花の詩山の詩

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このブログは「花と山とを友として」の続編です

それでも又日は昇る

2019年11月16日 20時57分53秒 | 詩・俳句・短歌

曙の空が、オレンジに染まり朝焼けを期待したが、それもつかの間で
あっという間に薄れて、小貝川の霧が流れていく


小貝川の福岡堰付近から見る左筑波山、右宝篋山

川霧に包まれていく福岡堰


川霧たつ小貝川と残月


濃霧に包まれて朝日が出た


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夢懐かしくふるさとの山

 桜 釣山 坂道を 
 登れば西に須川岳(栗駒山)
 二人で仰いだ雪の山

 言葉すくなにうつむいた
 君のうなじに散る桜

 あれから過ぎし幾星霜
 頭は白く変われども
 変わらぬあの日を夢に見る

 変わらぬあの日の思い出を


(私を励まそうとポチしてくださった皆さんに感謝を込めて)

注釈 釣山(つりやま) 岩手県一関市の田村藩の城山で桜の名所で
   現在は釣山公園と呼ばれる
   田村藩は、伊達政宗の正室が福島の三春の戦国大名田村氏の娘(愛姫)であった
   事から、三春の田村氏の改易を嘆き、愛姫と伊達政宗との間に生まれた
   2代忠宗に、忠宗の三男の宗良に田村氏を継がせる様に頼んだという。

   愛姫が亡くなった年に、忠宗は宗良に岩沼3万石を与えて田村藩としたが
   最初の一関藩主伊達宗勝が伊達騒動で土佐に配流された後に滅亡したので、岩沼
   3万石から一関3万石へ宗良の子、田村建顕を移した。これは幕府の意向を受けた
   ものだと言われている。伊達の一分藩に過ぎない田村藩であったが、将軍綱吉の
   奥詰として側近をしていたので(建顕の時代)、大名扱いで江戸に上屋敷があった。
   その上屋敷で、赤穂事件の浅野長矩が切腹したのは知られている。
   なので田村家の菩提寺祥雲寺には、浅野長矩の供養塔がある。



       
   




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