徒然に思いをこめて♪

季節のさりげない出来事を、思い出のポケットに仕舞い込むように・・・
あなたの心に届くようにと・・・♪

おひさしぶりです♪

2006年04月22日 | 独り言
ちょっとだけ
生きる事に 消極的になってました。

忙しさからか、頭痛が止まらず
薬の副作用からか 関節痛がひどくて
心も病気になったようで
投げやりになってました

そんな時
頑張らなくても 大丈夫と声をかけてくれた人が居て
頑張るのをやめて 自分を見つめなおしてました

ふと、ベランダの下を見ると
数年前に植えた 名前も判らない球根の花が
満開に咲いてました。
父の闘病から、ほとんど ほったらかしで
見ることもなかったのに
しっかりと 根をはって
今年も 見事に咲いてくれました。

主は、生きる事にも 億劫になってるのに
ちゃんと、誰にも かまって貰えなくても
季節を感じて、そこに咲いてました。

しばらく眺めていたら、花のまわりの
雑草が目について
草むしりも 禁止された手で
草むしりを始めてました。

久しぶりの 素手での土の感触
生きているんだなぁ。。。。



ってことで
復活です♪
みなさま、長らくお待たせしました♪
またまた ガンバ!o( ̄へ ̄o)(o ̄へ ̄)oガンバ!です♪

p(*^-^*)q がんばっ♪ついでに
来月は、新しい資格取得にいきます♪
やっと 前進です♪

はっしゃー

アルソミトラ

2006年03月24日 | 子育て日記
息子の中学時代の学用品を整理してて
学級通信を見つけた
名前は「ルソミトラ
植物の名前です。
ネットで調べてみると、意外に有名な植物のようで
いろいろな事が 書いてあります

アルソミトラAlsomtra macrocarpa)はインドネシアなどの熱帯のジャングルに生えるウリ科のツル植物です。名前は,アルソ(森の)ミトラ(帽子)・マクロ(大きな)カルパ(果実)という意味です。この植物は,スイカのような実が熟すと下部が割れ、写真(大きさは幅が15cm程度,重さは0.2g程度)のような種子がグライダーのように空中を遠く(1km)へ飛んでいきます。
発芽する部分がおもりとなって薄い後退翼を付け、滑空します。 なんと、この種が飛んでいるのを見て、ドイツのタ ウベ飛行機が考案されたのです。この種は、飛行機 の技術向上に多大な影響を与えたのです。


子孫を残すために進化した種
それは 大きすぎず小さすぎず
一番、生きるのに 都合のいい形になったのだと
卒業式の日、話してくださいました。



その「アルソミトラ」を読み返していたら
11月の文化祭の記事が目に止まりました♪
息子の中学校の思い出に
私のブログへの掲載をお願いしたら
快く承諾してもらいましたので
ここに 紹介します


アルソミトラ3
○文化祭 3年5組の感動しました!またしても感動のドラマが!
文化祭の当日は、多数の保護者の参観ありがとうございました。特に3年5組の合唱には、感動されたことでしょう!○○君(とまとの息子)が編曲し、みんなで作り上げた歌。合唱コンクールで、生徒が編曲した曲を歌うということを、未だかってこんなことがあっただろうか?保護者の方もきっと驚いたことでしょう。
 講評の中で、「過程が大切である」というのを言われました。はじめの頃は正直「大丈夫か?」「歌(合唱)になるのかな?」という不安もあったのですが、○○君をはじめとする実行委員や、パートリーダーが中心になり、あの合唱に仕上げました。また、○○君と指揮者のH君で、夜、電話やメールで「ここをこうしよう!」「明日は・・・・」と合唱のために頑張っていました。聞いた人はわかるけど、中学生が編曲した曲?なんて信じられないですね。どの学級の合唱曲にもひけをとらなかったと確信してます。私も聞きながら足が震え、涙が出てきそうになりました。(3年5組のみんなありがとうと心の中で叫びました!)結果は、銅賞ということでしたが、私自身、3年生はどのクラスも金賞で良かったのではと思うくらいすばらしい合唱だったと思います。
 またまた、それにしても、3年5組にはいろいろな困難が起こるなと思いました。何と、コンクールの5日前の体育時間に、伴奏者である○○君の指が「脱臼」………しかし、彼は病院の先生に、取り外しのできるギブスをしてもらい、決して指を固定してもらわなかったのです。「脱臼した指で伴奏?」「代わりの伴奏者はいない!」直前になり、大ピンチ!しかし彼は、指の痛みをこらえながら、火曜日から、ピアノの練習をしていたのです。最初は指が動かなかったとのこと……   そして本番。最高の伴奏で「最優秀伴奏者賞」  またまた感動ですね! すごいの一言ですね!
 今回の文化祭のどれを見ても感じたことが、「中学生ってこんなにできるんだ!」と生徒の可能性の素晴しさを実感したことです。



この文章のとおり
参観に来ていた保護者の皆様が
3年5組の歌に 感動してたようです
普通の合唱曲ではなく、元は歌謡曲
中島みゆきさんの ドラマの主題歌になった曲です

隣に座っていた、下級生の保護者でしょうか?
「感動して涙が出そうになった」と言う言葉を耳にして
うちσ(o^_^o)の息子♪
と言いたいのを、我慢して ニヤニヤになっていたのを
思い出しました
(;^_^A アセアセ

先生の この感動的な通信に感謝
お陰で、いい思い出を忘れずに
ここに残せれます
きっと、このブログをご覧になってるであろう先生
ありがとうございました



余談ですが
中学校を卒業したばかりの息子は、来週
ある高校に「ファゴット」という楽器の指導に行くそうです♪
あまりメイジャーな楽器ではないため
指導者が居なく、高校の先生が息子にお願いに来ました 

音楽的才能は、趣味として
別の道の進もうとしている息子の将来にむけて
p(´∇`)q ファイトォ~♪

卒業式に寄せて♪

2006年03月16日 | 子育て日記
今日、3月16日は息子の卒業式でした
中学校の息子が、たくましく感じた1日でした♪

思えば、この3年間は 命との戦いでした。
父の末期癌の闘病
そして、見取った後は母の癌の手術
やっと落ち着いたかと思ったら
今度は、私の癌宣告と闘病。
手術の日の次の日には、息子が事故で運ばれ
本当に、命を考える3年間でした。

命に振り回されて、息子の成長の確認も怠っていたようです。
いつの間にか、気がついたら たくましくなってた息子でした。
学校のことも、何も協力出来ないままの3年間。
「親はなくとも、子は育つ」
よく言ったものです。
母親に頼ることの出来ない息子は
自然と、自分でやることを身につけ
進学も悩むことなく
本当に親孝行な息子だったと思います。

