新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

夜汽車の世界 純粋無垢ゆえに

2023年12月10日 | アート/ミュージアム

◆ロリータ・ムーブメント

『ローゼンメイデン』について取り上げました。

職場に来た職場体験の中学生は、おじさんの私がこの作品を知っていることを驚き、「ローゼン閣下みたいですね」と感心されたものでした。「閣下はえらそうでいやだな。同志と呼んでください」とお願いしたものです。『ローゼン』がお好きならこの作品もお好きなはずです」と『ゴシック』を薦めてくれた彼女も、今やアラサー。時が経つのは早いものですね。

『ローゼンメイデン』という作品は、ボークスが1998年に発表した「スーパードルフィー」や、2000年代に入って急増したロリータ・ファッションのブームと切り離して語ることはできないだろうと考えています。

「ドルフィー」とは「ドール」と「フィギュア」の合成語です。

「ドール」と「フィギュア」の違いは、造形されたものが人間であるかその他であるか、また玩具として遊ぶ目的か飾って鑑賞する目的かで区別されるそうです。 「ドール」は原則が人間。動物・怪獣・アニメキャラクターの場合、「フィギュア」になるということです。

さて、ロリータ文化を世に知らしめたのが、2004年公開の深田恭子さん・土屋アンナさんの『下妻物語』でした。都会から引っ越してきた田舎で完全に浮きながらもロリータ・ファッションを貫く孤高のロココ少女・桃子と、ヤンキー少女のイチゴの友情を描いた作品です。嶽本野ばら氏による原作『下妻物語 ロリータちゃんとヤンキーちゃん』が発表されたのが、『ローゼンメイデン』と同じ2002年でした。

ロリータ・ファッションの源流は1970年代のファッションブランド「MILK」に始まるそうです。そもそも「ロリータ」の語源となったウラジミール・ナボコフの『ロリータ』が1958年発表ですから、まだ一世紀経っていない新しい文化なのですね。

ロリータ・ファッションは、1980年代には「ドールファッション」ともいわれたことがあるようで、「ロリータ」と「ドール」はある意味置換可能なことばです。これは元祖ナボコフによるロリータの定義と、和製ロリータの定義との違いにも関わってくるようです。

ウィキペデアからの孫引きになってしまいますが、ナボコフはロリータについて、言動や容姿が小悪魔的でコケットリーなニンフェット(ニンフ)でなければならないと細かく定義したそうです。日本において「ロリータ」という言葉は、ニンフェットとはほぼ逆の「実際はもう大人なのに、童顔ゆえに幼く魅せている女性」か「本当にまだエロスの欠片も身体に宿していない少女」を指します。

ナボコフの元祖ロリータは、男性の性的欲望の対象ですが、和製ロリータは、ある意味、永遠の処女といえるかもしれません。

しかし、和製ロリータが純粋無垢かといえば、「純粋無垢故 質の悪い悪い 悪逆非道に御座います」(ハチ「結ンデ開イテ羅刹ト骸」feat.初音ミク)というところがあるのですね。ハチさんは、米津玄師さんがメジャーデビューする前のハンドルネームです。

「結ンデ開イテ羅刹ト骸」に出会ったのは2012年ごろだったようです。2012年9月、このブログにも感想を記しています。

純粋無垢ゆえたちの悪い、悪逆非道。

太宰治の『お伽草子』「カチカチ山」のウサギが、まさにそうしたキャラクターでした。

そんな私の魂を抉ってくる絵師さんが、夜汽車さんなのです。







SNSに流れてきた、この画像のアンニュイな表情の少女に惹かれたことはいうまでもありません。

私が驚いたのは、リンクを踏んだ先のこの解説でした。

“コミティア130の新刊は、少女たちの秘密の化石クラブを描いたイラスト集です。秘密の合言葉は「いつか、私たちが石になるまで」。 スペースは西3ホール【ぬ26a】です。



少女たちの秘密の化石クラブ?
秘密の合言葉は「いつか、私たちが石になるまで」?

なんなんだ、これは。

『ローゼンメイデン』も、物語の始まりは、バトルに勝利し「お父様」の愛を得ることでした。

しかし夜汽車さんの世界には、そうやって少女を支配・所有しようとする男性が存在しません。

少女の少女による少女のための少女コレクション。

コミティア130は、2019年11月開催でした。この告知を読んだ時点では、開催直前で、予定が固まっていて、東京まで遠征することはできませんでした。

しかし、夜汽車さんが2020年1月、インテックス大阪で開催された関西コミティアに出展されると知り、コロナ禍のなか出かけたものです。

昼からのんびりの訪問でしたので、あいにく新刊は売り切れでした。

既刊を買わせていただきました。

「ありがとうございます」と、少し不安げに頭を下げる夜汽車さんは、彼女が描く少女そのままに見えました。




坂口安吾の『夜長姫と耳男』は、ナンセンスでグロテスクなお話とばかり思っていました。しかし「乙女の本棚シリーズ」で夜汽車さんがビジュアル化したことによって、日本文学史に残る名作になりそうです。

