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転職人生ここにあり!

証券マンから、スーツアクター、はたまた映画のプロデューサーとはちゃめちゃな人生を歩む筆者の日々の日記

太陽戦隊サンバルカン

2007-02-17 11:08:56 | スーツアクター

先日、スーツアクター同期の芝居を見に行った。するとそこはかつての先輩達もたくさんいて、20年ぶりに会う方もいたりした。で、今日のタイトル、『太陽戦隊サンバルカン』がどうした?という訳で、ご説明します。

 

実はこのお芝居に、私の所属していた事務所の先輩である伊藤久仁康さん(現:剛裕樹)が出演していたのだ。この名前でわかる方はわかるはず。そう、サンバルカンのバルパンサーのスーツアクターなのだ。

 

サンバルカンは現役では観ていなかったため、アクションを始めてから過去作品をビデオなどで観た際に、あらためてこの作品の凄さに驚いた。我々からする凄さというのはやはりアクション。(物語で一番面白かったのは、ジェットマン)バルシャークの柴原さんのアクションも凄いが、やはりパンサーでしょう。いきなり名乗りでバック宙ですから。各地のショーでは、バック宙の入らない名乗りのパンサーが多かったとか。

 

で、私が新人の頃は、練習・ショーと伊藤さんにお世話になったのです。あまりにも動きが早く、手について行くのがやっと。イメージで言うと、かかろうとする際にこれだと早すぎるなと思うぐらい先に動きはじめないと、先輩の受けが間にあわない。

 

当時(20年前)はもう番組は降りられていた(ゴーグル・イエロー時、怪我で降板)。が、当時の連続バック転の早さ、その場バック宙の高さ、ミニトランポリン2回宙返りの高さは絶品であった。

 

芝居の中でも、もう50近い年齢は全く無視して、バック宙、バック転、アクションの素早さは健在!あらためてびっくりしました。

いくらトレーニングしていてもあの動きはないです。自分自身が年齢を重ねていて思うのは、やはり、関節の油切れ感。バック転しようにも、伸びと速さが若い頃に比べて出したくても出ない。

 

あらためて人間の常識や限界を打ち破られたひとときであった。

 

さて、伊藤さんについては少し続きがあります。次回その点を。

 

(つづく)


宇宙刑事ギャバン

2007-02-09 14:08:59 | スーツアクター

昨日、テレビを観ていたら、お笑いタレントで団塊ジュニア『昭和47年生まれ』のタレントが一同に集まって、トークをやっていた。昭和47年というともう、今では、34才。彼らが子供の頃、夢中になっていたものや、好きだったアイドルなどの話をしていた。

その中で、宇宙刑事ギャバン が話題になった。すると、全員がギャバンの主題歌をソラで歌えるということで大合唱になるという内容であった。ギャバンはまさに、ゴレンジャーや仮面ライダーとは一線を画す、メタルヒーローという新しいジャンルの先駆けであり、以降、シャリバン、シャイダー、ジャスピオン・・・と続いていくのであった。

 

内容も子供をターゲットにしていなかったのではないだろうか、比較的小学生も高学年ぐらいまででも見ていたのではないだろうか。そもそもが放送時間が、毎週金曜日の19時30分からというゴールデンタイムであった。

 

残念ながら、当時の私は、既にヒーロー物は卒業していた。なぜならもう高校生だったのだ。またどこか子供番組という意識が強く、そもそも、観ようというつもりもなかった。ショーをやるようになって、過去に遡って勉強したという感じ。

 

しかし、まさにお笑い47年世代の彼らからすると、私でいう、仮面ライダーや、タイガーマスクに匹敵するようなものなのだろう。僕ら○○年世代は、当然、ソラでライダーの歌は歌える。

 

ちょうどその頃、私がはまっていたのが、プロレスのタイガーマスク(初代:佐山聡)だった。プロレスが20時のスタートなので、5分前には、チャンネルを合わせていたのだが、その際に、ギャバンのエンディングソングが流れていたのを記憶している。

 