私の命は、後どれくらいか。。。。
15歳で死ぬと言う宣告を受けて3倍生きてきました。
神様は、中々修行を終らせてはくれないようです。
(;^_^A アセアセ

昔、誰かに言われたことがありました。
「神様は良くしたもので お母さんが、命と戦うのを判っていたのか
子供は、手がかからないように作られたんだね」
その通りかもしれません。

私の闘病は始まったばかり。
あと10年間は続くそうです。
その間、命の尽きる事のないように
神様に、まだまだ 修行をお願いしたいものです。
この、息子が どんな大人になるか
ちゃんと自分の目で見届けられるまで・・・・・
明日に向かって、今日も歩いて行きます。


・・・卒業に寄せて、息子へ・・・

子供へ一首
  どのような
  道を
  どのように
  歩くとも
  いのちいっぱいに
  生きればいいぞ
    ・・・・みつを・・・・
 

いのちいっぱいに生きた、相田みつをさんの詩です。
この詩にたくして。。。。。。



大部屋で ⑤

2006年03月09日 | 命の闘病記
12月6日(火)
朝、洗面所に行った帰りに
88歳のTさんの居る回復室を覗いて見た。
Tさんは、ぐったりとした様子でベッドを少しだけ起こして寝ていた。
家族の人に声をかけたら
「麻酔がまだ 効いてるのか寝てばかりいて反応がない」と言う
私は、Tさんの耳元で
「Tさぁ~~ん」
とささやいた。
すると どうでしょう。Tさんは
「会いたかったぁ~~♪」
と言ってニコニコして私に抱きついてきた
Tさんの家族はびっくり!!
「今まで、声かけても返事もしなかったのに~」
昨日から、付き添いの息子さんやお嫁さんなど
4人ほど来てて
「私たちにもめったに見せない笑顔だ。。。」
と言っていた


「大丈夫やった?全然痛くなかったやろ?」
「まだ手術しちょらんとよ。」
「へ?」
Tさんは寝ている間の事で、痛みもなかったので
手術が終ったと思ってないらしい
(;^_^A アセアセ
「もう、トイレにも歩いていいって言われてるのに動きたがらない」
どうやら ここでも看護師さんの言うことも身内の言う事も
聞き入れてくれないみたいだ。。。。
ヾ(; ̄ ̄ ̄▽ ̄ ̄ ̄;A 汗汗・・・




しばらく話をして体を起こせるようになったので
部屋に戻ると
実習生が私のベッドに遊びに来た。
「私、とまとさんの手術に立ちあったんですが、すごくよく覚えてますよ」
「(・_・)......ン? 私、何かしました?」
「はい、ものすごく明るい方で楽しいオペでした」
へ?????
「とまとさん、ずっと楽しそうに話して みんなを笑わせてましたよ」
「は?それって寝言で???会話にはなってなかったでしょ?」
「いえ、ちゃんと会話してましたよ。楽しい話を」
「誰と話してました?」
「麻酔科の先生や、私たちと♪」
すみません。。。全然記憶にありません( ̄_ ̄ i)タラー


あとで
お友達である麻酔科の先生の奥さんに この事を話したら
「とまとちゃん、覚醒しなかったのは そのせいだよぉ~~
とまとちゃんの口と頭は別々のものだって
最初、先生に言ってないからぁ~~~
麻酔が効いてないと思って追加されたんだよぉ~」


        

私の頭と口が別々って・・・・・
ヾ(; ̄ ̄ ̄▽ ̄ ̄ ̄;A 汗汗・・・

乳癌の手術でリンパを取ると、腕を動かすのが大変らしい
私は、手術直後 麻酔が覚めてない時
手術の方の腕を、ぐいっと動かしたらしい。。。
先生たちが、口を揃えて
「動いてる、動いてる」
と言って、しばらく観察したらしい・・・
(;^_^A アセアセ    





面会時間になると、市内のSさんが
私がもうすぐ退院だって聞き付けて、慌てたように お見舞いに来た
可愛いお花と、でかぁ~~~いメロン付で♪

丁度、ワックスの時間だったので 食堂で 話をして 病棟に帰ると
詰め所の前に、何処かで見た事のあるお方が。。。。

(・_・o)ン? (o・_・)ン? (o・_・o)ン?

鹿児島からTさんが来ていた。
通りすがりに顔を覗きこむと
何処に行ってたのぉ????
と言わんばかリに、追いかけてくる

あれ?ここって病院の病棟だよね。。。。
でもってアタシσ(゜-^*)は患者。。。。
こんなとこで、追いかけっこしてていいの?

と思っていたら、奥からあくびが
「何処いっちょったとぉ~~?捜したがぁ~」
と、これまた追いかけてくる
ヾ(; ̄ ̄ ̄▽ ̄ ̄ ̄;A 汗汗・・・
私って。。。。。。。患者 患者 患者



夕食後、回復室を見るとTさんと目が合ったので ベッドのそばに行ってみた。
「お昼ご飯も、2口くらいしか食べてくれなかったんですよ。。。」
と、看護師さんが困った様子
「Tさん、私と一緒に食べようか?」
そう言って、介助してやると
「最高!!美味しい!」
と言って
私の顔を指差しては、ニコニコの顔
結局Tさんは、ほとんどを完食してしまった

それを見ていた男性の看護師さんが
「とまとさん、僕のこの白衣貸しましょうか?」
と言って、笑っていた
(;^_^A アセアセ

Tさんの夕食後、明日手術の予定の
別の部屋のTさんがやってきた。
「とまとちゃんから元気を貰ったから、手術も怖くなくなった」
そう言いながら、明日のパワーをくださいと言う
(;^_^A アセアセ

その後で
病院の近くのTさん(Tさんばかりだ。。。)が
今日、聞いたと言って
慌てて お見舞いに来た

みんな
有難いね
忙しいのに、本当に有難い







避けては通れないこと

2006年03月06日 | 命の闘病記
闘病記を書いてる内容に
今まで、書けない事実がありました。
なんでもない事なんですが
事実を受け入れるのに、今日までかかってしまった

