沿線住民として、よく利用する阪急電車にも、宝塚歌劇にも、親しみを感じてきました。京阪沿線住民が、京阪線やグランシャトーが好きなのと一緒の心情です。近鉄線、南海線沿線住民にも、共通する心情、アイコンがあるでしょうね。

しかし、それが無惨に打ち砕かれてしまった。

過去を振り返ると、雪印乳業の不祥事がいちばん近いかもしれません。

ものごころ付いた頃から、雪印の製品に慣れ親しんできたのに、あの不祥事です。もう二度と雪印は利用したくない。以来、不買運動が続いています。

宝塚歌劇については、私は一回行ったことがあるだけです。だから、私が宝塚歌劇をボイコットしようが、なにをいおうが、宝塚歌劇団には何のダメージもなく、コアなファンは今後も支えてくれるでしょう。大劇場や公演日の阪急宝塚駅で、ハラスメントで退団に追いやられた元ジェンヌによる無差別テロ事件でも起きない限り、宝塚歌劇団の上層部も、コアなファンのみなさんも、目を覚ますことはないのではないですか。

宝塚歌劇団に独特のルールやしきたりがあるらしいことは知っていましたが、まさかこんなことが行われていたとは思いだにしないことでした。

ジャニーズ問題については、『光GENJIへ』を本屋で軽く立ち読みした程度の知識はありました。お世話になった方の小学生のお嬢さんが光GENJIの大ファンで、彼女の気持ちを想うとこころがいたみました。ページを繰る手を止めて平積みの本を元に戻したものです。Twitterで見かけたある人のTweetによると、あの本の影響で、ある学校ではクラスの女子の半分が光GENJIファンをやめたそうです。

こんな論評を読みました。


「たしかに、昔のスター、アイドルは、同性の憧憬を集めていたよなあ」とこの記事に感心しつつ、宝塚歌劇は「同性が同性にあこがれる」アイドル文化の保守本流だったわけで、より宿痾の根は深いようです。

実態を知って、驚き呆れたのは前述のとおりです。

宝塚歌劇団は1914年初演ですから、来年で110年を迎えます。

宝塚音楽学校の原型になったのは、大阪南地の置屋「大和屋」の芸妓学校だったと聞いたことがあります。「あんたのお父さんから盗ませてもろうたんや」と小林一三にいわれたと、大和屋の女将さんが故・岡田嘉夫画伯との対談で語っていました。大和屋の芸妓学校も、当時としては革新的なモダンな取り組みだったのでしょう。

「下級生は廊下に沿って歩く」という独特のルールも、廊下の中央はお客様に歩いていただく場所だというお客様をご案内・誘導するための伝統的なマナーですね(ビジネスマナーでもあります)。上級生は廊下の中央を歩いてよくなるのも、位の高い芸妓になると、廊下の中央を歩いていいというルールが花街にあったのでしょうか。

若いころ、歌劇関連の仕事をしていたことがあります。関西では一種のステータスですが、今後は黒歴史になりそうです。

実際に歌劇を観たのは6年前、2017年前の『ベルリン、わが愛』が最初でした(最後になりそうです)。

やはり、独特の世界ですね。宝塚駅を降り、劇場に向かう道が、すでに聖地に向かう参道のように感じました。私は行ったことがありませんが、米帝ネズミーランドや、米帝ユニットバススタジオも、あんな感じですか?

観客層も、修学旅行の中学生とおぼしき少女たちから、その母世代、祖母世代、曾祖母世代まで、四世代にわたっていました。宝塚歌劇はもうすでに伝統文化になっているんだなと思ったものです。

劇場内のレストランも高級そうなお店から大衆的なお店まであって、さまざまな階層のファンがいるんだなと感心しました。「きつねうどん」なんてメニューを見つけて親しみを感じたものです。

しかしながら、正直なところ、私は宝塚歌劇をこころから楽しめませんでした。ストーリーも底が浅いメロドラマでした。敵役とはいえ、無批判に制服姿のナチスを登場させる歴史観、倫理観も疑問視せざるをえませんでした。ダンスは素晴らしいものでしたが、ここが宝塚大劇場で、若くてきれいなお姉さん方だからそう見えるだけのように思えました。以前大阪松竹座で観た宝塚の元男役トップが、歌唱・ダンスともに、OSKの男役トップに見劣りしたことがあったからです。宝塚大劇場という空間そのものに、3割増し、5割増しによく見せるイリュージョン効果があるんだろうなと思いました。

余談になりますが、阪急百貨店で、「これいいな」と思っても、その場ではすぐに買わず、阪神百貨店で同じものを探します。阪急はディスプレイも照明もよくて、5割増しに良い物に見えるからです。阪神に行くと「なーんだ」とがっかりすることがあります。だったら最初から阪神で買ったほうがよさそうなものですが、相手によって、阪急の手提げ袋でないといけない場合があるんですよね。

初めて宝塚歌劇を見て、韓国のファンタジー作家の「この世界は市民革命を経験していないので、まだ農奴制度が残っています」という自作解説を思い出したものでした。独裁政権とたたかい、民主主義を勝ち取ってきた歴史を持つ南朝鮮人民は言うことがちがいます。

宝塚大劇場は、王様もいて女王様もいて、王子も姫も騎士もいるおとぎの国の宮城だけれど、城の地下では奴隷たちが強制労働させられ、文化もインフラも近代以前で、下水施設もないから庭には汚物がまきちらされているんだろうなあと思いながら、大劇場を後にしたものでした。

