とね日記

理数系ネタ、パソコン、フランス語の話が中心。
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遠い空の向こうに(October Sky)

2012年08月26日 23時16分58秒 | 映画
遠い空の向こうに(October Sky)

1999年公開のアメリカ映画。1957年のコールウッドという炭鉱町でおきた実話をもとに制作された。同年10月に打ち上げが成功したスプートニク1号というソ連(現ロシア)の人工衛星に触発され、ロケット制作に取り憑かれた4人の高校生の物語である。友達から勧められたのでDVDを購入して見てみた。元気を取り戻したいときに見る映画だと友達は言っていた。

主人公ホーマーの父親は炭鉱の責任者だ。この町ではほとんどの男子は炭鉱夫になることを運命づけられているので、彼は息子もこの仕事につくことが当然だと思っている。そのような父に反発し、ロケット制作に打ち込む少年たち。全米科学コンテストで優勝し、奨学金をもらって大学に進学して、炭鉱労働者という希望の無い将来とは決別したい。少年たちは、工夫に工夫を重ねながら夢を追い求めていく。

最初の10分でストーリーに引きこまれた。高校生がロケットなど作れるのかという疑問はすぐ解消する。とはいえ真っ直ぐに飛ぶロケットを作るのは至難の業だ。少年たちは試行錯誤を繰り返す。

当時のアメリカ社会、少年たちを取り巻く環境は保守的だ。父親をはじめ学校の校長、警察など危険なロケット制作を阻む条件は揃っている。この映画は単なる「夢追い少年の物語」ではない。父親と息子の対立、人生を切り開くための努力、家族関係、恋愛など、人間のさまざまな有り様が描写され、この作品を名作に仕立てている。

爽やかな感動に包まれる映画だ。控えめで落ち着いた映像がとても心地良いのだ。全編を通じて情感豊かに流れるバイオリンの音色が美しい。

この映画の撮影について思ったことがある。この映画にはロケットの打ち上げが失敗するシーンがたくさん登場する。打ち上げてすぐ軌道をそれて地面に向かって飛ぶロケット、回転しながら地面にたたきつけられるロケット等々。。。撮影のためにあのように「期待どおりに失敗する」ロケットを作るのは大変だったろうなと思った。

90年代まではこの映画のように人間の生き様を描いた作品、ヒューマニズムあふれた作品がたくさん作られていたと思う。

久しぶりに見た感動できるアメリカ映画だった。DVDは993円と安価なのでぜひ購入してご覧いただきたい。

余談であるが原題の「October Sky」の文字を入れ替えると「Rocket Boys」になる。気の利いたアナグラムだと思った。

遠い空の向こうに(October Sky)


予告編:かなりネタバレしているのでご注意を!



昨日お亡くなりになったアームストロング船長にこの映画を捧げます。ご冥福をお祈りします。


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関連ニュース:

帰れない覚悟で偉業 死去のアームストロング船長
http://sankei.jp.msn.com/science/news/120826/scn12082622380005-n2.htm

人類初の月面着陸という偉業を成し遂げ25日に死去した宇宙飛行士、ニール・アームストロング氏(82)は、冷戦下で米ソの宇宙開発競争が過熱した時代に、米国の威信を取り戻した「アメリカンヒーロー」だった。しかし、素顔は“物静かで謙虚”。政界入りを拒みながら、宇宙開発に消極的な政策を厳しく批判する姿に、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の的川泰宣名誉教授(70)は「目立つことを好まないが、飛ぶことが大好きな冒険家だった」と、その死を悼んだ。

「月に行くとしたら、正直にいって帰れるかどうか分からない」

着陸から約20年後、米航空宇宙局(NASA)のある米ヒューストンで的川氏と面会したアームストロング氏は、月面着陸に挑んだ心境をそう語ったという。的川氏は「重厚で無口な印象だったが、月面着陸のことを聞くと目を輝かせ、情熱的に話してくれた」と振り返る。