それは
自分の姿を正面から見た時の話。。。。


12月1日
全身浴の許可が出た日です。

何度も
ガーゼ交換などで
自分の傷は見てきたのですが
いつも首を下の方にかしげて見てる状態で
それも、なくなったほうの傷のみ 見てきました。

この日の午後
入浴許可が出て、久々に全身浴になりました。
お風呂には、何処でもあるような
上半身だけの大きな鏡があります。

私は裸になって
壁にある鏡を凝視出来ないまま
髪と身体を洗いました。
判っていることだけど
自分の姿を見るのは、大変怖かった。。。。

勇気をもって
恐る恐る鏡の前に立ちました

まるで化け物だ。。。。。。

それが私の感想でした。
片方見てるだけでは、そう深く考えてなかったのだけれど
両方を鏡に写すと
ちょっと怖い。。。。

これって女性の身体ではないなぁ。。。。。

目の奥から、暖かいものが流れ出しました。
それはしばらく止まることなく
後から後から流れ出て、お風呂から上がれない状態でした。

これが、私なんだ。。。。
受け入れるしかない。。。。
でも。。。。。

涙をこらえると鼻水になります
目も鼻も真っ赤になって、着替えて出た
初日の全身浴でした。




その後
病室で、カーテンを閉めて着替える私を見た娘が
「お母さんの左って、天使みたいだ」
そう言ってくれました。
娘は、深い意味はなさそうに言ったのですが
私にとっては、救いの言葉のようでした。

全国に居る
片パイの女性のみんなも
きっと、自分の姿に
ショックを受けられた方が沢山いると思います。
私も、その一人ですが
それは、私が生きている証です
まだ、生きていいと神様がくれた 生きている証です
生まれたときに15歳の命と言われて
3倍も生きてきましたが
まだまだ、生きてていいようです

傷にはじないように
ガンバ

大部屋で ④

2006年03月03日 | 命の闘病記
12月4日(日)術後9日目
朝、洗面所で顔を洗ってたら
違う部屋の顔見知りになった人が、後ろを通りかかった。
いったん通り過ぎて
何かを思い出したように
「1日一回は あなたの顔を見ないと元気が出ない」
と引き返してきてきた。
へ?私の顔?

そういえば、ここの病棟で
何人もの人に 「元気をありがとう」と言われた
私は、別に何もしてないのに。。。。
不思議だ。。。。。



午前中、暇だからテレビを見てたら
メッチャ可愛い看護師さんのSさんがやってきた
色々話した後で
「ここに来ると癒されるわ」
そう言って帰って行った
この人も トマト菌の感染者か。。。。。




午後、今日は日曜なので お見舞い客が多い
面会時間を待つように、主人の両親が来た。
野菜ジュースやら、果物やら いっぱい抱えてきた♪
帰り際、父の様子がおかしい。。。。
血圧が下がっているようだ。。。
私は、水分と血糖値をあげるためにチョコを食べさせて様子を見た
すぐ元に戻ったので、気を付けて帰るようにと言って見送った

その後 延岡からKさんとMさんがお団子を持ってきた
今日が初対面なのにスッピンである(;^_^A アセアセ
病室の入り口で見送っていたら
弟家族が3歳の甥っ子を連れてやってきた
「おばちゃんと、ジュース買いに行こうか?」
そう言うと ニコニコして付いてきた

しばらくすると、前の職場のMちゃんHさんが来た
弟たちは、入れ替わるように帰って行った
「どんな顔して、とまとちゃんの顔を見たらいいのか迷ったけど元気そうでよかった」
そういう話をしていると
あくびが Hさんを案内してやってきた♪
可愛い花と、高級そうなゼリーがお見舞いだ
久しぶりに宮崎に来た様で、奥さんとイオンに行ってきたらしい
「で?奥さんは?」
「車の中だよ」
「連れてくればよかったのにぃ~」
奥さんの顔みたかったなぁ。。。。
だって~~Hさんって、愛妻家みたいだからぁ~

その後、しばらくして
Sさんが、2回目のお見舞いに来た
生ドラ持参である♪
これじゃぁ~、太るなぁ。。。。

今日は、寒いのか みんな着込んでやってくる。
ここにいると、寒いのも暑いのも判らない。。。。。
これって いいことなんだろうか。。。。



12月5日(月)術後10日目
今冬一番の寒さで、山沿いは雪が降ってるらしい

今日は、同じ病室のTさんの手術日である。
Tさんは88歳
耳が遠いようだが、毎日声をかけると嬉しそうに答えてくれる。
昔、終戦直後 大手術をしたようで
その時の、痛みがひどかったため手術を嫌がっていた
病名は、「胆石」。
胆のういっぱいに石があり、胆のうは使い物にならないらしい
朝、看護師さんが 浣腸に来たが 嫌がってさせてくれない
「あと10分して来ますからね」
そう言って出て行った

私は、Tさんのベットに行って 自分の手術あとを見せた。
「ほら、こんなに大きな手術だけど、私元気でしょ?
全然痛くないからね。
早く家に帰りたいでしょ?
だったら、浣腸しないと帰れないよ
大丈夫、頑張ろうね」

そう話したら Tさんは 大きくうなずいた 
直後、看護師さんが浣腸を促しに来たら
今度は、すんなりとOKした
驚いてる看護師さんに、お隣のKさんが
「トマトさんが、話してくれたとよ」
と言った
「え?とまとさん、どう言う魔法使ったんですか?」
(;^_^A アセアセ
何も使ってません。。。。。

手術に出発の際
「大丈夫♪待ってるからねっ♪」
と 声をかけたら ニコニコして手を振って
手術室に入っていった
Tさんも トマト菌の感染者か?



★お昼前、産婦人科にて癌検診
産婦人科の受付に、な・な・なんと友達が居た
久しぶりに会ったのに、産婦人科って。。。。。

リハビリが予定に入ってたはずなのに、呼びに来ない。。。
問い合わせてもらったら、手違いで予約が抜けていたらしい。。。
退院の確認をしたら
リハビリは、最低2回は必要
火曜・水曜リハビリ入れて、退院は木曜になります

とのこと。。。。。
            
水曜に退院できると思っていたのに。。。。

   




今日も暇でした。。。


大部屋で ③

2006年02月28日 | 命の闘病記
12月2日(金)術後7日目
隣のベッドのSさんが今日退院である。
退院までの、あいた時間に色々話したら
よっぽど私の話がおかしかったのか
腹を抱えて笑ってた。その間1時間あまり♪
こんなに笑ったのは久しぶり♪
おなかが痛くなった♪
元気になった♪

そう言って 退院して行った


★13:00 リハビリの診察
「腕を上げてみてください」
「(o ̄∀ ̄)ノ”ぁぃ」
「あれ?あがりますね」

普通の人は、この時点で45度くらいがやっとだそうで
90度あがれば上出来なのに
私の場合は160度くらいあがってました。
中には、脇と腕を離すことも出来ない人も居るようです。
お陰様で、診察は3分ほどで終ってしまった
月曜からリハビリ開始とのこと♪
頑張らなくっちゃ

