本日は、奈良梨陣屋跡について書きたいと思います。
奈良梨陣屋は、信州の名族諏訪氏が、徳川家に従い関東にに入った時、
所領として与えられた当地に築いた陣屋です。
県道11号線を小川方面に向かうと、奈良梨の交差点がありますが、
そこに大きな鳥居があるので、すぐにわかります。八和田神社の境内が館跡になります。
調査日は2018.02.07です。
八和田神社は、長い参道が往時の盛んなころを忍ばせます。


ここには、過去数度きたことがありますが、初めて来たのは1985年の秋の頃だったと思います。
当時は、村の経済の中心らしく、マーケットや飲食店が並び、もう少しにぎわいを感じさせましたが、
今はひっそりとしています。神社の前に一が立つというのは、中世的でいい感じなのですが。

とにかく参道が長いです。



おそらく150mくらいはあると思います。
神社には池がありますが、ここは恐らく館の苑池だったのではないでしょうか。



池には厳島神社がまつられています。


さて、本殿に向いましょう。




境内には、杉の御神木があります。


さて、館の遺構を見ましょう。
奈良梨陣屋に遺構は、八和田神社の境内裏にあり囲む土塁と水堀、空堀です。



土塁は高さがあります。
この辺りはずっと境内裏になります。



境内裏に出口がありますがこの辺りの土塁が一番高いところです。
館跡東側には堀跡があります。
来る季節によってですが、湛水していることがあり、もともとが水堀だったと思われます。



案内板も設置されていました。






堀跡は、神社脇の苑池につながっていたと思われ、こうした点からも、この堀が水堀であったと考えられます。
奈良梨陣屋は、信州の名族諏訪氏が、徳川家に従い関東にに入った時、
所領として与えられた当地に築いた陣屋です。
県道11号線を小川方面に向かうと、奈良梨の交差点がありますが、
そこに大きな鳥居があるので、すぐにわかります。八和田神社の境内が館跡になります。
調査日は2018.02.07です。
八和田神社は、長い参道が往時の盛んなころを忍ばせます。


ここには、過去数度きたことがありますが、初めて来たのは1985年の秋の頃だったと思います。
当時は、村の経済の中心らしく、マーケットや飲食店が並び、もう少しにぎわいを感じさせましたが、
今はひっそりとしています。神社の前に一が立つというのは、中世的でいい感じなのですが。

とにかく参道が長いです。



おそらく150mくらいはあると思います。
神社には池がありますが、ここは恐らく館の苑池だったのではないでしょうか。



池には厳島神社がまつられています。


さて、本殿に向いましょう。




境内には、杉の御神木があります。


さて、館の遺構を見ましょう。
奈良梨陣屋に遺構は、八和田神社の境内裏にあり囲む土塁と水堀、空堀です。



土塁は高さがあります。
この辺りはずっと境内裏になります。



境内裏に出口がありますがこの辺りの土塁が一番高いところです。
館跡東側には堀跡があります。
来る季節によってですが、湛水していることがあり、もともとが水堀だったと思われます。



案内板も設置されていました。






堀跡は、神社脇の苑池につながっていたと思われ、こうした点からも、この堀が水堀であったと考えられます。