アポロ11号の船長として飛び立ったのは38歳のとき。着陸時は大きなクレーターを避けながら、安全な場所を見つけて着陸に成功。はしごを下り、左足を最初に月面に着けた。的川氏によると、アポロ11号の同僚、エドウィン・オルドリン氏は「ニールの着陸は本当に見事だった。いつ着いたのか分からないほどだった」と話したという。

東西冷戦時代、ソ連(当時)が1957年に世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げ、61年にはガガーリン飛行士による有人宇宙飛行を相次いで成功させるなか、月面を飛ぶように歩くアームストロング氏の姿は、米国に勇気を与えた。

着陸から4カ月後の69(昭和44)年11月には来日し、外国人として初の文化勲章を受章。銀座で行われたパレードには12万人が集まった。

71年にNASAを辞職した後はマスコミへの露出を控えたが、86年のスペースシャトル「チャレンジャー」爆発事故の事故調査委員会に名を連ねるなど、宇宙・航空技術には強い関心を持ち続けた。

それだけに、米国の宇宙政策の転換には忸怩(じくじ)たる思いがあったようだ。有人月探査の中止を打ち出したオバマ大統領に手紙を出したともいわれている。

的川氏はアームストロング氏の心中をこう推察した。「人間の宇宙飛行が型にはまり、同じようなフライトが繰り返されている。アームストロング氏は大冒険の話が聞けなくなることが寂しかったのではないだろうか」
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6 コメント

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Re: カムイロケット (とね)
2012-08-27 15:29:11
SUBALさん

ブログと動画をご紹介いただき、ありがとうございます。
見事、真っ直ぐに打ち上がっていますね。

気温は低そうですが、打ち上げの瞬間、胸のなかには熱いかたまりがこみ上げてきたことでしょう。
返信する
カムイロケット (SUBAL)
2012-08-27 15:22:52
そうです。カムイロケットの母体は赤平の植松電機と北大の永田教授が作った(株)カムイスペースワークスです。
http://blog.camuispaceworks.com/
こちらの動画です。
http://youtu.be/-TiOQmUIZaY
1月の北海道広尾町ですからね。寒そうです。
返信する
SUBALさんへ (とね)
2012-08-27 13:29:49
> 打ち上げた途端回転をしながら横に跳んで、新聞記者も我々も逃げ惑ったという出来事もありました(笑)。

たいていそういう失敗をして、まともなロケットに近づいていくわけですね。

> 対価が取れるところまで来ているようです。

おお!それはすごいです!カムイロケットというのは、これのことですね。
http://www.hastic.jp/
返信する
Unknown (SUBAL)
2012-08-27 13:16:27
こんにちは

この映画、何度も見ていますが、良いですよね。次第にヒッカム少年の目線から、親父の目線になってきて、涙腺が緩みます。
私のところでも、学生が手作りロケットを作って、新聞社も呼んでお披露目をしたのですが、打ち上げた途端回転をしながら横に跳んで、新聞記者も我々も逃げ惑ったという出来事もありました(笑)。
卒業生がひとり、北海道の炭坑町で行われているロケット開発のチームに入っていて、打ち上げ責任者をやっています。TVを見ていたら、ロケットが制御スタッフがいるテントに落ちてきて逃げている情景が映っていました。でもカムイロケットは、対価が取れるところまで来ているようです。
返信する
Kさんへ (とね)
2012-08-27 09:58:50
コメントありがとうございます。

> ほんと?(^^;。
はい。本当です。打ち上がるだけのロケットは比較的早い段階で登場します。ただ真っ直ぐ飛ぶように作るのは大変なのですね。

いい映画ですよ。
返信する
Unknown (K)
2012-08-27 08:16:16
> 高校生がロケットなど作れるのかという疑問はすぐ解消

ほんと?(^^;。

でも、楽しそうな映画ですね。
実話ベースものって好きです。
返信する

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