午後、仲のいい叔母が遊びに来た

胃のせいか 唇がただれて痛い。。。
薬をお願いしたら
口内炎の薬を出してくれた
昨日から喉も痛いので、トローチも出してもらった
夕食は、胃が痛くて食べれなかった。。。



12月3日(土)術後8日目
朝食、半量しか食べれない。。。
胃痛が続いてる。。。
本日より軟飯軟菜に変えてもらった。
総合病院の病院食は、ダイエット食のようで
あまり美味しくはない。
私って。。。ベジタリアンじゃないんですけどぉ。。。
と言う感じ
そこに、軟飯軟菜だからどろどろの見た目もよくない食事である
でも、胃のためだ。。。。
仕方ない。。。。

午後、Hさんが来る♪
私の2人の子供たちのピアノをずっと教えてくれた人だ。
のんびりやで ちょっと天然である
学校帰りに、子供たちが いつの間にか練習に行ってて 
慌てて授業料納めに行くこともしばしば
面倒見のいい人だ

夕食後、益々唇は痛い。。。。
薬が効いてないようだ。。。。

( ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄;)うーん
おし!リンデロンをぬってみよう
ってことで、ステロイド剤だと知っていたが
もっていた リンデロンを薄くぬってみた
まぁ、死ぬことはないでしょう

明日は日曜日
お見舞い 誰がくるかなぁ。。。。。
そんなことを考えながら
休みました


大部屋で ②

2006年02月25日 | 命の闘病記
11月30日(術後5日目)
夕べも脇が痛くて寝れなかった。。。。
ドレーンは抜いたのに、やはり切り刻んだから仕方ないかなぁ。。。

担当看護師のUさんが、久しぶりに来た。
他が忙しくて、顔を出せなかったようだ。
私の術後ケア用のファイルを出して見たら何も書き込みがない
普通、毎日その部屋の担当看護師がチェックするようだが
そう言えば。。。。暇つぶしに話に来る看護師さんは居ても
チェックされたことはないなぁ。。。。
「私って、病人に見えないんでしょうね」
と言って笑った

しかし・・・・ここの看護師さんは 良く働く
昼間勤務してたはずなのに
夜も居たりするのは普通である
「ちゃんと寝てるの?」
「はい♪大丈夫ですよっ♪」
と言うが、遊ぶ暇はなさそうだ。。。。
若いのに 頑張るなぁ。。。。

午前中、洗髪して上半身だけ清拭を頼んだ。
午後から、自分で半身浴をする。
洗髪の際、忙しそうだったので
自分で乾かしますからと言って ドライヤーで乾かしてたら
「あれ?腕 普通にあがってますね」
と言って看護師さんが驚いた。
「(・-・)・・・ん? このくらいは、あがりますが。。。」
「普通は、そこまであがるのに泣くような努力が要るんですよ」
「へ~そうなんだ。。。」

部屋に帰ると 主治医のJ先生が来てた
今後の予定の話にきたらしい
*明日から全身浴OK
*金曜からリハビリ
*調子が良かったら、来週水曜日には退院

腕の内側の神経が鈍いことを告ると
細い神経が手術の際切れたからだと言う。
それは、仕方ないことで、今後元に戻る可能性は大きいと言うこと

その後で 先生が申し分けなさそうに言った
「僕の予測じゃ、とまとさんは良性のつもりで もうここには居ない予定だったので、先に出張を入れてまして。。。退院の時も僕は居ないんですけど。。。」
「ですよねぇ~~。大丈夫いってらっしゃい
代わりにM先生にお願いしてあることを告げてJ先生は申し分けなさそうに出て行った。
仕方ないよぉ~~~~ でも、大丈夫



12月1日(術後6日目)
早朝より生理が始まった。。。
昨夜から、腕の痛みも少なくなったが 今朝からの生理で憂鬱。。。
婦人科受診を予定してたが、来週にしてもらった。

午後、母の友達のNさんが来た。
同じ病棟に、ご主人が緊急入院したらしい。
「お母さんは?」
「うちのお母さんは、私に興味がないみたい(;^_^A アセアセ」

そう言えば、ここに来て2回しか まだ母は来てない
と言うか、1回目は手術中に来て終る前に帰ったらしいので
正確には、私は1回しか見てない。。。
昔から、ほったらかしだったが 今も変わらない
まぁ、自由希望の私に取っては すごくいいんだけどねっ♪

夜、あくびと話してると I さんがものすごく大きい
フラワーアレンジメントを持って来てくれた。
ピンクのチューリップが 沢山入れてあった 可愛い
「元気そうで よかった」
「元気なんだけど、胃潰瘍が出来てさぁ~」
「見た目は平気そうだけど、身体は正直だね」
そうかぁ。。。。
潰瘍が出来るほど、悩んでたんだ私。。。。
しらなかったぁ。。。。(;^_^A アセアセ
I さんは、面会時間が終るまで
あくびと私を笑わせて 帰って行った


大部屋で ①

2006年02月24日 | 命の闘病記
11月28日(術後3日目)
病院の朝は早い
特に ここ回復室は早い
24時間寝ないで 待機してる看護師さんが
5時を過ぎる頃には、採血などで動きだす

★6:00採血
採血の際に聞いてみた
「私って 今日ここを追い出されるんですよね。どう見ても元気だもん私」
「はい残念ながら、今日でここはおしまいです」
と言うわけで 同じ日に手術した人の中で
一番早く、大部屋に引越しになった

新しい部屋は、病棟の一番端の4人部屋。
私は、窓際の暖かい部屋になりました。
そこへ、手術前の部屋で色々話してたKさんがやってきて
私の元気さに驚いてた

そういえば このKさん。
前同じ部屋のNさんの紹介で知り合ったのだが
出会いが面白かった

手術前のある日
「Nさんが、あなたは後ろ向きだからとまとさんのとこに行って 話を聞いてきなさいって言われたんですけど。。。」
「はぁ?」
いきなり私のベッドの横に来て そう言ったのがKさんだった。
その時、Kさんはもう手術から1週間近く経っていて
動かない腕にへこんでたようだ。
話を聞いてきなさいって言われてもぉ。。。。。何を話せばいいのか。。。
意味の判らないまま、色々話して
何故か、元気になってKさんは自分の部屋に戻っていった