昨日のテレビでもその話題になっていた。ギャバンの後は、プロレスだった、と言ったら、『ちゃあん、ちゃ、ちゃあん、ちゃ、ちゃあん、ちゃ、ちゃん、ちゃ、ちゃん』と音楽が流れた。でも流れた音楽は、日本テレビ系の全日本プロレスの中継の時に流れる音楽で、厳密に言うと、テレビ朝日なので新日本プロレスの中継時の曲は全く違うのだ。まあ、電話して抗議するほどでもないので、ここに記しておこう。

どうでもいいか。

 

 

 


DDTプロレスに悪べしゃを見る

2006-10-22 23:51:48 | スーツアクター

またまたプロレスを観た。今日も後楽園ホール。DDTプロレスという団体。

もともとは屋台村などにリングを張って試合をやっていたところみたい。ちょうど12時から試合開始。後楽園ホール入り口で知り合いと待ち合わせ。すると大音響が聞こえてくる。そう、後楽園んもボーケンジャーショーが始まったのだ。思い起こせば、10年近く前は毎週土日に来ていたんだなあ。

 

今日はすみません、カテゴリーをスーツアクターとしていながら、なぜかプロレス。プロレスは新日本やNOAHのように正統派レスリングをやる団体と、どこかショー、演劇のようなパフォーマンスで場内をわかせるエンタメ派に分かれる。DDTはどちらかというとエンタメ系。試合開始前のマイクパフォーマンスが面白かった。正義派と悪派がマイクで言い合うのだが、こんもやりとりと会場へのアピールが全く持って、キャラクターショーの子供遊びと似ていた。

 

デパートの屋上というのは、後楽園とは違い、30分のショーをフルに戦うわけにはいかないし、芝居だけでつなぐには間が持たない。また最も重大な問題は、人数が10人編成なので、人が足りず、必ず誰かがキャラクターをダブって着るのだ。最初は5人者のヒーローが赤、青、桃あたりで3人ぐらいでる。戦闘員は3人。しかしこんも戦闘員が途中で帰ってしまう。一人を残して。そうあとの二人は、ヒーローに着替えるのだ。その時間稼ぎこそ、子供をさらって、悪の隊長(悪のおしゃべり=業界では悪べしゃと言う。)が子供と掛け合いをする、あの時間=子供遊び、なのだ。

 

悪べしゃをやる人は、アクションマンとは違う技量が必要だ。ということもあり、結構、劇団の人や、喜劇役者の人が多い。子供というのは天然で結構面白い。裏のテントで着替えながら、この悪べしゃのやりとりが聞こえてきて、思わず笑ってしまうことも多々ある。

 

DDTプロレスの高木三四郎社長は、べしゃりがやたらうまかった。この方は、悪べしゃができるなあ、などと思ってみていた。そういえば、デーモン小暮も悪べしゃをやっていたという説がある。あのしゃべりはどう見ても、悪べしゃだ。ちなみに彼はライダーベルトをしている。

 

さて今日のDDTプロレス何が一番おもしろかったかというと、元沢田亜矢子の旦那兼マネージャーであった、松野さんがゴージャス松野と名乗って、リングにあがっているところ。究極の素人なのだが、迫力のないダイビングヘッドバッドが最高に面白かった。いやあ、でも観客盛り上がってたなあ。


『フラガール』的プロ論

2006-10-09 19:42:24 | スーツアクター

昨日『フラガール』を観た。その中で、 スーツアクター的に響いた言葉 があったので今日はそれを書こうと思う。映画の中で、ダンサーを目指している蒼井優たちへ元SKDダンサーでプロのダンサーとして松雪泰子が口にする言葉、“プロ”について。2回このプロについて語っている。要はプロの俳優は、どんな事があっても本番の舞台では演技に徹し、穴をあけるな!ということ。

 

最初は、蒼井優が、一緒にダンスを誘ってくれた仲間が家の事情でダンスをあきらめて転校してしまう時。悲しみにくれ泣いている蒼井に、『プロのダンサーはどんなに悲しい時でも舞台では笑顔でいなければならない』と渇を入れる。

 

次に、プロ論を語るのは、もっと深刻な場面。ダンサーの一人であるしずちゃんが、落盤事故で父親が危篤だというのに、公演には穴はあけられないと言って舞台に上がるところ。ここは、松雪は本来なら『プロたるもの、親の死に目には会えないのも覚悟しろ、と言いたいところだが、、、、』と親元へ行くことを許すが、しずちゃん自ら志願し舞台に上がった。

