日本で一番多いという姓名の「佐藤」のルーツの一つに、佐野市の藤原氏だという
説があります。
佐野の「佐」と藤原の「藤」をとって「佐藤」になったと説です。
もう一つは、藤原秀郷の五世の孫、公清が「左衛門尉」だったので「左衛門尉」の
「左」を付けて「左藤」としたのが始まりで、のちに縁起を担いで人偏をつけて
佐藤になったと言われています
ということで、家内が東京に出かけた後、10時過ぎに自宅を出て佐野市の
唐沢山城跡に佐藤のルーツを探すハイキングに行きました。
佐野市の唐沢山は、平将門と戦って勝った「藤原秀郷」が城を築いた場所で
徳川初期に山城禁止令が出されて廃城になるまで、山城のあった場所です。
現在は、明治期にその子孫や関係者が集まって、本丸跡に神社を建立して
「唐沢山神社」となり、県立自然公園や国指定の史跡になっています。
参考までに、唐沢山神社のHPはこちらです
また佐野市のホームページの観光・イベントのページに文化財の項目があり
そこに唐沢山城跡の資料が掲載されています
唐沢山城跡の入口に立っている案内板、沿革が説明されている
唐沢山城跡入口
入口内に建っている「国指定史跡 唐沢山城跡」の石碑
ところが、中に入って歩くと、そこは紅葉の絶景だったのである
という訳で、まずは紅葉の写真から紹介
この時期にこんな紅葉が見られるなんて、思っていなかったので、思わずウハウハで
撮って回った。
説があります。
佐野の「佐」と藤原の「藤」をとって「佐藤」になったと説です。
もう一つは、藤原秀郷の五世の孫、公清が「左衛門尉」だったので「左衛門尉」の
「左」を付けて「左藤」としたのが始まりで、のちに縁起を担いで人偏をつけて
佐藤になったと言われています
ということで、家内が東京に出かけた後、10時過ぎに自宅を出て佐野市の
唐沢山城跡に佐藤のルーツを探すハイキングに行きました。
佐野市の唐沢山は、平将門と戦って勝った「藤原秀郷」が城を築いた場所で
徳川初期に山城禁止令が出されて廃城になるまで、山城のあった場所です。
現在は、明治期にその子孫や関係者が集まって、本丸跡に神社を建立して
「唐沢山神社」となり、県立自然公園や国指定の史跡になっています。
参考までに、唐沢山神社のHPはこちらです
また佐野市のホームページの観光・イベントのページに文化財の項目があり
そこに唐沢山城跡の資料が掲載されています
唐沢山城跡の入口に立っている案内板、沿革が説明されている
唐沢山城跡入口
入口内に建っている「国指定史跡 唐沢山城跡」の石碑
ところが、中に入って歩くと、そこは紅葉の絶景だったのである
という訳で、まずは紅葉の写真から紹介
この時期にこんな紅葉が見られるなんて、思っていなかったので、思わずウハウハで
撮って回った。