新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

十二月八日とその周辺

2023年12月09日 | 日記
このブログには、昨日話題に取り上げた、真珠湾攻撃に関連したエントリがいくつかあります。

真珠湾といえば、『トラ・トラ・トラ』ですね。

このブログの2006年12月14日のエントリに、正月用に『黒澤明DVD BOX』『原子怪獣あらわる』『レジェンド・オブ・メキシコ』『トラ・トラ・トラ』を手に入れたと書いています。

『トラ・トラ・トラ』は、10年前の2013年の正月にも観て、こんな感想を書いています。

お正月映画ということで『トラ・トラ・トラ』。源田中佐がいいね。「若い者たちはよい」という爺むさい口癖の元ネタは、黄門さまの南雲長官だったことに気づく。零戦が次々飛翔していくバックの旭日の美しさに息を呑む。しかし、ひたすら一方的に攻撃されまくりのアメリカ軍の兵士は、無念だったろうなと思う。ベトナム戦争の最中に、日本側の視点も取り入れた映画を作ったアメリカは、ただものではなかった。しかし今の日本やアメリカには、こんな映画は創れまい。

この記事を書いたころは、元気だったので、お正月も何か料理したり、DVDたくさん観たりしていました。でもスモーカーだったんだなあ。私が禁煙したのはこの年2013年の8月でした。


しかし、日米開戦、真珠湾攻撃は、暴挙というほかありませんでした。

ツイッターで見かけた投稿に、軍需工場での学徒動員で、「お兄ちゃん、この機械大切にしてや。故障したら部品の換えがないねん」といわれて、製造国を見たらアメリカだったという話がありました。

アメリカと開戦したら補給も断たれるしかなかった日本軍を、真珠湾攻撃という暴挙に駆り立てたイデオロギー的背景に、信長の桶狭間奇襲神話がありました。

桶狭間の戦いが今川軍を油断させるための「迂回攻撃」だったという奇襲説は、江戸時代初期の小瀬甫庵作である『信長記』で取り上げられ、長らく定説とされてきた説です。

しかし信長に仕えた太田牛一の手になる、記録性・信頼性の高い『信長公記』では、正面攻撃だったと記しています。『信長公記』の記述は『信長記』と大きく食い違うことから、「迂回攻撃説」には現在では否定的な見解が多いようです。

日本軍部は、この桶狭間の戦いを熱心に研究し、帝国陸軍参謀本部編は『日本戦史 桶狭間役』などの戦史を編纂しているということです。

白村江の敗戦を隠蔽した「神州不滅・不敗」神話、蒙古襲来を撃退したという虚妄の「神風」神話、そしてこの桶狭間奇襲神話は、軍部と民衆を夜郎自大な帝国主義侵略戦争へとミスリードした三悪だったといえるでしょう。



日系二世の悪役プロレスラー・グレート東郷を覚えていますか? グレート東郷は、真珠湾攻撃による日米開戦で、「敵性外国人」として収容所に収監された体験を持ちます。

そんな過去を持つグレート東郷のアメリカでのファイトスタイルは、こんな感じだったそうです。

日の丸と「南無妙法蓮華経」があしらわれた白地のハッピ、高下駄、「神風」と書いた日の丸鉢巻き。試合はラフファイト一辺倒。塩を相手の目にすりこんだり、凶器で血だるまにするなど日常茶飯事。負けそうになると土下座して、油断を誘ったところで反則攻撃。相手が倒れると、「バンザーイ、バンザーイ、パールハーバー」と狂喜乱舞。

不謹慎だと叱られそうですが、なんだか笑ってしまいますね。うん。こういうの大好きだな。これからは、イスラエルとアメリカに対するガサ侵攻の抗議デモのスローガンも、「バンザーイ、バンザーイ、テルアビブ、パールハーバー」で行ってみましょうか。

冗談だと思いますか?

