花の詩山の詩

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このブログは「花と山とを友として」の続編です

筑波山麓の観察会は古道歩き

2018年02月20日 00時08分53秒 | スポーツ・トレッキング
昨日、筑波山ファンクラブの観察会に参加して、山麓に残されている古道を歩いて
面白い発見が有った
オリンピックを見ていて時間が無くなったので、本日は興味のある部分の写真のみ
掲載します


9時半に、ふれあいの里駐車場に集合して、ふれあいの里の「コナラの道」を歩き
林道白滝線を下って、白滝神社により神社下の橋を渡って「しらたき道」を登り
「かえる石」とか「トトロ石」とか呼ばれる石を眺めて、再び林道白滝線に抜けると
そこは、最も古いと言われる「府中街道」との合流場所で、左に入っていくと
東山に抜ける道である

ここでガイドをしていたNさんから面白い昔話を聞いた
昔、八郷に化け物のようなネズミがいる家があり、困り果てた家主が白滝神社あたりに
住んでいた坊さんに、ネズミを退治してくれるように頼んだら、坊さんが12匹の猫を
連れて、その家に行った。
その夜中にものすごい鳴き声と暴れまわる音がして、朝になって覗いてみると、1匹の
大ネズミと12匹のネコが血だらけで死んでいたという。
哀れに思った家主が坊さんとともにその猫とネズミの死骸の塚を作って葬ったという
その13の塚が有るので、十三塚と呼ばれるようになったのが八郷の十三塚だという


白滝神社の下の橋を渡って「しらたきみち」に入ると途中に「かえる石」とか
「トトロ石」とか呼ばれる面白い大石が有る
誰か丸い目玉まで書き入れてある
Nさんの説明によると、このしらたき道は、府中街道を歩いてきた人が、白滝神社に
お参りするために歩いた道だそうである。
(林道白滝線も無かった古い時代の話なので、現代人にはなかなかわからないかも)

林道白滝線から東山に向かって「府中街道」を歩くと、小さい橋を渡るとそこは
ガードレールのある県道42号線の車道に突き当たる
ガードレールの間から出て、車道をしばらく右に登っていくと、S字カーブのように
曲がった先の左側に、やはりガードレールの間から入る「府中街道」の入口がある
そこから右下に下っていく道は、藪漕ぎの道で猪の掘った穴や排水溝が有ったり
ぬかるみが有ったりするが、ふみ跡がついているのでわかると思う
地図には載っていないが、れっきとした県道なので茨城県と書かれた道標があり
電柱もたっている(但しどこにも府中街道の案内標柱は立っていないので注意)


砂防ダムの下に、近くの花街の身寄りのない女性たちが死んだとき、その供養を
したと思われる「流れ灌頂(かんじょう)跡地と思われる場所だとNさんが説明した場所
補足説明、流れ灌頂については、稲荷宮の次に出てくる「句碑」の説明板に「流れ官女」
と書かれていたが、ネットで調べても詳しい説明がなかったので、同様の意味を持つ
「流れ灌頂」を採用した。しかし、この地方では「流れ官女」と呼ばれていたかも
しれないので、その場合はお詫びいたします。

その先は道も広い林道状になり、作業車の回転場と思われる広場もあった


まるで京都の伏見稲荷のように、赤い鳥居が立ち並ぶ「稲荷宮」があった


赤い鳥居の列


苔むした一枚岩の上に建つ稲荷神社、見上げると正一位行人塚稲荷大明神の文字が見えた


稲荷宮から舗装路になり、すぐに立派な「句碑」が立っている場所につく
傍らに句碑建立の由来が建っていた


句碑建立の由来


建立の由来をトリミングで拡大した写真
ここに「流れ官女」と記載されていた


中略

筑波六井の「香の井」の直前に鉄の檻に入っている猪を見た

死んでいるのかと近くに行った人が、突然立ち上がった猪にびっくりして
逃げる一幕も有った


東山の町並みに現在建築中の茅葺(かやぶき)屋根の民家
所有者の了解を得ているということで、ここの裏で昼休みとなった
何しろ風が冷たくて寒いので、風の当たらない山側の土手で日を浴びながら
食事となった


筑波山神社の東側に、「白雲橋」が架かっている、白雲橋コースの起点だ
右の家は神社などへのお札を作っているという木工所


橋を渡った神社側に、土木学会が選奨遺産に選んだ石積砂防ダムの
案内板が立っている
この案内板の右下に、白雲橋の標柱が写っている
筑波山登山道の一つ「白雲橋コース」の名前の由来がここにあったとは
私も初めて気が付いたのだった。

少し写真と説明文を追加しました。

お終い







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