これはあくまで比喩として考えたのですが、本物の宝塚歌劇の舞台裏も、私の想像どおりだったようです。

以前、戦前の阪急電鉄が乗客増加のために進めたハイキングキャンペーンについて、こんなことを書きました。

この戦前の阪急電鉄によるハイキングキャンペーンは、「国民(人民)の健康増進運動」という側面で、ドイツのワンダーフォーゲルと同時代性がある、あるいはその影響のもとに成り立ったのかなと思いました。ドイツのワンダーフォーゲルも、元々はハイキングやピクニック、ボーイスカウトなどの「素朴な野外活動」だったはずが、ナチズムに呑み込まれていったのは周知のとおりです。

歌劇が戦争に協力した黒歴史は、今では広く知られています。ああいうことは、宝塚歌劇にやってほしくなかったと、そう思うファンが大多数でしょう。

しかし、それは権力に迫られてのやむをえないものではなく、内在的な必然性があったのではないか。

(中略)

宝塚歌劇ではナチスは今も人気の「悪役」です。20年ほど前ですが、バウホールで演じられた演目はナチスの青年たちが主人公で、ポスターには鉤十字が入っていました。これは海外展開絶対無理ですね。

あの制服、そして一糸乱れぬヒトラーユーゲントの動きには、禍々しい美しさがあります。ナチスのプロパガンダと宝塚のレビューには、ある種の親和性があるといえるかもしれません。続くかも。


私は人様の好きなものにイチャモンをつける気はないのです。
続きたくはなかったですね。

うん。しかし、宝塚歌劇は、ナチスと親和性がありましたね。スパルタ。しごき。奴隷の美徳。スローガンの「清く正しく美しく」は、汚いもの。誤ったもの、みにくいものは死ねということ。ユダヤ人やロマの「浄化」、障がい者の抹殺を扇動したナチのスローガンだったとしても、何の違和感もありません。



宝塚少女歌劇団「渡欧記念アルバム 日・濁・伊親善芸術使節」(1939年)


Mastodonで、こんなブログ記事が紹介されていました。

宝塚のファンをやめた話

こんな記事も興味深く読みました。



宝塚は、ゆるい調査で明らかになるくらいの組織ではないというのには賛同です。

「日本人の中には、口には出さないが、心の奥底で「パワハラの効果」を否定できない人がかなりいる」とリンク先の筆者は指摘します。

もちろん、そんなの誤っています。

「パワハラ」で成長できる人は、別に「パワハラ」がなくても成長できるんですよね。むしろ、「パワハラ」で、本来伸びるべき可能性をつぶしまくってきたことを真摯に反省しなければならないと思います。

タカラジェンヌには、しっかり毎日8時間睡眠をとって、虚偽でない、演じること、他人を喜ばすことのエンターテインメントの本質に立ち返った、作りものでない心からの本当の笑顔を私たちに見せてほしいと願います。




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2 コメント

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さすがに今は軍隊主義の会社は少数派だと思います (くろまっく)
2023-11-17 09:41:44
温室育ちの若者が来てくれないし定着してくれません。

しかし大沢真理さんの『企業中心社会を超えて』が示すとおり、日本企業は家父長制度を温存・再生産し、男女平等や人権や民主主義の定着の阻害要因となってきました。女性も男性の価値観に合わせられる「名誉男性」でないと企業社会のなかで活躍できない。このジェンダー差別の構造のほうがより深刻だと私は思います。

今の小倉唯さんの路線は、美魔女路線でしょうか。

しかし、韓国のように、永遠に若く美しくあるためなら整形にも寛容な社会もありますが、日本では加齢も上手に味方につけている女優やモデルが同性に支持されているように感じます。これは日本社会が「わび」=Incomplete(不完全であること)、「さび」=Impermanent(永久的でない)ことを愛する社会だということが大きいと思います。

しかし自分のプロフ画像も修正加工が当たり前のバーチャル世界もリアルの若い人のあいだには、韓流の影響もあいまって、また別の価値観も生まれていくでしょう。アプローチしていくなら、やはり韓流ファンの小中高生向けではないかと思います。
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Unknown (angeloprotettoretoru)
2023-11-17 00:23:16
宝塚は女の軍隊。言い得て妙かもしれません。記事中にもあった通り、軍隊ばりの「上」への絶対服従、しごきやパワハラ体質は、いろいろなところに見られます。学校の部活から始まって、企業もそう。「自衛隊訓練体験=進入社員研修」なんてのは珍しくもないですし。軍隊ノリは、近代日本人が作って来たあらゆる組織・集団にしばしば現れているものだと思います。私は若い頃から、日本のサラリーマンは労働者ではなくて「兵隊」だと思って来ましたし、そう言い続けてきました。
兵隊を「脱洗脳」して、労働者として組合運動に加わらせることをしてきたくろまっくさんは、どんなにか苦労されたのではありませんか?
アイドルに関する話も面白かったです。小倉唯さんも、少女時代は異性ファンからの疑似恋愛対象というポジションだけを押し付けられていました。しかし大人になって、事務所を転々としながらセルフプロデュースの度合いを強めるのとともに、露骨とも言える程の「女性ファン優先策」を取ってきたこと、女の子のためだけのコンテンツを盛んに作って、ファン層の構成を変える取り組みをして来ました。
異性の疑似恋愛対象だった頃は「仕事に閉じ込められている」という言葉をしきりと口にしていた唯さん。同性に愛されるアイドルになることは、彼女にとって一種、自己を解放することでもあったのかもしれません。
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