新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

天皇制というカラクリ

2011年05月19日 | 大阪
橋下知事「国歌斉唱で起立しない教員は免職」

 大阪府の橋下徹知事は17日、入学式や卒業式の国歌斉唱時に起立しない府立学校や公立小中学校の教員を免職する処分基準を定めた条例を9月の定例府議会に提案する考えを示した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110517-00000478-yom-pol

 橋下、またやってくれたなあ。

 国会でも〈国歌〉斉唱しない。共産党・社民党は、いわゆる国家国旗法に反対票を投じている。以下は法制定前のコメントだけれど。

共産党
http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/990927_faq_kimigayo.html
社会民主党
http://www5.sdp.or.jp/central/timebeing/kokki0611.html

 近代以降、帝国主義のアジア侵略のシンボルの日の丸、天皇制を讃美する君が代を認めないというのが、左翼の基本的立場である。こんな理由で免職を認めたら、共産党員・社民党員・新左翼の党員は、大阪では教師になれなくなってしまう。これは憲法の定めた思想・良心の自由に反する。国や地方公共団体の権力乱用を防ぐために、憲法は憲法遵守義務を定めているのだ。


 しかしもとをただせば日章旗は幕府軍の旗で、新政府軍は菊の旗。日の丸は「賊軍」の旗ではないのか。

 このことを指摘したのが、『全国こども電話相談室』で知られる、僧侶・教育者の無着成恭さんだった。

 日の丸は、1870年に商船規則(明治3年太政官布告第57号)に、「御國旗」として規定され、日本船の目印として採用された。しかしあくまでも太政官布告で、法制化されたわけでない。1931年、日章旗を国旗にする法案が上程されたにもかかわらず、可決成立までに至らず、廃案となっている。

 無着成恭さんは、この廃案の理由を、「賊軍」の旗の正式採用が天皇制の否定につながるからでないかと、推測している。逆説的ではあるけれど、「賊軍」とされた東北人の立場から日の丸は認めるけれど、君が代には反対というのが、無着さんの主張である。これはこれでアリだろう。

http://www.ywad.com/books/434.html
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/448.html


 しかし、藤原氏の昔から、最も天皇を冒涜する者が、最も天皇を崇拝してきたというのは、坂口安吾の重要な指摘である。私の好きな『源氏物語』は、その歴史のカラクリを暴露するテクストでもある。天皇になれず臣籍降下された皇子が、中宮を犯したてまつり、不義の子を天皇に仕立て、政権を簒奪する物語なのだから。

〈やまと魂〉に関する覚え書き
gold.ap.teacup.com/multitud0/231.html

 戦争でも、原発事故でも、誰も責任をとろうとしない、思考停止と無責任の体系の頂点に、天皇がいる。だから私は日の丸も君が代も認めない。

 敗戦直後の青年に大きな影響を与えた、坂口安吾のことばを引用しておこう。

 「たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!
 我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ちむかい、土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨めとも又なさけない歴史的大欺瞞ではないか」(「続堕落論」)

 天皇が代替わりして20年以上がたつ。いまや〈アイドル〉や〈萌えキャラ〉と化した、一見人畜無害な「J天皇制」。

 現天皇には、戦争責任はない。それどころか、過去の戦争の反省や謝罪のために、積極的に皇室外交に取り組んできた。しかし、この天皇の動きは、憲法九条改正や資本のグローバリゼーションと、一体の動きだったことを忘れてはならないと思う。

 女性天皇も、過去の戦争のイメージを払拭するために、〈平和的・文化的な国家の象徴〉が必要だという時代の要請である。

 「平和」と「民主主義」の幻想に絡め取られているうちはだめなんだね。平和と繁栄の象徴である君主は、いつの時代にも死や暴力と隣り合わせなのだから。王朝絵巻の雅な平安京が、死体が転がり、鬼や物の怪が跋扈した魔都でもあったように。

 第二次大戦はおろか、平安時代でさえ、決して過去のものではないという、透徹した時代批判が必要なのである。



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