般若寺 水仙02 2007-01-23 18:05:29 | Weblog 般若寺 水仙02 その後幾多の栄枯盛衰を経ながらも、常に自利利他(己を高め他を助ける)の菩提精神を法灯にかかげ現代の復興をまつに至ったのである。現在は関西「花の寺第17番」、「コスモス寺」ともよばれ、季節には多くの観光客、参拝客で賑わっています。
般若寺 水仙03 2007-01-23 18:04:30 | Weblog 般若寺 水仙03 昨年、境内が整備されたようで、地植えだった水仙がプランター植えになっていました。自然な感じが薄れ、少し残念に思いましたが、花も多くなり境内に甘い香りを放っていました。 ※ Link集 山楽写真帳 「般若寺 水仙」スライドショーもご覧下さい。
陀々堂の鬼はしり08 2007-01-16 13:32:00 | Weblog 陀々堂の鬼はしり08 「春来る鬼」」 五條市大津町の念仏寺陀々堂では毎年1月15日に五穀豊穣、除災招福の修正会が行われ、その行事の一つとして、一般に鬼走りと呼ばれる厄払いの達陀があります。 陀々堂の鬼は、人々に災厄をもたらす邪悪な存在としてではなく、強い霊力をもち、子孫を祝福しに訪れる祖霊、「春来る鬼」としての性格をもって人々の前に現われます。 この松明の燃え具合が、その年の実りの多い稲の品種を人々に伝えるといわれています。文明18年(1486年)から欠かさずに行われてきました。 今年で522回目を数え、国の重要無形民俗文化財に指定されています。 ※ Link集「山楽写真帳」を開くとスライドショーで見ることができます。
陀々堂の鬼はしり09 2007-01-16 13:14:30 | Weblog 陀々堂の鬼はしり09 夜の9時前、戸板を叩くけたたましい音が集落に響き渡っていました。まもなく夜の鬼走りが始まります。境内には大勢の参拝者が詰めかけていました。 鐘がうち鳴らされ、地元の鬼走り保存会のメンバーらが扮する3匹の親子鬼が登場。
陀々堂の鬼はしり10 2007-01-16 13:13:28 | Weblog 陀々堂の鬼はしり10 高さ1.2m、重さ約60キロの大松明(タイマツ)を天井高く差し上げては闇夜を引き裂かんばかりに振り下ろす勇壮な光景に、思わず拍手が沸きおこりました。
陀々堂の鬼はしり11 2007-01-16 13:12:02 | Weblog 陀々堂の鬼はしり11 右手に斧を持った赤鬼が正面にくると、右手の戸口にも青鬼が出てきます。 狂ったように吹き鳴らさる法螺貝、太鼓、戸板を叩く棒打の大音響を背景に、 今まで暗かった堂内が赤々と照らし出され,鬼面が浮かび上がります.
陀々堂の鬼はしり12 2007-01-16 13:11:06 | Weblog 陀々堂の鬼はしり12 赤鬼が正面中央から更に左戸口に歩を進めると、中央に青鬼そして右戸口に茶鬼が現われ、天空に向って睨みつけます。 三つのタイマツが並ぶと、堂内は火の海と化します。炎は天上を焦がさんばかりに燃え上がり、ヒバを燻べた煙がもうもうと立ちこめ、火祭りは最高潮に達します。
陀々堂の鬼はしり13 2007-01-16 13:08:54 | Weblog 陀々堂の鬼はしり13 松明(タイマツ) 毎年1月5日頃、タイマツ用の松の根掘りが行われます。 三度、堂内を回った赤鬼たちは、横戸口から境内に降り立ち、水天井戸にお礼参りをして行事は終わります。 赤、青、茶の鬼たちが赤々と燃えさかる松明を掲げながら勇壮に練り回る「鬼走り」の秘儀を一目見ようと駆けつけた大勢の参拝者や家族連れも家路につきました。賑やかだった境内もいつもの静けさに戻りました。
陀々堂の鬼はしり05 2007-01-15 19:38:47 | Weblog 陀々堂の鬼はしり06 念仏寺は、平安末か鎌倉時代、領主阪合部氏の氏寺として建てられたと考えられる(五條市史) はじめ四柱造りの瓦屋根であったが室町時代に現在のような茅葺き屋根となった。 念仏寺が陀々堂と呼ばれるのは、達陀(だったん)の秘法(タイマツをかざして飛び散る火の粉で身を浄め、禍を焼き払う)を行うお堂という事から、だったん堂がなまって、陀々堂と言われるようになった。
陀々堂の鬼はしり06 2007-01-15 19:29:45 | Weblog 陀々堂の鬼はしり06 念仏寺では、赤・青・茶の三面(父面、母面、子面ともいう)新旧二組を所蔵している。旧面には、文明十八年(1486年)の銘があり、今日まで500年以上鬼走り行事が行われています。