新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

晶子と太宰

2010年11月01日 | 読書
もう11月だ。

きのうのエントリを書くに先だって、
片山廣子がハロウィンについて何か書いてないかと、
『燈火節』をひもといてみた。

この本はまだ完読していない。
思いついた時にページを開いて、
その折々に読むのが楽しみなのだ。
和三盆のお干菓子を
ときどき頂くような至福のひととき。

さて、端から端まで通読すれば、
どこかに言及あるのかもしれないが、
今は見つからない。

かわりに与謝野晶子に触れたエッセイを見つけた。
小野小町と並べて、
「千年か二千年に希に生まれ出るかの優れた歌人」と、
同年生まれの歌人に高い評価を与えている。
この心映えの美しさ。

しかし晶子の歌集は、
大森の元の家においてきたそうで、
浜田山の家には、
1942年発表の晶子の遺作
『白櫻集』しかなかったらしい。
「源氏をば一人となりて後に書く
 紫女年若くわれは然らず」
の歌を引用して、
片山は共感と哀惜をこめて、
こう書いている。

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「紫女年若くわれは然らず」の一首の悲しみは
彼女一生のあひだに詠んだといはれる
数萬首の歌の中にも
ほかには見出されまいと思はれる。
天才と意欲に満ちた彼女が一人となつて
老を感じたのであつた。
それは私たち誰でもが感じる老とは異なつたものである。
(ほかの女歌人たちがみんな傳説であるのに、
私のために與謝野晶子だけは傳説ではない。
私の姪が彼女の學校に在學してゐたから、
私は父兄の一人で、
その私に彼女はいつも率直に物を言はれた。
師と弟子の間柄ではなく、友人ではなく、
社交の仲間でもなく、あつさりと親切に、
ごく普通の話をされた。
こだはりのない若々しい勇敢な彼女を知つてゐて、
この悲しみの一首を讀むことは
堪へがたい氣持がする。)

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同年生まれの歌人である以上、
当然接点があったと思いながらも、
まさか教師と父兄の関係だったとは。
与謝野晶子は文化学院を創設して、
女子学部長だったんだと改めて納得した。

1942年発表の『白櫻集』は、
「君死にたまうことなかれ」とは正反対に、
「強きかな天を恐れず地に恥ぢぬ
戦をすなるますらたけをは」
と、戦争を美化・翼賛する歌を作ったことで
転向ソングだとよく批判される。
また、海軍大尉として出征する四男に対しては、
「水軍の大尉となりてわが四郎
み軍にゆくたけく戦へ」
と詠んでいる。

何が「戦をすなる」だ、
何が「み軍」だと思う。
どこの国のいつの時代のだれのことばだ。
北原白秋や高村光太郎、
三好達治もひどいものだけれど、
何のために源氏物語を三度も現代語訳したのか、
さっぱりわからない。

しかしもちろんそのことで
与謝野晶子を否定しようとは思わない。
レーニンがローザについて書いたように、
鳳は鶏よりも低空飛行できるというだけだ。
ちょっとちがうか。

長くなるけれど、
太宰治の言葉を引用しておきたい。

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私たちは程度の差はあっても、
この戦争に於いて日本に味方をしました。
馬鹿な親でも、とにかく血みどろになって喧嘩をして
敗色が濃くていまにも死にそうになっているのを、
黙って見ている息子も
異質的(エクセントリック)ではないでしょうか。
「見ちゃ居られねえ」というのが、私の実感でした。

実際あの頃の政府は、馬鹿な悪い親で、
大ばくちの尻ぬぐいに女房子供の着物を持ち出し、
箪笥はからっぽ、それでもまだ、
ばくちをよさずにヤケ酒なんか飲んで
女房子供は飢えと寒さにひいひい泣けば、
うるさい! 
亭主を何と心得ている、
馬鹿にするな! 
いまに大金持になるのに、わからんか! 
この親不孝者どもが! 
など叫喚して手がつけられず、
私なども、雑誌の小説が全文削除になったり、
長篇の出版が不許可になったり、
情報局の注意人物なのだそうで、
本屋からの注文がぱったり無くなり、
そのうちに二度も罹災して、
いやもう、ひどいめにばかり遭いましたが、
しかし、私はその馬鹿親に孝行を尽そうと思いました。
いや、妙な美談の主人公になろうとして、
こんな事を言っているのではありません。
他の人も、たいていそんな気持で、
日本のために力を尽したのだと思います。

はっきり言ったっていいんじゃないかしら。
私たちはこの大戦争に於いて、
日本に味方した。私たちは日本を愛している、と。

そうして、日本は大敗北を喫しました。
まったく、あんな有様でしかもなお日本が勝ったら、
日本は神の国ではなくて、魔の国でしょう。
あれでもし勝ったら、
私は今ほど日本を愛する事が出来なかったかも知れません。

私はいまこの負けた日本の国を愛しています。
曾つて無かったほど愛しています。
早くあの「ポツダム宣言」の約束を全部果して、
そうして小さくても美しい平和の独立国になるように、
ああ、私は命でも何でもみんな捨てて祈っています。
                (太宰治「返事」)
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ほんとはこの続きの部分が重要なのだけれど、
今日のところは引用だけ。
青空文庫の工作員さんに感謝。

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