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暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

水房館 1986年(滑川町)

2018-04-16 18:50:21 | 城館跡探訪
滑川町の、嵐山町の鬼鎮神社と市野川を挟んだ対岸の南向き斜面上にあります。

当時この辺りは道路の改修、敷設工事が盛んに行なわれ、埃だらけの砂利道を

自転車をガタガタ言わせながら走っていました。5月頃でしたから、汗ばみ、

埃の立つのも鬱陶しかった記憶があります。


水房の館は地元ではそれなりに著名で、畑仕事のおじさん、おばさんに道を尋ねると、

親切にこの館跡の思い出について語ってくださいました。

実はこの館跡は、今では80を超えられるような齢の方たちにとって、恰好の遊び場だったんだそうです。

80年代半ばと言えば、農用地の土地利用形態が大きく変化し、粗放的管理の形態の一つとして

クリの木を植えるという方法が登場した時期でもあり、館跡はクリ山になっておりました。

話によれば、水房の館は堀や土塁などがあるわけではなく、数個の塚があるのみだったそうで、

そこを滑り降りたり、チャンバラをしたのだそうです。


当時の私と言えば、城郭の地理学的理解や土地利用のほかに、柳田国男の民俗学や岡正雄の交易史に関心を

持ち始めていて、こういう昔話があると、2時間でも平気で話をしているような嫌なガキでした。





当時、水房の館は粗放的管理のクリ園だったこともあり、中はやぶでした。

勇んで、踏み込んだものの身動きの取れない状態で、わざわざ、だらだら長い緩斜面を中腹まで案内していた

おばさんから笑われる始末でした。

また、日陰に入っているため、当時のコンパクトカメラのストロボなんぞは、何の役にも立たず、

3度も通ったのに、まともな写真はほとんどないという惨状でした。


と、いい思い出のようなことを書いて来ましたが、気になる話を聞かされて、気持ちが悪くなったのも思い出します。

当時、もう、50歳を過ぎた方たちから聞き取りをしたのですが、彼らが異口同音に言っていました。

「親は、おれ達があそこに近づくのを嫌がった」と。

聞くところによれば、薄暗い山の中で、十二単を着た姫様のような女性が現れるという噂があり、

親たちは、それを本気で信じていたらしいのです。

話してくださった方に、悪気があったわけではなく、モノ好きなガキにいろんな話を聞かせてあげようという

サービス精神から出たのだと思いますが、私の気持ちはくじけましたね。

林の中は昼間でも夕方みたいですから、かなり気持ち悪いんですよ。

本当に十二単がでたらどうしようという感じで・・・。

そういう場所というのは、私の経験では他には花園城だけですね。

まあ、しつこく通いましたが、あそこは帰り道が怖いのです。





一応、現場で視認で来た塚状の構築物ですが、何が何だかわからないという、

苦い思い出の館跡です。

増田館(文珠寺)(旧江南町)③

2018-04-16 15:12:28 | 城館跡探訪
文珠寺の門です。



この付近に北側からの土塁があります。




本堂です。







本堂裏は、空堀、土塁が囲んでいた館跡の郭内部です。






山門のある東側、南側には遺構がないのかと言えばそんなことはありません。

竜車上の背後に土塁が残存しています。

この周囲には石塔なども建てられており、後世につくられた築山なのか、土塁や櫓台を利用したのか

はっきりしません。


境内裏を直進しても、かつては遊歩道から確認できた郭内を分割していたから堀は発見することができませんでした。




位置的にはこの辺りでした。上の写真は、土塁の残欠だと思われます。

さらに奥には、築山のようなものがあり、これは櫓台だと思われます。




南側の境内遊歩道を歩きます。






先ほどの櫓台を南側から撮影しました。写真中央なのですが、南側から見ると小さく見えてしまいます。








これは南側の土塁の残欠と思われるものです。

もう、本当に僅かなものです。






増田館は館域が大きいです。

平城で境内内は遊歩道から外れて山の中を見られないのですが、各所にある駐車場から遊歩道伝いに歩けば、

さらに遺構を詳しく見られるかもしれません。この辺りは何とも言い難いですが。