Kudou's blog

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自慢ばかりの人を見るとある諺(ことわざ)を思い出す

2008-08-27 14:30:00 | 短文物語
自慢ばかりの人を見るとある諺(ことわざ)を思い出す

ほんとに自慢している”それ”が素晴らしいものなら、向こうから褒めてくるだろうし世間から大きな評価もされるだろうから、思慮ある者は自慢をあまりしない。なぜなら自慢は自分をどんどん勘違いさせてくれると思慮ある人は知っているからだ。

自分がどれほど素晴らしい人間であるかと証明するために自慢品をお披露目して笑われていることがある。いい例がなんとか鑑定団かもしれない。あれは出品者の自慢の鼻っ柱を折られるのを視聴者は期待してるのだ。
もちろん、番組の中では本物が出品されて大きな驚きもあるだろうがその裏では数えきれない程の応募自慢品が没になっている、だろう。その時点で「自慢者」は自分が落ちているのを知らないからどんどん”なんとか鑑定団応募している”と自慢しているのかもしれない。

そうでなくても、たった一回かそこらの昔に得た評価を自慢してそれを糧として有頂天まで辿り着く者も最近目にした。鍛えられてないとそうなるのだろうと思ってはいたがなんとか頑張って欲しいとサジェスチョンすればすぐ逆切れするとんでもない己知らず者であった。あまつさえやってはいけないことまでやってしまう横暴では何をか言わんやであり、そうなると思い出すことわざがある。
これがそうだ。
「自慢は知恵の行き止まり」
自慢すると自分の現状に満足し知恵の進歩向上なくなるという意味だ。そういう訳で過去の栄光は自分から引っ張り出してわざわざ披露するのをなるべく私は控えている。さもなくば「自慢は知恵の行き止まり」と笑われるだけだ。

しかして最初に書いたように過去の栄光を向こうから褒めてくるということは本当にあるだろうか。ほとんど記憶が無いかもしれない。しかしたまに「この太っちょのメタボおじさん、これでも昔は甲子園球児だったんだぞ」と誰かが褒め、まわりは「へぇ」と驚き感心し見直して、太っちょのメタボおじさんは照れながらも自然と自慢顔になる、そんな風景はこの日本中で毎日起こっていることのようである。



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