その後、何人も知らない人が突然現れて同じような事を言う。
(○ ̄ ~  ̄○;)ウーン・・・
どうやら 同じ部屋のNさんが 私のとこに行ったら元気になれるって あっちこっちで言ってる様だ。。。
(;^_^A アセアセ
Nさんは、入院した日も手術の日も一緒で 母と同じ歳♪
私のことを 娘のようだといって気に入ってくれてた。
よっぽど気に入ってくれたのか。。。。
悪い気持ちはしないけど、私ってそんな力ないしぃ~~
(-人-)ごめんよおぉって感じ



午後、介助付きで洗髪してもらった
きもちい~~~いぃぃぃ
脇の下の ドレーンが痛くて
うまく腕が動かせないので 看護士さんに洗ってもらった
洗髪中、ずっと旅行の話とか下着の話で盛り上がった

他の看護士さんが洗髪してくれるはずだったが
「私がしますから」と言って変わって洗ってくれた。
どうも、下着の話とかしたかったらしい



11月29日(術後4日目)
夕べは、痛みであまり眠れなかった
★10:30ドレーンを抜いてもらった
普通、6日以上かかるらしいのだが4日目で許可がでた
ヽ(  ´  ∇  `  )ノ ワーイ
これで、私を繋いでいる邪魔なものは全部取れた

その回診の時、J先生とT先生が部屋を見まわして言った
「この部屋は、年齢層 高いねぇ~」
「私が若く見えますよね♪」
「とまとさんは、この病棟のベスト5の若い人の1人ですよ」
と、冗談をあまり言わないJ先生と大笑い

この先生も、だんだんトマト菌に感染して 壊れつつあるなぁ。。。
(*⌒m⌒*)ぷっっ♪

自由になったので、早速1階の売店とかに行ってみた。
偶然、売店の前で前の部屋の人にあったら メッチャ驚いてた
「とまとさん、術後4日目にみえない。。。。」
(;^_^A アセアセ

午後から、一番仲がいい従妹がやってきた
「お母さんにね、とまとねえちゃん どんげ?って聞いたら」
(*゜▽゜)b☆・゜:*☆ 糸色 女子 言周 ☆・゜:*☆d(゜▽゜*)って言ってた」
だって・・・・・

私、ガン患者ですけどぉ。。。。

    

夕方 半身浴
今日は、介助なしで 入った。
やっぱ、介助がいないほうが 気を使わずいいなぁ。。。
(o^-^o) ウフッ


回復室で♪

2006年02月21日 | 命の闘病記
11月27日(術後2日目)
今日から普通食になった
胃の痛みも少し 楽になった
それと同時に、脇の下の痛みが強くなってきた。
ドレーンが、寝返りするたび
脇に突き刺さってるような痛みだ。。。。
(-________-;) ウッ・・・

傷は、痛み止めの点滴のせいか
我慢出来ないほどではなかった
と言うか
左の腕の内側から、胸の傷にかけて
しびれたようになってた
先生に聞くと、細かい神経が手術によって切れたせいだと言うことだった。
感覚が完全に戻るのは、1年くらいかかるようだ

左腕を動かそうとしたら
脇の痛みが強くなる

乳癌の手術は、そのあとのリハビリが大変だと聞いていた。
実際手術前に、隣の部屋にいたKさんが
腕があがらず リハビリで涙が出たと言っていた
覚悟はしていたが、最初が肝心だと思って
痛みをこらえて 腕を出来るだけ動かすようにした
脇に新しい筋が出来たみたいに、引っ張られて痛い。。。
ドレーンだけでも、早く抜けないかなぁ。。。

お昼前、日曜で お風呂はお休みの日だが
特別に 看護師さんが半身欲を許してくれた
介助付で、少々恥ずかしかったが
木曜の午前中に入ってから 入ってなかったので
気持ち良かった

って。。。。。
私って、いつもは この看護師さんの立場なんだよねぇ。。。
洗ってあげるほうは、何ともないんだけど
洗ってもらうほうは、結構" "(/*^^*)/ハズカシ
( ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄;)うーん

午後、回復室に
実家の母と叔母が来た
もちろん あくびや娘も
入れ違いで、主人の両親も来た
( ̄~ ̄;)ウーン・・・

主人の両親は、出産の時もだったが
お見舞いに来てて、かえって手がかかる人たちである。
病室で、お花見弁当広げて 後片付けもなく
帰って行く人たちだ。。。。。
今日は、回復室。。。。
大きな声で 話さないように。。。。
他の人に迷惑をかけないように。。。。
と思っていたが、今日は短時間で切り上げてくれた
(´▽`) ホッ

夕方、最後の抗生剤が点滴から入れられた。
夕食後に、安定剤入りの痛み止めを入れてもらって
抜いてもらえることになった
(●⌒∇⌒●) わーい

この点滴、右手にしてあるのだが
場所が問題だった。。。。
手首の曲がる部分の親指側にしてある。。。
つまり関節の部分だ。
人って 起き上がるのに
ベッドに手をついて 起き上がるのが普通だが
左手は、手術で動かず 右手は手首が曲げれないので使えない。。。
起き上がるのに いちいち電動ベッドを垂直までもっていって起きていた。

点滴を打つときに
え?そんなとこに打つの?
そこじゃなくても、いっぱい血管はあるでしょ~~~
と思った。。。。
      

それにこの点滴、非常に太い
3種類くらいの点滴を 一度に入れるのだから仕方ないのだがよりによって そんな痛そうな 肉のないとこに しなくても。。。。。



消灯前、主治医のJ先生が来て、ドレーンから出てくる廃液の量と色をチェックしてる。
「先生、チューブの先が 刺さってるような痛みがあるんですが。。。」
「思い切って、抜いてみる?」
「(⌒^⌒)b はい♪」
「液が脇に溜まったら、どうする?」
「注射針で抜いてください」v(*'-^*)bぶいっ♪
「( ̄へ ̄|||) ウーム 明日まで様子を見ましょう」
( ̄▽ ̄;)!!ガーン
 ガックリ。。。  

ドレーンは、明日以降に持ち越し。。。。。
今夜も、ドレーンの痛みで眠れないのか。。。。。

つか、病院の夜は早いなぁ。。。。。。






術後1日目

2006年02月20日 | 命の闘病記
11月26日(2日目)
麻酔が完全に切れたのか、早朝に目が覚めた。
頭の感覚が戻ってきたら
ようやく自分の状況が判ってきた。

口には酸素マスク
右手には点滴
左脇には、リンパの廃液を出すドレーンが2本バッグにつながってる
それと尿管
足には、静脈瘤を防ぐための、タイツが履かされていた

( ´△`)アァ- 管を取って自由になりたぁ~~~い
ってことで、まず酸素マスクを取ってもらった。
(こんなのなくても 息は出来ます )