イスラム原理主義のある指導者が、自爆戦闘は日本に学んだと語っていました。すなわち、日本軍のカミカゼ攻撃と日本赤軍のリッダ闘争です。

どちらも世紀の大愚行というしかありません。しかしイスラエルの圧倒的テロルの前に一切の希望のないパレスチナ人民が、カミカゼ攻撃、リッダ闘争に範を求めるしかないのだとしたら、われわれ日本人民は、パレスチナ民衆と連帯して、イスラエルとアメリカ帝国主義打倒に向け、第二、第三、無限のカミカゼ攻撃、リッダ闘争に決起する道義的責任があります。それが嫌なら、カミカゼ攻撃とリッダ闘争を超える闘争のビジョン、希望を創り出していく責務があるということですね。

引用した森達也『悪役レスラーは笑う』には、ノンフィクション作品として、辛口の採点をせざるをえません。しかし、『プロレススーパースター列伝』などを愛読した世代には、誠に楽しい本であることも事実でした。ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ルー・テーズはもとより、大日本プロレスを創設したグレート小鹿、渡米して獄中生活を巌流島対決のマサ斎藤、交通事故で半身不随になった上田馬之助、2008年に亡くなったグレート草津、グレート東郷がマネージャーをつとめた「カナダの密林王」グレート・アントニオなど、なつかしいスターたちのオンパレードなのです。



『トラ・トラ・トラ』は、東宝と決別したばかりの黒澤明が監督する予定でした。しかし、ハリウッドの映画手法と合わず、監督を降板しています。

この黒澤版『トラ・トラ・トラ』がこの世に存在したとして、その映画は成功したでしょうか? 

うーん?

疑問符をつけざるを得ません。

柏木隆雄先生の『フランス流日本文学入門』の黒澤明論をテキストに、「れん父」は『影武者』についてこんな感想を語っています。

あのラストシーンは、最新兵器の銃で武装した織田・徳川連合軍がアメリカ軍で、旧式の武器でバンザイ突撃してていく武田軍が日本軍、という図式なのかもしれないね。影武者が最後に、「風林火山」の旗を拾おうとして、力尽きるところも、連隊旗を守って死んで行く兵士の忠勇美談そのままだ。戦国最強を誇った武田騎馬軍団を、大日本帝国海軍のメタファーと捉えると、この作品は、黒澤が降板させられた『トラ・トラ・トラ』へのアンチテーゼ、あるいはリベンジだったのかもしれないな。(中略)真珠湾攻撃を勝利に導いた帝国海軍の機動部隊は、ミッドウェー海戦で無残に壊滅した。そういう見方をすれば、『影武者』は、『トラ・トラ・トラ』の「続編」にあたるわけだ。

一ついえるのは、この『影武者』が、勝新太郎が奇跡的に降板することもなく(これもまた考えにくいのですが)、黒澤のイメージどおりの作品になったとしても、駄作であることには変わらなかったろうと私は思います。

そんなお父さんに対して、黒澤監督をフォローしようとしたり、突然「提督」として熱く戦史を語り始めたりするれんちゃんはかわいいですね。



ここからは、昨夜のエントリのマクラの文章の再録です。

マクラにしてはやたら長かったので、こちらに再録することにしました。

前回取り上げた太宰治の「十二月八日」は、大塚英志氏が戦中の軍国プロパガンダの事例として批判的に取り上げていました。少女カルチャー、いま風にいえば「萌え」(半ば死語ですが)も、戦意高揚に最大限に動員されたのだという趣旨の批判です。

たしかにその批判は当たっています。

若いころお世話になった、ある旧制女学校出身の方は、戦地の皇軍兵士に慰問袋を送っていた思い出をこう振り返っていました。

「女学校のお隣は、旧制中学校だったの。でも、当時は男女七歳にして席を同じゅうせず、の時代でね。わたし、家族以外の男の方と話したことなかったの。でも、戦争のおかげで、すぐお隣の旧制中学校の男の子とはお話したこともなかったのに、遠く離れた戦地の兵隊さんとはお手紙のやりとりができたのよ」

彼女もまた、大塚氏風にいえば、戦意高揚のプロパガンダのために利用された「ロリータ」のひとりなのでしょう。

しかし、太宰は他の文学者のように戦争協力の過去、すなわち『はだしのゲン』の鮫島伝次郎であった黒歴史を否定しようとはしませんでした。少し長くなりますが、引用しますね。


