淫祠邪教・・・永井荷風が『日和下駄』で、「淫祠」という言葉を用いましたが、
これは、国家に認められていない民間信仰とそれにかかる宗教施設を指しますが、
ここで紹介する馬頭観音を見ると、いつも「淫祠邪教」の語が頭に浮かびます。
熊谷駅そばの星川沿いにあるこの馬頭観音は、子育て馬頭観音と呼ばれています。

馬頭観音は、普通、運搬手段として馬を利用した時代、荷駄を扱う業者らが、
馬の安全や、馬の供養のために祀ったものですが、この、馬頭観音は、なぜか子育てに
御利益があるとされています。


わたしは、東京の大学に通っていた頃、町中にこうした小さな祠が、繁華街の片隅、商店街の片隅、
裏路地にこうした淫祠があるのを見つけて、楽しんでいました。


もっと積極的に写真に収めておけばよかったと後悔しています。
その土地にいるものしか見られない姿があるからです。
淫祠は、静かにたたずんでいますが、彼らも非日常の中で光り輝く瞬間があるのです。
年に1日しかない縁日、夜誰もいなくなった道で、灯明の灯された祠は妖しい魅力を発揮しています。
夜!そう夜です!
そこで、わたしも深夜、街に出てみました。
夜の星川通りは、昔よりもずっと静かになっていましたが、子育て馬頭観音には、灯りが灯っていました。



今度は、いつ地元に帰れるのかわかりませんが、願わくば、縁日の深夜、訪れてみたいと思います。
これは、国家に認められていない民間信仰とそれにかかる宗教施設を指しますが、
ここで紹介する馬頭観音を見ると、いつも「淫祠邪教」の語が頭に浮かびます。
熊谷駅そばの星川沿いにあるこの馬頭観音は、子育て馬頭観音と呼ばれています。

馬頭観音は、普通、運搬手段として馬を利用した時代、荷駄を扱う業者らが、
馬の安全や、馬の供養のために祀ったものですが、この、馬頭観音は、なぜか子育てに
御利益があるとされています。


わたしは、東京の大学に通っていた頃、町中にこうした小さな祠が、繁華街の片隅、商店街の片隅、
裏路地にこうした淫祠があるのを見つけて、楽しんでいました。


もっと積極的に写真に収めておけばよかったと後悔しています。
その土地にいるものしか見られない姿があるからです。
淫祠は、静かにたたずんでいますが、彼らも非日常の中で光り輝く瞬間があるのです。
年に1日しかない縁日、夜誰もいなくなった道で、灯明の灯された祠は妖しい魅力を発揮しています。
夜!そう夜です!
そこで、わたしも深夜、街に出てみました。
夜の星川通りは、昔よりもずっと静かになっていましたが、子育て馬頭観音には、灯りが灯っていました。



今度は、いつ地元に帰れるのかわかりませんが、願わくば、縁日の深夜、訪れてみたいと思います。
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