 

このプロ論は、スーツアクターになってすぐ、先輩から徹底的に叩き込まれた。一度受けた仕事は絶対に穴をあけてはいけない、風邪引いて熱があっても這って出て来い、極端な話、親が危篤でも、というもの。遅刻なんてもってのほかだ。

 

以前このブログにも書いたが、私の同期も親が亡くなったのに仕事に穴をあけなかった。またこのプロ論で思い出すことがある。 細木数子の番組の総集編をやっていたのだが、コント赤信号の“渡辺正行”が番組内で得意の『コーラ一気飲み』を披露した後のこと。細木がずばり言う、『彼は偉い。今日彼は実は最愛のお母様が亡くなられた。その事を全くスタッフに言うこともなく、悲しみを微塵もみせずにこの場へ来た。』というもの。細木数子がその事実を知っていたのか、心理を読めたかどうかはこの際考えまい。

 

会社勤めをしていると、つい上記のようなプロ論を意識しなくなる。今日は頭が痛いから休もうとか、飲みすぎたから半休なんて、自分に甘えてしまったりする。まあそれでクビにはならないし、有給休暇は権利だ、なんて主張したりしてしまう。

 

今、フリーとなってやっているが、まだまだ仕事面で甘い自分がいる。他人に厳しく、自分に甘くなってしまう。ある本で読んだが、他人の自分に対する評価は自分が考える10%だそうな。要は一人前と認めてもらえるためには10倍今より努力しろということだ。改めて、『フラガール』を観て、自分の気持ちを引き締めるきっかけになった、・・・・・かも!?いや、まだ甘いなあ。


ローカルヒーローとは?

2006-09-30 13:48:38 | スーツアクター

今、映画の企画をしています。そのテーマの一つが『町おこし』。確かに映画のロケ地として、各地方自治体が協力して、観光目玉に映画をからめたりしている例は多々あります。フィルムコミッションなるものが全国に存在しています。

 

ただ全国の『町おこし』なるものは個々はバラバラで、横のつながりはあまりありません。また横がつながる必要性もないのかもしれませんが、仮に姉妹都市ではありませんが、全国の町がつながるものは何か作れないだろうかと考えていたところ、全く違う観点から、ローカルヒーローが出てきたのです。

 

私自身はスーツアクター出身ということで、テレビなどでたまに取り上げられる全国のローカルヒーローには注目していました。そこで、ウィキペディア(Wikipedia)でローカルヒーローを検索してみると、あるはあるは全国にびっくりしました。

 

5麺ジャーやら、リサイクル戦隊ワケルンジャーやら、ネーミングも多岐に渡り大変面白いです。なかでも結構好きなのが、 『超神ネイガー』 です。

これは面といい、スーツといいかなり精巧に作りこんでいます。面は、秋田のなまはげの面をモチーフにしていて、これまたよく作りこんである。

 

いつか後楽園遊園地で、“全国ローカルヒーロー大集合ショー”をやりたいと思ったのでありました。


スーツアクター的夏の終わりを感じるとき

2006-09-01 19:22:46 | スーツアクター

今週のお題:夏の終わりを感じるとき

スーツアクター的に言うと、かつて後楽園遊園地の毎日公演に出ていた時は、毎日公演終了と同時に夏が終わったなあと感じます。子供の夏休みと同じ8月31日が毎日公演終了の日なのです。子供の頃は、夏休みが終わったら夏は終わりですよね。それと同じです。

 

毎日公演が終わると、土日のみの公演になるのですが、9月一杯までは、同じ演目なのでショーの中身は変わらないのです。7月、8月は基本的に毎日暑いのですが、9月になってくるとショー自体が少し楽になってきます。ショーの最中は、暑いのは変わらないのですが、それはやはり気温、湿度といった要素が少しずつ変化していっているからだと思います。

 

屋外で動いているとそういう微妙な感覚を、まさに肌で感じるものです。

 


スーツアクター先輩

2006-08-21 23:57:53 | スーツアクター

俳優:寺島進氏

昨日、ふとチャンネルを切り替えていたら、とある人が出ていたチャンネルで固定された。TBSの情熱大陸だ。昨日は、俳優の寺島進さんの特集だった。

 

