今回は、小川町にある高見城について書きたいと思います。
1985年頃と言えば、大学受験そっちのけで、城を探して山野を放浪する生活をしていました。
食べるのは、里の雑貨屋で売っているパンとまんじゅうばかり・・・。
あの頃は、100円で10個入りという味噌まんじゅうとか売っていたので、そんなものばかり食べていました。
でも、そんなことを繰り返している中で、目が鍛えられたような気がします。
高見城は、増田四郎重富公が、上杉氏によって深谷市と妻沼町にまたがった増田地区から追われ、立てこもった城とされて、
います。江南町から小川町へ向かう途上、関越道の下をくぐらなければなりませんが、そこから南を見ると、
4つの峰がある山を見ることができます。
四津山城の呼び名は、この四つ峰が元になっています。


高見城本丸には四津山神社がまつられており、神社の参道入り口には城址碑があります。
城好きの方は、城址碑を見るとホッとする方が多いと思いますが、わたしもホッとします。
時には、城址碑の写真だけ撮影してお終いにしてしまうこともありました・・・。
腹が減っていると、山登りたくないんだよなあ・・・などと思うこともありました
この時は、比較的、気力が充実してたので本丸を目指して登り始めました。
初めは緩やかな坂の傾斜がググッときつくなって、本丸に到着です。

本丸は大きな広場になっていて、なんだか、お祭り広場のようです。
隣接する郭の写真も撮影した気がするのですが、写真が見つかりませんでした。
荒廃しているというほどではありませんでしたが、それでも、郭の内部の構築物がはっきりわかるというほど
ではなかったです。
下の写真は、本丸と隣の郭を分断する竪堀です。

当時の空堀に熱中していた記憶がよみがえって、(笑)です。
1985年頃と言えば、大学受験そっちのけで、城を探して山野を放浪する生活をしていました。
食べるのは、里の雑貨屋で売っているパンとまんじゅうばかり・・・。
あの頃は、100円で10個入りという味噌まんじゅうとか売っていたので、そんなものばかり食べていました。
でも、そんなことを繰り返している中で、目が鍛えられたような気がします。
高見城は、増田四郎重富公が、上杉氏によって深谷市と妻沼町にまたがった増田地区から追われ、立てこもった城とされて、
います。江南町から小川町へ向かう途上、関越道の下をくぐらなければなりませんが、そこから南を見ると、
4つの峰がある山を見ることができます。
四津山城の呼び名は、この四つ峰が元になっています。


高見城本丸には四津山神社がまつられており、神社の参道入り口には城址碑があります。
城好きの方は、城址碑を見るとホッとする方が多いと思いますが、わたしもホッとします。
時には、城址碑の写真だけ撮影してお終いにしてしまうこともありました・・・。
腹が減っていると、山登りたくないんだよなあ・・・などと思うこともありました
この時は、比較的、気力が充実してたので本丸を目指して登り始めました。
初めは緩やかな坂の傾斜がググッときつくなって、本丸に到着です。

本丸は大きな広場になっていて、なんだか、お祭り広場のようです。
隣接する郭の写真も撮影した気がするのですが、写真が見つかりませんでした。
荒廃しているというほどではありませんでしたが、それでも、郭の内部の構築物がはっきりわかるというほど
ではなかったです。
下の写真は、本丸と隣の郭を分断する竪堀です。

当時の空堀に熱中していた記憶がよみがえって、(笑)です。