尾根筋と、館跡を訪ねて、翌日、再び、設楽氏館跡を訪れました。
この日は、設楽氏祭神の狩所大神、地元では「おかると様」と呼ばれている社。
それに、設楽氏館の井戸を探すためです。
捜索ルートですが、中田正光氏の本では、井戸に行くためには、金沢川に落ちる沢沿いのルートが
使われたようですが。

昨日と同じように、狩所集落に入り歩いていくと、沢沿いに降りる道が見つかります。

テキスト通りに、このルートを使おうと思いました。

非常に手入れが行き届いています。
これが平場であれば、ドロボウ草だらけなんだろうな・・・。
5分も歩かないうちに、すぐに井戸が見つかりました。

しかし、まさかこの井戸じゃないよな・・・石組もないし・・・。
念のために写真を撮影して、奥に向っていきます。
じつは、このルート、入り口の見た目ほどやさしいルートではありませんでした。
途中にいくつか沢があり、細い木を並べて作った木橋が渡されています。

この木橋、絶妙に腐朽が進んでいて、足場確認をしたときに、「もろに踏むとヤバイな」という感覚が伝わってくるのです。
林の管理はきちんとされて、いい感じなのですが、足場が微妙なのです。

また、管理者が違うのでしょうか、林の表情が場所場所で一変して、不安になります。

このルートは、スプーンですくい取ったような、半円形の幅の広い谷がいくつもあり、中州のように取り残された場所に
木が生えています。

足場も滑りやすく、苦心しながら歩いていると、古い社が現れました。
ああ、遂に見つけた・・・。
おかると様


おかると様は、安産・子育ての神様として、地元の方からひっそりと信仰を集めていますが、
元々は、「狩所」の名の通り、狩猟の神様だったといわれています。
そのことは、ふもとの地名が諏訪平という地名であることからも裏付けられる説だと思われます。
諏訪神社には「鹿食免」というお札があることは知られていますが、これは仏教が禁忌としていた
肉食を許すという意味であります。
狩所大神は、おそらく、元々、諏訪社だったのではないでしょうか。そして、狩所大神の安産・子育ては、
シカやイノシシの繁殖を願うものだったのではないかと思われるのです。
社の裏には、下のような大石がありました。

これを磐座として、狩所大神は御祭りされたのでしょう。
おかると様から少し離れた場所に、また井戸を見つけました。

場所的には、中田氏の著書と大体一致していますが、石組は無く、コンクリートで固められていました・・。
とりあえず、この上に、館跡があるはずなのですが・・・。スプーンで掬い取ったような谷が、実は山道を
噛んでしまっているようで、ところどころ道が失われてしまっているようです。
仕方ない。歩けそうな場所をから、斜面を直登することにしました。

斜面を登ると、当てが外れたというか、昨日の、社の平場に出てしまいました。
空っぽになった、社の台を見つめてしみじみ思いました。「なんなんだろう、これは・・」


昨日の西の大きな平場に向います。
そこには、現在この山を管理している男性がいました。丁度お昼休みのようです。
挨拶をしてから、お話を伺うことにしました。
まず、石組の井戸の話を伺ったところ、石組の井戸は狩所大神の傍にある井戸だが、ハイカーらが、
井戸を荒らすようになり、石組を壊して、井戸を埋めてしまったのだそうです。
その井戸はその程度では埋まらないほど深かったため、石組がなくなって、人が転落する可能性があると判断し、
コンクリート枠を作ったということでした。
尾根上の空の社は、屋敷神として祭っていた稲荷様だったそうです。
この尾根上は街道があったので非常に繁盛し、大きな平場は馬つなぎ場として利用されていたそうです。
他にもいろいろお話を伺いました。
折角なので、もう一度、館跡に向いました。