このブログでスーツアクターについて書いていますが、実は、私が新人2日目に寺島さんとショーをやったことがあるのです。違うチームで活動されていて、どちらかというと大部屋役者で素顔で勝負されていました。スーツアクターはたまにバイトということでされていたのではないでしょうか。

 

もう20年近く前になります。寺島さんは当然私の事など覚えていないでしょう。しかし、私はというと、あの顔ですからねえ、忘れませんよ。でも優しくてどこか、楽しい雰囲気を醸し出している方でした。

 

その後、映画の端役から、気づいたらタケシの映画には必ず出てくるようになって大活躍。最近でこそ、テレビも出られていますが、なかなか名前と顔が一致しないかもしれませんが、見たことはある顔だと思います。というより一度見れば忘れないと思います。

 

ちょうど、私がご一緒した前日のテレビ「風雲たけし城」に出演されていて、ショーの仲間が、あの人昨日テレビに出ていた、と騒いでいました。

 

このたけし城は、視聴者参加番組で名をはせた番組ですが、第1回は、業界のアクション俳優が多数(素人として)、参加していました。・・・ようはお仕事として。

 

その時に寺島さんは出演されていたのです。その時に確かタケシに、気に入られたと記憶しています。その後の活躍は言うまでもありません。

 

昨日の番組でもかつての大部屋役者時代のことを今でも忘れないと、過去を隠すことなく鬼怒川のウェスタン村のショーの話をしていました。偉大なるアニキ、これからも応援しています。(寺島さんはアクションも相当な腕前です。)

 


スーツアクター VS コスプレイヤー

2006-08-13 23:42:36 | スーツアクター

今日、夏の最大イベント、コミケが終了した。昨日の雷雨は大変でしたが、今年も大盛況で、館内・外ともに人と熱気でむんむん。熱中症になりそうなぐらいでした。

コミケにはコスプレコーナーというのがあり、日ごろの鬱憤をはらすべく、変身してコスプレイヤーとして別人になっている方も多いようです。またコスプレイヤーを撮影する人も多く来場します。

※企業ブースのコスプレがネットにでていました。

 

ここ数年、アニメ系のイベントに出展し、いろいろ見てきて自分の考えが間違っていたことに気付きました。それは、コスプレイヤーは当然、特撮ヒーロー好きが多く、仮面ライダーだとかのカッコをしている人が多いであろう、ということ。

 

が、各イベントのコスプレイヤーを見ていて、一つの現象に気付きました。それは、

“顔は皆隠していない”

と言うことです。ライダーなどの面は確かに作るのは難しいのですが、それにしてもあまり見ないのです。顔に面をしている人を。

 

私の勝手な予想ですが、コスプレイヤーは自分の顔を主張してこそコスプレイヤーであり、顔を隠すと自分ではなくなってしまう、という思いがあるのでは?なので彼等はスーツアクターとは一線を画しているのです。

 

スーツアクターは、面をすることで、全く自分ではない別の存在になりきることに喜びを感じていたり、逆に、自分の正体を他人にあかさないことに一種の美学を持っている、のでは?少なくとも自分はそうです。

 

まあ勝手な意見なので流してください。 

 

 

 


スーツアクター夏の思い出

2006-08-09 21:46:56 | スーツアクター

8月に入って、残りあと20日ほど。20年近く前の話ですが、スーツアクターにとって夏は稼ぎ時です。後楽園の毎日公演は稼げますけど、大変です。1日5回ショーなんてこともありますからね。

 

そこで、稼げてオイシイ仕事というのが地方での泊まり公演です。僕が現役の頃は、夏といえば金沢か、鬼怒川が長期遠征の場所でした。1ヶ月泊り込みです。なので朝から移動時間がないのは楽。夕方公演が終わって洗濯などやるべきことをやればあとは自由時間。(公演前は、手合わせなど練習で毎日大変です。)

 

僕は新人の年に金沢に行きました!今はもうないのですが、金沢が一望できる山にあるところで、プール、動物園、水族館、大浴場などがありました。舞台が2箇所あって、そこで連日ショーをやります。

