くに楽 2

"日々是好日" ならいいのにね

徒然(つれづれ) 第二十七話

2019-04-09 13:58:28 | はらだおさむ氏コーナー

初 一 念

 

  いま書棚からやっと探し出した、平山郁夫画伯の画文集『西から東にかけ 

 て』(中公文庫、1991年11月刊)を眺めはじめている。

  付表年譜によると、この15年前に本書は中央公論社から出版され同年6   

 月「シルクロード展」により第8回日本芸術大賞を受賞されているが、中国へは翌77年招待を受け初訪中、チベットにて「西蔵布達拉宮」を描き院展に出展、その翌年から堰を切ったように画伯の訪中が続く。薬師寺の「大唐西域壁画」も高田好胤元管主(法相宗管長)の要望を受け、20余年の歳月をかけ完成されたものである。

  平山画伯は15歳のとき広島で被爆、まさに地獄を見たその体験と後遺症に悩まされながら中国の僧玄奘三蔵法師の旅路に心を寄せ、描き続けた。

  「昭和六十一年(一九八六)九月の中国・西域南道の旅は、総計五千五百

キロに及ぶ行程となった」(“砂漠の波乗り”)、「中国の僧玄奘が、仏法の真理を求めて天竺に旅立ったのは、西暦六二九年のことである。唐の都長安からひたすら西に向かい、玉門関、天山南路を経てヒンドゥークシュ山脈を越え、はるばるインドにたどり着いた玄奘は、意に反して仏法がまさに滅びなんとしているのを目の当たりにし、地に体を伏して嘆く」(“玄奘古道”)。苦難十数年、玄奘が開いた法相宗はいま薬師寺につながり、玄奘三蔵求法の精神を描いた平山画伯の「大唐西域壁画」は同寺に奉納され、春秋二回公開されている。

 

 近鉄西ノ京駅に降り立ったのは、あのとき、平山画伯の「大唐西域壁画」奉納の式典参列のとき以来だから、もう十数年の歳月が流れている。

 あのとき東塔はまだ解体修理前で、その律動的な美しさでこの式典を見守っていた。

 そのあとであっただろう、2001年8月の夜 玄奘三蔵院伽藍前で催された喜多郎のライブは、テレビで観た記憶がある。

CDを取り出しイヤホンをあてる。

イントロは薬師寺僧侶の読経ではじまった・・・、そしてお馴染みのシルクロードのメロディなどを耳にしながら、九十年代の後半、友人たちと回った西域の旅の思い出が脳裏を走る。

 

薬師寺から唐招提寺への道のりは前回に比し往来の車の多さに悩まされ、思うように足が進まない。同行の友人たちの計らいで、目についた食堂での小憩となる。

わたしは唐招提寺へは今回で三度目だが、最初は承前の平山画伯の式典の後―その時はまだ金堂の解体修理工事は始まっていなかった。

すでに夕刻近くで、金堂には入れずその裏手辺りをさまよった。なにか畑のようなところにわたしの背丈より少し高い、細い木に紙札がついているのに目が留まった。「趙紫陽総理拝観記念云々」の文字、そのときは何気なく、あぁそうなんだ、来日時に趙さんも拝観されたんだ、としか思わなかったが、帰宅後あの事件で失脚した元総理の拝観記念の植樹がそこにあった、そのことが何か気にかかり、その翌年だったか斑鳩の里見学後、再度唐招提寺に足を運んだ。すでに金堂の解体工事が始まっていて、入門は出来なかった。

  それから十余年 中国との仕事も終え、ときおり友人たちと顏を合わしては昔日のことに触れる機会があり、たまたまわたしの心残りの唐招提寺再訪話に地元在住の友人が旗を振ってくれて、今回の集いとなった。その友人の知り合いの方が地元のボランティアガイドをされていて、趙紫陽元総理の拝観記念植樹は現存しているという。

 

  小憩時のこの話で一躍足も軽く、唐招提寺の境内に入る。

  地元の友人は先ず懸案事項を最優先にと一行をその記念植樹先へと案内する、が、わたしの記憶とはどうも反対の金堂の右手の方への坂を登る。御影堂の東を土塀に沿って歩むことしばし、開山御廟への門をくぐると一直線の参道、両脇の一面ビロードのような苔が四囲を引き締める。

  御廟正面の献花台の右に、目指す瓊花(けいか)はあった。

  樹はひょろ長く、すでに3メートルほど、その横の石碑に「中華人民共和国首相 趙 紫陽閣下 手植瓊花」とある。

  確かにあった、が、わたしの記憶にある十数年前、畑のようなところにあった、あの記念植樹との乖離はどう説明できるか。

  ネットサーフィンの結果、中国揚州原産のこの木は、1963年(日中国交正常化の九年前、わたしの初訪中の一年前)中国仏教協会から鑑真和上遷化千二百年記念にと贈られたもの。その後御影堂供花園で栽培され、毎年4月末~5月上旬の開花時に特別公開されている、その苗木を趙総理は植樹されたのであろう。

因みに趙総理の訪日は国交正常化十周年の、1982年5月31日から6月5日の6日間とわかったが、唐招提寺の拝観日は未詳。鏡 清澄レポートによると趙総理他の中国要人の拝観は、鄧小平 国家副主席(1978年10月)、唐家璇 国務委員(2008年2月)、胡錦涛 国家主席(同5月)となっている。

  いま趙紫陽元総理の植樹が御廟正面のところにあるのは、参観時に気づかなかったが御廟の正面左右に刻字されている鑑真和上への弔文によるのではないかと思う。パソコンで見る写真ではその奉文は判読できないが、私見ではこの御廟の改修の際これが刻印され、その完成を以ってここに移植されたものとみたい。

 

  いまを去る60余年前の学生時代、前進座の「元禄忠臣蔵」を観たとき、河原崎長十郎扮する大石内蔵助が“初一念忘するるなかれ”と大音声を張り上げ、胸打たれた思い出がある。

  新しい年を迎えるにあたり、あらためて先人たちの不屈の精神に敬意を表したい。

               (2018年12月13日 記) 

                      

   

     満開時の瓊花@供花園 (写真がありました)

                      趙紫陽 供花記念碑 (写真がありました) 


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