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(読書メモ)鹿島茂『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』

2017年07月13日 | 読書
 鹿島茂『失われたパリの復元―バルザックの時代の街を歩く』を入手した。 
 われながら贅沢な買い物だったけれど、嬉しい。
 本書については、またどこかで取り上げてみたい。
 鹿島さんのお名前を知ったのは、20年以上前、『馬車が買いたい!』だった。
 いつか読もうと思いながら、同書はまだ手にできていない。偶然手にした『セーラー服とエッフェル塔』は無類に楽しい本だった。

 完全に文学畑の方かと思っていたので、トッドに関する著作を出していること自体が驚きで、興味をひかれた。
 新書カバーの解説より。

 〈英国のEU離脱、トランプ当選などの「予言」を次々と的中させ、いま世界中で注目を集めているフランスの人類学者エマニュエル・トッド。
 なぜ、トッドの予言は的中するのでしょうか?
 明治大学で人気の「トッド入門」講義を一冊にまとめた初の解説書。
 「あらゆる問題は、彼の家族システムという概念で説明できる」〉

 この家族システムを、本書口絵より引用してみる。



 「家族類型とイデオロギーには相関関係がある」というトッド理論は、発表当時は、結びつきが強引だとして非難を浴びたという。
 「家族類型がすでに決まっているのなら、もう動かしようがないし、人間はその家族類型から演繹される無意識に縛られているのだから、もう手の施しようがないではないか」と。 
 たしかに私もそう感じる。「○○人だから」決めつけるのも、決めつけられるのも、ほんとうにいやなものだ。
 しかし、著者によれば、そういうレッテル貼りのことではない。むしろ逆だ。
 いきなり「あとがき」からの引用となるが、

 〈家族類型から導かれている無意識を頭に入れておけば、行動の範囲や選択肢は、逆に広がります。というのも、自分を縛っているものが何であるか、その正体を突き止めることができるようになるからです。家族類型という「無意識」にあるものを「意識」に浮上させることによって、私たちは「自由」を得ることができるのです。〉

 私はこの指摘に、「人間は自分自身の歴史を作る。しかし思い通りにではない。すぐ目の前にある、あたえられ、持越されてきた環境のもとでつくるのである」という老マルクスのことばを思い出した。「存在が意識を規定する」とは、集団と個人の関係に置き換えれば、「集合的無意識が個的意識を規定する」ということでもあるからだ。

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