狩所大神はこの桑畑の下にありました。
ただ、現場まで降りると、先ほども書いた通り、途中で道がなくなってしまい危険なので、降りるのは断念しました。
戻り道、桑畑から磁器片が地表に顔を出しているのに気が付きました。
それほど古くないもののようでした。
この日は、設楽氏祭神の狩所大神、地元では「おかると様」と呼ばれている社。
それに、設楽氏館の井戸を探すためです。
捜索ルートですが、中田正光氏の本では、井戸に行くためには、金沢川に落ちる沢沿いのルートが
使われたようですが。

昨日と同じように、狩所集落に入り歩いていくと、沢沿いに降りる道が見つかります。

テキスト通りに、このルートを使おうと思いました。

非常に手入れが行き届いています。
これが平場であれば、ドロボウ草だらけなんだろうな・・・。
5分も歩かないうちに、すぐに井戸が見つかりました。

しかし、まさかこの井戸じゃないよな・・・石組もないし・・・。
念のために写真を撮影して、奥に向っていきます。
じつは、このルート、入り口の見た目ほどやさしいルートではありませんでした。
途中にいくつか沢があり、細い木を並べて作った木橋が渡されています。

この木橋、絶妙に腐朽が進んでいて、足場確認をしたときに、「もろに踏むとヤバイな」という感覚が伝わってくるのです。
林の管理はきちんとされて、いい感じなのですが、足場が微妙なのです。

また、管理者が違うのでしょうか、林の表情が場所場所で一変して、不安になります。

このルートは、スプーンですくい取ったような、半円形の幅の広い谷がいくつもあり、中州のように取り残された場所に
木が生えています。

足場も滑りやすく、苦心しながら歩いていると、古い社が現れました。
ああ、遂に見つけた・・・。
おかると様


おかると様は、安産・子育ての神様として、地元の方からひっそりと信仰を集めていますが、
元々は、「狩所」の名の通り、狩猟の神様だったといわれています。
そのことは、ふもとの地名が諏訪平という地名であることからも裏付けられる説だと思われます。
諏訪神社には「鹿食免」というお札があることは知られていますが、これは仏教が禁忌としていた
肉食を許すという意味であります。
狩所大神は、おそらく、元々、諏訪社だったのではないでしょうか。そして、狩所大神の安産・子育ては、
シカやイノシシの繁殖を願うものだったのではないかと思われるのです。
社の裏には、下のような大石がありました。

これを磐座として、狩所大神は御祭りされたのでしょう。
おかると様から少し離れた場所に、また井戸を見つけました。

場所的には、中田氏の著書と大体一致していますが、石組は無く、コンクリートで固められていました・・。
とりあえず、この上に、館跡があるはずなのですが・・・。スプーンで掬い取ったような谷が、実は山道を
噛んでしまっているようで、ところどころ道が失われてしまっているようです。
仕方ない。歩けそうな場所をから、斜面を直登することにしました。

斜面を登ると、当てが外れたというか、昨日の、社の平場に出てしまいました。
空っぽになった、社の台を見つめてしみじみ思いました。「なんなんだろう、これは・・」


昨日の西の大きな平場に向います。
そこには、現在この山を管理している男性がいました。丁度お昼休みのようです。
挨拶をしてから、お話を伺うことにしました。
まず、石組の井戸の話を伺ったところ、石組の井戸は狩所大神の傍にある井戸だが、ハイカーらが、
井戸を荒らすようになり、石組を壊して、井戸を埋めてしまったのだそうです。
その井戸はその程度では埋まらないほど深かったため、石組がなくなって、人が転落する可能性があると判断し、
コンクリート枠を作ったということでした。
尾根上の空の社は、屋敷神として祭っていた稲荷様だったそうです。
この尾根上は街道があったので非常に繁盛し、大きな平場は馬つなぎ場として利用されていたそうです。
他にもいろいろお話を伺いました。
折角なので、もう一度、館跡に向いました。



狩所大神はこの桑畑の下にありました。
ただ、現場まで降りると、先ほども書いた通り、途中で道がなくなってしまい危険なので、降りるのは断念しました。
戻り道、桑畑から磁器片が地表に顔を出しているのに気が付きました。
それほど古くないもののようでした。