で、次ぎは尿管。
尿意もないのに、横のバックに尿が溜まっていくのが許せない!
おしっこは、尿意があって自分で出すもの!!!
ってことで、抜いてくださいと頼んだ。
「え?もう?」
「はい、ポータブルトイレを持ってきてください。自分でします」
ポータブルトイレを持ってきてもらって尿管を抜いてもらった。
座ってる間に
「あああぁぁぁ 血圧が下がりだしたなぁ。。。」
と、と言う感じはしたが そのままベッドに戻った。
看護師さんが、早々に血圧と脈を計る
(/||| ̄▽)/ゲッ!!!上が84・下が42しかない
まぁ、判っていたことだけどね

慌ててる看護師さんに
「問題ありません、すぐ戻りますから いつものことです」
と笑って見せたら、看護師さんも安心したようだ
しばらくすると、元に戻っていた。

つぎは、タイツだ!
これは 動けば静脈瘤の問題はない
ってことで、トイレに起きれたから大丈夫ですと言って
はずしてもらった

でもって残りは2個
点滴とドレーン
点滴は、食事だけちゃんと摂れれば
あとは抗生剤が終れば取れるはず。

朝食から、おかゆで食事が始まったが
1つぶも残さず完食
他の脳の手術の患者さんとかに、目がいってる看護師さんに 大きな声で
「えらいなぁ~~~~」
と言って振り向いてもらい
「はい♪完食♪」
と言って、お盆を返す♪
看護師さんも、思わず笑ってしまってた

ドレーンは、廃液の量が少なくなったら抜いてくれるらしい
普通、6日くらいかかるらしい
横腹に2個穴を開けて そこから脇の下と鎖骨の辺りに入れてあるらしい
これが、結構痛い。。。。。。
早く取れないかなぁ。。。。


手術あとのガーゼ交換で、簡単に手術のことを聞いた
大胸筋は残したけど、乳房は全摘。
癌の細胞は、どうやら乳首の方に広がってたらしい
わきの下のリンパ・鎖骨のとこのリンパもすべて郭清
大胸筋には、癌はなかったようだ
以上のような事だった

ガーゼ交換で、見ようと思えば 自分の傷が見れたのだが
まだ、片パイの現実を受け入れる勇気はなかった。。。。

昼食は、5分がゆ
胃痛が続くので、痛み止めと安定剤が点滴から入れられてる
そのためか、ずっと ウトウト状態

トイレは、お昼頃から 自分で歩いてトイレまで行ってみることにした。
少しふらふらするが、何とか行けそうだ。
付き添ってた 看護師さんが 「終ったらブザーを押して呼んでくださいね」
と言うので呼んだら、違う看護師さんが来て 
「大丈夫ですね」と言って行ってしまった
仕方がないので、一人で点滴台を押しながら 部屋に帰ると
最初の看護師さんが、
「一人で帰ってきたんですか?」と言う
「呼んだけど、大丈夫ですねだけ言って 行ってしまったから」
「ああぁぁ、元気な患者さんと勘違いされたんだ。すみません

          

昨日手術したばかりですけどぉ。。。

夕食から、軟飯になった

この日から、驚くべき回復力だと
病棟内で 有名になっていったらしい。。。(;^_^A アセアセ



夜、7時過ぎに
息子が、自転車に乗ってて マイクロバスに跳ね飛ばされる事故にあい
私の入院している総合病院に運ばれてきた。
現場検証に来た 南署の警察やさんが
「この子は、生きてない」と思うほどの現場だったらしい
周りは、みんなその連絡に慌てふためいて
あくびまで、宴会場から 娘に連れられて飛んできた
一番冷静だったのは、息子で
「母が、○○病院に入院してるので、そこに運んでください」
と、救急隊員に言ったそうだ。
お陰様で、奇跡的に 軽い打撲だけで終った
(´▽`) ホッ


2日目の夜は、あくびが泊まると言ってくれたが断った
だってぇ~~~
メッチャ元気なんだもん
看病なんて必要ないしぃ~~~
それより、家でゆっくり休んでくれたほうが
私も、安心だ
でも、ありがとう

ってことで
2日目も 終っていった 

手術日♪

2006年02月19日 | 命の闘病記
11月25日
いよいよ手術日
朝から絶食。。。。
絶食の代わりに、浣腸が待ってた
手術着に着替えて、点滴を打たれてトイレに。。。
浣腸って。。。。。やだ。。。。(w_-; ウゥ・・

絶対に見せられない格好で、看護師さんに浣腸して貰って座った
ぎりぎりまで我慢して出したつもりが
( ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄;)うーん
すっきりしないなぁ。。。。。
まぁ、いいかぁ。。。。
看護師さんに確認して貰ったが
看護師さんもすっきりしない様子

手術の予定は、11時から。
その前に、帰ってくる回復室に部屋移動
同じ部屋のNさんも、今日の手術で
もう、手術室に向かってた。
Nさんの居なくなったベッドも回復室に移動。
私は、ガラガラと点滴台を引きずって移動した

手術の立会いは、主人とあくびに頼んだ。
主人の両親や母や叔母も 来るって連絡があったのだが
来てもらっても、ただ待ってるだけだし
私の方が、かえって気を使うので 断った

★11:30ストレッチャーに横になって手術室に。
手術室の入口まで 着いてきた 主人とあくびに
横になったまま
両手を高くあげて、ピースサインで入って行った♪

「1週間前にも来たなぁ。。。ここに来るのは2回目だ。。。」
そんなことを思いながら手術室に。
手術用のキャップを付けたことや手術のベッドに移動したことは記憶にない。。。
たぶん点滴の中に安定剤でも入っていたのでしょう
( ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄;)うーん

手術室に入ると
「眠くなる薬を入れますよ」
と言って 点滴の薬を取替えた。。。
その後の記憶はない。。。。
「終りましたよ~」
と言う声で気がついたが
「(・-・)・・・ん? 点滴でも終ったかな?」
と思って ぼ~~~っとしてると
「手術、終りましたよ~」
と言われた
あれぇ~~~~???????もお???