以下、夜汽車さんのインタビューを抜粋させていただきます。


ーアンデルセン童話やグリム童話などの原書に近いものには、暗く悲しい結末の話も少なくないですよね。

幼少期は漫画やアニメなどに触れる機会がほとんどなくて、そういった昔の童話ばかりを読んでいました。今でもそうですが、楽しいことや明るいことよりも、悲しいことや寂しいことなどが創作のインスピレーションになることが多いです。そういった暗い負のイメージであったり、子どもの頃の気持ちを絵やストーリーにして美しく描き変えてしまいたい、という思いが創作の根底にあります。上手くいかないことがあっても、あるがままに受け入れて手を動かすことが本質的な欲求でもあり、追求でもあり、無心になって取り組むことができます。

ー現在活躍されているイラストレーターの中には、個人サイトやお絵かき掲示板というネット上の活動を経てpixivに移行したというケースの方も多いですが、夜汽車さんの場合はpixivが初めてだったのですね。

はい。それまで私は絵の世界と、そこにいる誰かとネットを通して繋がるという経験をしたことがなかったんです。エミリー・ディキンソンというアメリカの詩人が残した有名なフレーズに、『これは世界にあてたわたしの手紙です/わたしに一度も手紙をくれたことのない世界へのーー』というのがあるのですが、まさに当時の私の気持ちを表しているようなフレーズです。これはたまたまなのですが、今回描かせていただいた画集のカバーイラストも、エミリー・ディキンソンの『私は手に宝石をにぎりしめーー』という詩がぴったり合う気がしています。

ーそのカバーイラストもそうですが、夜汽車さんの絵のモチーフとして『少女』を描かれることが多いですよね。絵のモチーフについて話を聞かせてください。

少女のモチーフは、美しさの象徴として描いています。メルヘンのお姫様であり、儚くて純粋で清らかで、自分にとって少女というモチーフは常に心を揺さぶられる存在です。それから、少女と並んで『老女』というのも大切に描いているモチーフのひとつですね。おばあさんの中にある少女性のようなものを、絵で少しでも表現できればと思っていて、愛おしさを感じています。老女の中でも特に『魔女』が好きで、心惹かれる存在です。

ー現在活躍されているイラストレーターの中には、個人サイトやお絵かき掲示板というネット上の活動を経てpixivに移行したというケースの方も多いですが、夜汽車さんの場合はpixivが初めてだったのですね。

はい。それまで私は絵の世界と、そこにいる誰かとネットを通して繋がるという経験をしたことがなかったんです。エミリー・ディキンソンというアメリカの詩人が残した有名なフレーズに、『これは世界にあてたわたしの手紙です/わたしに一度も手紙をくれたことのない世界へのーー』というのがあるのですが、まさに当時の私の気持ちを表しているようなフレーズです。




山行きのなかで、愛娘のれんが、「私には、色えんぴつと、キーボードとマウスがぁるよ…悲しいことは、美しいことで上書きできるんだって…」と、父親に語る場面があります。

彼女にそう教えてくれたのは、「暗い負のイメージであったり、子どもの頃の気持ちを絵やストーリーにして美しく描き変えてしまいたい」という夜汽車さんのことばだったようです。日記を書き続ける彼女は、『これは世界にあてたわたしの手紙です/わたしに一度も手紙をくれたことのない世界へのーー』というフレーズにも共感したようです。




これはインタビュー記事より。『日本の伝統色』『日本の色辞典』は、私も愛用してきた本で、ちょっとうれしいですね。天才と同じ本を読んだからって、天才になれるわけではないのですが。


乙女の本棚シリーズ第一作の『夜長姫と耳男』より、この『刺青』のほうが、夜汽車さんらしさが出ているかもしれません。ほんとうにヒロインが素敵です。

しかし……

ネット社会になったいま、クリエイター本人が、素人の雑な感想を読んでしまう可能性もありえます。だから批判的なコメントは抑制しようとしているのですが、これだけは書いておくべきかな。

『刺青』のラストシーンの「女郎蜘蛛」に、あまり生気を感じられませんでした。

私の知る岡田嘉夫画伯は、美麗なタッチの美人画で知られますが、グロテスクな生き物も好んで描き、実物大の銀蝿を象った銀のブローチを愛用されていたものです。

夜汽車さんは虫の類は苦手なのでしょうか。だったら無理にあからさまに描く必要はなかったと思います。谷崎の原作でも、女郎蜘蛛の細かい描写があるわけではないのですから。鏡に映った自分の背中を見て妖艶にほくそ笑んでいる、「純粋無垢故質の悪い 悪逆非道」な自分の本質に目覚めた美少女、という終わり方でもよかったのではないかと思います。

「ロリータ」は新しい文化ですが、人形愛の歴史はさらに過去に遡ることができます。乙女の本棚・夜汽車さん最新作は、倒錯した人形愛の世界を描いた江戸川乱歩『人でなしの恋』です。



















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