goo blog サービス終了のお知らせ 

新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃん姉妹とお父さんの日々。

新町幻想

2010年04月23日 | 読書
 『大阪春秋』春号は新町特集。

 住吉大社について少し調べていたら、「新町と御田植神事」を読むようにと薦めていただいた。この神事で中心的な役割を果たす「植女」(うえめ)が新町の芸妓から選ばれた経緯などが解説してある。

 「島原の太夫に、江戸吉原の張り持たせ、長崎丸山の衣装着せ、大坂新町の揚屋にてあそびたし」

 西区新町エリアを歩いていても、歴史上有名な「新町遊郭」と結びつくことはなかった(得意先もあったというのに)。

 戦災で焦土と化したため、今や完全にビル街。昔の面影は残っていない。それは付録の「なつかしの昭和・新町戦前住宅地図」を見てもわかる。

 この付録を裏返して、「直撃を免れた日本出版配給統制」の写真に目を奪われた。空襲で直撃を免れたビルの前に、大きな池ができている。ビルは戦時下の統制経済下の「日本出版配給統制株式会社」。昔の新町演舞場、現在の大阪屋である。

 一トン爆弾が落とされた跡に、雨水がたまってできた池だと解説してある。学校のプールほどの大きさに見える。取材に答えた陸上自衛隊によると、十メートルから二十メートル前後だろうとのこと。『酔いどれ天使』のメタンガスの涌く闇市の沼も、爆撃の跡だったのだろうか。

 ビルは直撃を免れたが、地下室は火災になり、死者も出た。大阪屋の地下室には、その戦災の傷跡が当時のままに残っている。このルポは貴重な現代史の記録。

 貴重といえば、新町遊郭のサービス・チケットも発見だった。こんな話は見たことも聞いたこともない。

 モダンなデザインで英語表記。寄贈当初は戦後の進駐軍相手のものと考えられたようだ。しかし調べると、戦前、それも1930年頃のものだったという。不況対策として、新宿遊郭、飛田遊郭からサービスチケット制度が広まり、新町・吉原にも波及したもの。

 図版を紹介できないのが残念。文字だけ抜書きしてみる。

  THE ENJOYMENT...
  TICKET
  EROTIC SERVICE

  本美島家
  ¥1.00 1/3HOUR


 20分ごとに1円。単純比較できないが、今の貨幣価値で3千円くらいか。〈歌舞伎町案内人〉の李小牧が、日本はプライドを切り売りできる唯一の国だと書いていたのを思い出す。

 イラストは当時流行のタッチだったのに違いない。当時のデザインの参考までに『昭和五年 広告年鑑』
 
 ニシゆかりの文学者たちの記事に目を通した。
 梶井基次郎。確かに、靱公園には『檸檬』の文学碑があった。
 百田宗治。『どこかで春が』の作詞者だと初めて知った。
 三好達治。梶井基次郎と関係があったとは知らなかった(同人誌をやっていた)。ボードレールの『巴里の憂鬱』の全訳が処女詩集『測量船』より先だったことも知る。
 岡部伊都子。一冊も読んだことがない。柔和な笑顔に見入る。長い間、近づかないできた世界。

 (近代詩のリンクを踏んでいるうちに、ヴェルレーヌがランボーに送った詩に巡り会い、少しもらい泣きしそうになる)

 かつて、新町は桜の名所だった。新町九軒桜堤の跡に、加賀千代女の句碑がある。何度も目の前を通ったはずなのに、いつも駆け足で全く気づかなかった。

 「だまされて来て誠なりはつ桜」

最新の画像もっと見る