私の中では
こんな風に時間が流れてたのですが
実際は、11:30~18:40 までかかってたようです
中々覚醒しなくて、手術室から出てこなかったようでした

この時は、まったく知らなかったのですが
後で、実習生が教えてくれた話で
私は、手術室でおかしな行動を取っていたそうです
そのお陰で、麻酔薬が多めに入れられたようですが
その話は、また今度

手術室から自分のベッドに寝せられて出てくると
あくびと主人が待っていました。
そのまま、回復室に

回復室では、まだ意識はもうろうとしてました。
私は付き添いはいらないと 言ったのに
先生も、今夜だけは居たほうがいいと言うので
主人に居てもらいました。

あくびが急いで、自分の家の家事をしに帰り
うちの分も作って持ってきてくれて
それを持って、主人はいったん家に帰りました
消灯近くになって、今夜泊まる主人がきて あくびとバトンタッチ♪
私は、もうろうとしながら
腰の痛みと、左腕の痛みを訴えてました。

腰の痛みは、徐々に背中の痛みに変わり 眠れない。。。。。
左の背中が痛い。。。。。
筋肉痛かなぁ。。。と思ってたら
みぞおちの所が痛くなった
看護師さんに言うと
あわてて心電図を先生が運んできた。
狭心症の疑いがあったようだ
カーテンを閉じて、心電図を撮ってると
主人が心配そうに カーテンの陰から見てるのが判った

心電図には異常なし
先生に潰瘍の経験がありますか?と聞かれて
3月に胃潰瘍を起こした事を思い出した。
どうやら、背中の痛みは
胃潰瘍のせいのようだ。。。。。

点滴に痛み止めと潰瘍の薬・安定剤を入れて貰って
ようやく寝れた

手術の日はこうやって
過ぎて行った。。。。。

手術前日

2006年02月16日 | 命の闘病記
11月24日
★早朝5:40採血
手術は明日
今日は、インフォームドコンセントがある。
誰を呼ぼうか。。。。。
母は、自分のインフォームドコンセントで
気分が悪くなった人である。
主人の両親は、かえって手がかかる人たちである。
散々考えて、あくびと主人に来てもらうことにした
18時からのインフォームドコンセントに参加してほしいことと
明日の手術の間の立会いと
留守中の子供の世話を 電話でお願いした。

今回、本当に有難かったのは
あくびの存在である
手術前日から、退院までほぼ皆勤賞なみに
病室に来てくれた

自営のこと・沢山の子供のこともあるので
自分のことだけでも毎日忙しいのに
毎日 顔を出してくれた

それに私への問い合わせのメールの対応も
大変だったと あとから聞いた
私が、病院で携帯禁止のこともあって
中々、みんなに状況を報告できないでいた時
あくびは、せっせとみんなと連絡を取ってくれてたらしい
ホント有難い

「あくび♪本当にありがとう♪」



午後、この総合病院の麻酔科の先生の奥さんであるKさんと
近所の産婦人科の奥さんのK’さんとMさんが来てくれた

Kさんは、私と同じ年です
北海道の出身で私の大スキな「六花亭」の生チョコを持って来てくれた
そういえば、入院中お見舞いの封筒と一緒に
色々な お見舞い品を頂いたのだが
このKさんのお見舞いもおかしかった
何故かスティービーワンダーのCDを持ってきてくれた。
彼女は彼女なりに色々考えたのでしょうが
ここは、4人部屋で おまけにCDプレイヤーもないし
総合病院の厳しさで、むやみな電気の使用も出来ない
私は、せっかく持って来てくれたお見舞い品に
その事実を話すことも出来なくて
有難く頂いた

K’さんのお見舞いもすごかった
「これどうするの?」
と言う量の、お菓子と飲み物をお見舞いの封筒と一緒に持ってきた。
それもこの病院の売店で しこたま買いこんできた物のようだ。
遠足の時の10倍くらいの量のお菓子だ
お陰様で、私の荷物の半分以上は お菓子になってしまった

KさんK’さんMさんと入れ替わり立ち変わりしてると
あくびが、これまたものすごい量のお菓子と飲み物を持って来た。
「そんなに食えないよぉ~~」
「あんた用じゃないよ。介護用♪」
(;^_^A アセアセ


さて、ここの病院の夕食は18:00である
院内に、夕食の放送が流れ出したとき
看護師さんが、インフォームドコンセントに呼びに来た

カンファレンスルームに、主人と私とあくびが入った
先生は、主治医のJ先生とT先生
「こちらは?」
そう言って 先生があくっびを見てる
「はい、友人です」
「(・-・)・・・ん? 血縁関係は?」
「まったくありませんけど、私の事一番知ってる人です」
普通、こう言う場合血縁者が来るのが一般的らしい。。。。


こんな風にインフォームドコンセントは2時間もかかってしまった。。。
私は、何度も聞いてる事なので
「今夜の夕飯逃したら、明日は手術だから絶食だし。。。。。お腹すいたなぁ。。。」
それがひたすら気になっていた
あくびは 心配だったようで
何度も詳しく先生に聞き返す
「(〒_〒)ウウウ  お腹すいたぁ。。。。」
ようやく終って時計を見ると。20時を回っていた

私は急いで詰め所の看護師さんに
「私の夕食 残ってますか?」
と聞くと、あくびが あきれてた(;^_^A アセアセ

だってぇ~~~~あんなもん、誰かが聞いてりゃいいことで 
先生だって ちゃんと説明したって証拠が残ったらいいんだから
一生懸命聞く必要ないじゃん

完全に気持ちは「まな板の上の鯉」である
まぁ、なるようにしかならんよ


就寝前に、「眠れないときは薬出しますよ」と看護師さんが言ってきた
私は、眠れる自信があったので 断った
案の定、消灯時間には ちゃんと ウトウトしだした。

って・・・・・・
私の神経って。。。。。。
どんだけ 太いんだろう。。。。。。  





手術に向けて

2006年02月15日 | 命の闘病記
11月20日
20時 外泊も終って病院に戻った。
外泊中に、手術の買い物をしたのだが
胸帯の価格に驚いた。。。。。
術後は、毎日交換するようなので 洗い替えに3組ほど必要とのこと
安いのはないかと、外泊中に捜し歩いたが
腹帯は、何処にでもあるのに胸帯はなかった。。。。
結局、病院の売店で購入したのだが 
1組1890円 
3組で5670円       

T字帯は2枚で500円程度。。。。。。
やっぱ、需要と供給の問題かなぁ。。。。。
他にも色々必要なものがあったので外泊中に購入。
手術って、お金がかかる。。。。。



11月21日
★早朝5時半 採血
真っ暗な病室に、懐中電灯と注射器をもって看護師さんが起こしにくる
「とまとさん、採血しますね」
「はい。。。。」
寝ぼけ眼でベッドに横になったまま 採血

って・・・・
前回も思ってたんだが、何でこんな時間に採血なんだろう。。。。
まぁ、採血が苦手な私にとっては 頭が働く前だから 有難いのだが
隣のベッドの人が 起きないか心配にもなった。