私たちは程度の差はあっても、この戦争に於いて日本に味方をしました。馬鹿な親でも、とにかく血みどろになって喧嘩(けんか)をして敗色が濃くていまにも死にそうになっているのを、黙って見ている息子も異質的(エクセントリック)ではないでしょうか。「見ちゃ居られねえ」というのが、私の実感でした。
実際あの頃の政府は、馬鹿な悪い親で、大ばくちの尻ぬぐいに女房子供の着物を持ち出し、箪笥(たんす)はからっぽ、それでもまだ、ばくちをよさずにヤケ酒なんか飲んで女房子供は飢えと寒さにひいひい泣けば、うるさい! 亭主を何と心得ている、馬鹿にするな! いまに大金持になるのに、わからんか! この親不孝者どもが! など叫喚して手がつけられず、私なども、雑誌の小説が全文削除になったり、長篇の出版が不許可になったり、情報局の注意人物なのだそうで、本屋からの注文がぱったり無くなり、そのうちに二度も罹災(りさい)して、いやもう、ひどいめにばかり遭いましたが、しかし、私はその馬鹿親に孝行を尽そうと思いました。いや、妙な美談の主人公になろうとして、こんな事を言っているのではありません。他の人も、たいていそんな気持で、日本のために力を尽したのだと思います。
はっきり言ったっていいんじゃないかしら。私たちはこの大戦争に於いて、日本に味方した。私たちは日本を愛している、と。
そうして、日本は大敗北を喫しました。まったく、あんな有様でしかもなお日本が勝ったら、日本は神の国ではなくて、魔の国でしょう。あれでもし勝ったら、私は今ほど日本を愛する事が出来なかったかも知れません。
私はいまこの負けた日本の国を愛しています。曾(かつ)て無かったほど愛しています。早くあの「ポツダム宣言」の約束を全部果して、そうして小さくても美しい平和の独立国になるように、ああ、私は命でも何でもみんな捨てて祈っています。
しかし、どうも、このごろのジャーナリズムは、いけませんね。私は大戦中にも、その頃の新聞、雑誌のたぐいを一さい読むまいと決意した事がありましたが、いまもまた、それに似た気持が起って来ました。
 
太宰はこう語っていますが、『惜別』『黄村先生言行録 』など、戦時下にあっても、軍国主義下のナショナリズムをおちょくるパロディ作品も手掛けています。作品は失敗に終わりましたが、こころまでは屈服していない。

中国文学に不案内な「れん父」が、「13歳」にこだわりを持つ夏目かこちゃんに魯迅について教えを乞う次のエントリは、「文学少女 五十鈴れんの冒険」でもお気に入りのエピソードです。太宰が『惜別』に込めたものはなんだったのか。



このダイアローグに登場する「夏目かこ」は、「マギアレコード」で、「五十鈴れん」が登場するまでイチオシのマギレコオリジナル魔法少女でした。このブログでは、れんの幼馴染という、本編にはない設定が与えられています。

このダイアローグの前半部は、れんちゃんの絵本の読書遍歴、「本の虫」のかこちゃんの愛読書であるお父さんの源氏物語論など、本編に関係ない話です(そこがまた、楽しい部分でもあるのですが)。『惜別』に関する話は、ダイアローグの後半です。

「お父さん」は、竹内好が太宰の『魯迅』を批判していたことは知っていましたが、毛沢東崇拝者の竹内好の「読解力」について、そもそもどこまで信頼していいのか疑問視していたようです。

「お父さん」は、太宰の『魯迅』について、「失敗作」としつつも、「失敗作にこそその作者の本質が表れる」と、こんな風に語っています。

親切な藤野先生や友人たちが魯迅を引っかき回す『惜別』と、「善意の悪人」たちが主人公を傷つけ苛む『人間失格』との類似性は、柏木先生のこのテクストで初めて気づきました。「宿のどてらに着換えたら、まるで商家の若旦那」という描写は、たしかに太宰の青春の自画像であり、戯画像ですね。これがまあ、失敗の理由でしたが、失敗作にこそ作者の本質がよく表れる。(中略)
あなたとお話していて、太宰が魯迅に関心を持った理由が、きょう初めて腑に落ちましたよ。漱石や鴎外、そして芥川龍之介という共通のバックボーンを持った二人は、文学を通じて固く結ばれていたのですね。それは日支和平や日中友好という政治的なテーマを超えた、より本質的な人間の連帯の可能性というか、魂の尊厳をかけた連帯だった。

太宰の『魯迅』は失敗作に終わりました。しかし、政治的なテーマを超え、より本質的な人間の連帯の可能性、魂の尊厳をかけた連帯を求め続けた魯迅の文学も、太宰の文学も、永遠なのです。




六甲高山植物園で、チベットの民族衣装に扮して、れんちゃん父子を迎える夏目かこちゃん。


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