★14:00レントゲン
レントゲンから帰って来たら 丁度 お友達のSさんが来た。
Sさんのご主人は、この総合病院の病理の先生である。
Sさん自身も、以前に入院してたので色々 快適な入院生活を伝授してもらった
Sさんと入れ違いに、Aさんもやってきた
賑やかな病室だと
自分に与えられた情況を、つい忘れてしまいそうだ
有難い


11月22日
★12:00 CTの為の点滴
★13:30 CT
夕食後、明日は祭日で検査もないので 手術前の最後の外泊をした。


11月23日
これからしばらく入院なので、家用の食料等の買いだしに行く
午後、自宅でゆっくりしていると
バカ騒ぎ仲間のYちゃんとGちゃんが やってくる
YちゃんGちゃんに 拉致されて そのまま知り合いのやってる
バリアフリーの喫茶店へ
「とまとちゃん、手術するのぉ?まだ生きたいか?」
相変わらず、口は悪いが 言葉の中に ちゃんと愛情もこもってた。
「まぁ、惜しくはないけど 胸のないGちゃんの気分も味あわなくっちゃね」
横で、コーヒーぜんざいをすすってるGちゃんは、ボディも顔も美少年である
胸もないし、ショートカットで化粧っけもない。
でも、結構綺麗な顔立ちだ。
「あんたに 生理があるって言うのが 不思議なんだよねぇ。。。」
いつものように、バカ騒ぎで気分も晴れた
「とまとちゃん、病院で不自由なこととかあったら連絡しなよ。飛んでくるから」
有難い言葉を残して、拉致終了♪

自宅に帰ったら、偶然に長崎に引っ越した友人から電話があった。
私の事を聞いて、電話の向こうで泣いていた。。。。
私は、泣いてないのに。。。。
飛んで行きたいけど、行けなくてごめんねと何度も言われた
友達って 有難いね

夕食を家族と摂り、20時に病院に戻った。
さぁ~~これで
逃げも隠れも出来ない!!!
私に出来るのは
 これだけ 

私には、待ってる人が居る
ガンバ!o( ̄へ ̄o)(o ̄へ ̄)oガンバ!






検査入院 ②

2006年02月13日 | 命の闘病記
11月17日(入院3日目)
早朝5時30分 採血
さすがに採血の苦手な私でも この時間なら
頭の中が働き出す前ですので
もうろうとしてて、あまり苦にならなかった
予定では、明日退院である。
夕方主治医のj先生が次回の予約カードを持ってきた。
明日10時に退院して、1週間後の検診である

ところが
19時過ぎにJ先生があわてて病室に入ってきた。
何だか、ばつが悪いと言うか
申し訳なさそうな顔をしてる
「とまとさん、検査結果が出ました。ご主人も一緒にお話したいのですが、今日病院の方にこれますか?」
と言う。。。。。。
もしかして。。。。。。
いちまつの不安を感じながら、先生の顔を凝視してると
先生が重い口をひらいた
「良性と思ってたんですが、病理の結果90%以上悪性の浸潤癌とでました」
「あとの10%は、良性の可能性があるのですか?」
「いえ、書類が正式にあがって来てないと言うだけで その部分を除けば100%浸潤癌です」
「非浸潤癌と違って、増殖する最悪のタイプですので 少しでも早く手術が必要です」
告知の瞬間
他人事のように不思議と動揺することなく そうなんだぁ。。。と思ってる自分に
正直 驚きました。

詳しい説明を 主人にしたいと言うので
急いで家の方に電話を入れましたが
鬼のいぬまにと言う感じだったのでしょうか、その日主人は捕まらず
実家と子供たちに、明日の朝8時に病院に来るように伝言を頼んで
明朝8時からの説明を受けることになりました。

その日の夜
私は、自分の命の長さを考えて
しばらくは、眠れずにいました。
だんだん、自分の置かれてる状況の把握が出来てくると
何を考えていいのか判らず、呆然としたまま
涙は あとから あとからこぼれてきました。
個室でよかった。。。。
そう思いながら、亡くなった父に
「お父さん、まだ迎えに来ないで」
と 祈ってました。
人恋しくて、寂しくて
病院では禁止されてる携帯を出して
話を聞いてくれそうな人に、メールして気を紛らわせようとしましたが
そんなことでは紛らわせるはずもありません。
現実逃避は出来ないことに気がつき
戦う決心をしました。
頑張ろう!!そう思いだしたら
心も 落ち着き 1時過ぎには寝れたので
自分の神経にちょっと 驚きました。




11月18日(入院4日目)
今日は、娘の19回目の誕生日です。
誕生日には、退院してお祝いするはずでしたが
8時から、私の病理の結果と今後の話で
気の重い 誕生日になりました。

先生の話では
書類は、まだあがって来てないけど、間違いなく病理結果は 悪性の浸潤癌であると言うこと。私の年齢から、急を要すると言うこと。手術は、浸潤癌であるうえに腫瘍の場所が、乳首のすぐ後ろで 2センチ離れてないので 温存は無理だと言うこと。リンパ節まで来てるかどうかは不明だが、今の医学の流れから腋窩リンパ節郭清も行いますと言うこと。大胸筋だけは 残してくださいとお願いしたら、胸筋温存乳房切除術を行いますと言うことでした。
退院すると、ベッドが空くのに何日かかるか判らないしCT等の検査も予約になるけど このまま入院してたら あいてる時間に入れられるので退院はしないほうがいいと言うこと。手術は、1週間後の金曜日。執刀医は、主治医のj先生。
手術を行うに当たって、呼吸法やリハビリの方法など手術までに勉強しましょうと言うこと。
手術に必要な、胸帯・T字帯・バスタオル・静脈瘤を防ぐタイツ等用意するものの書いた、マニュアルも渡されました。

そのご、個室から4人部屋に移動
今日の検査はないと言うことと
明日土曜で明日も明後日も検査はないと言うことだったので
20日(日)の夕方まで 外泊願いを出し
主人と4日ぶりの我が家へ帰宅しました。

こうしうて
娘の19歳の誕生日は、ケーキがあるわけでも ご馳走があるわけでもない
重い空気のままの誕生日となったのです。

      


くよくよしてても 始まりません
外泊の3日間にすることも 山ほどあります。
私は、気持ちを切り替えて
外泊の間に、仕事の後始末や
長期の留守になるので 家のこと
受験生である息子の3者面談
各種、支払いや入金など雑用
3日間飛び回って、片付けました。

とても、癌患者にはみえないなぁ。。。。。
自分でも、感心してしまった
(;^_^A アセアセ

次回に続く