 

仕事の話はさておき、そこでの食事がおいしいのです。賄い料理といいますか、そこの従業員用の食事なんですが、決して豪華ではないのですが、カレー、シチューなど庶民的なんです。

鬼怒川は料理は刺身、肉と豪華なんです。でも飽きるんです。それはお客さんに出している料理と一緒だからです。お客さんは30日も泊りこまず、せいぜい1泊2日でしょうから、出る料理はほぼ毎日一緒だったようです。

 

さてショーの話。この金沢長期遠征は僕は1回だけしか経験していないのですが、この年初めて、うちのチームとしては初めてメルヘン(ゲゲゲの鬼太郎)ショーをやったのです。前半2週間は戦隊物。後半がメルヘンだったのです。メンバーは一緒。僕は戦隊の時はタッパ(背)がないので、ピンクでした。が鬼太郎は、逆に背が高くない方がいい。ということで、新人ながら私が主役に抜擢されてしまいました。連日の猛稽古ではありましたが、なんとかこなしました。サインも自分で勝手に考えてサインしてました。

 

ショーは完パケ(完全パッケージ=音声収録済みのテープ)なので、音声にあわせて芝居をするのですが、これだとお客さんはどこへ行っても同じ内容です。我々のオリジナルをやろう!ということで 同期(現在も活躍中) とダンスをやったのです。当時はやりの 光GENJI の曲に合わせて。

彼は背が高いので、ねずみ男でした。二人でとにかく派手にということでバック転、バック宙の交差などをやりました。鬼太郎やねずみ男が宙返りするのでお客さんはかなりびっくりしてくれていました。が、ある日“事件”が起こってしまったのです。

僕がバック転後の前転前宙をして、後ろを振り返ったら、ねずみ男がいないのです。

 

バックの曲は流れたまま、一人で手持ちぶさたながら踊ってごまかしたら、ねずみ男がMCのお姉さんに連れられて戻って、その後は事なきをえました。

 

後でビデオを見て理解しました。ねずみ男が、バック宙返りをした時に、なんと面がぬけたのです。ただ面が衣裳にくっついているので、顔バレはしなかったのですが、頭がぶらぶら下向いていて、やってる本人は衣裳で前も後ろもわからずおろおろ。いったん舞台裏に入ってもう一度セッティングしていたのです。

そんなことを夏になると思い出します。

そんな同期の彼も現役ではあるのですが、最近は、飛べなくなりました(宙返りなどすること)というコメントを先日聞き、お互い年をとった事を痛感するのでした。

 

 


スーツアクターの聖地

2006-07-26 23:46:17 | スーツアクター

私が最初の就職先である証券会社を辞めてから10年 近い年月が経った。

次の仕事が決まって会社を辞めた訳ではなかった。いつでもスーツアクターに戻れるように体力は維持していたので、ひとまず東京へ戻ったら土日にショーをやろうと思った。またアクションクラブの事務所からもお帰りと言われ早速仕事をやらせてもらった。

それがちょうど7月からだ。最初は、土日だけの単発ショーに出演していた。とある平日に事務所から急に電話が入った。後楽園遊園地のキャストに入って欲しいと。しかもコースターレッドに。

 

 「えつ、ぼぼ僕がですか?・・・・
             ・・・・・ いや止めときます。」

 

と言った。後楽園遊園地はショーをやるものにとっては撮影(TV出演)と並んで最高の舞台なのだ。言うなれば、ショーの頂点、宝塚みたいなものだ。

後楽園は、代役で戦闘員などはやったことがあったが、いきなりコースターレッドとは!

 

コースターレッド とは、ショーの最中ヒーローがピンチになった時にジェットコースターの先頭にレッドが立って現れ、銃を撃ってピンチを救ってくれるという役で、コースターレッドという専門の役なのだ。正直一番目立っておいしい役なのだ。

(旧野外劇場の時の名物。その後劇場は取り壊し、現在のスカイシアターへ移設し、この名物はなくなりました。)

それはショーをやるものにとっては最高の舞台の最高の役なのだ。

それを自分がやるなんて、、、、。やりたいけど、動くジェットコースターに両手を離して、しかも立って、銃を撃つなんて、怖くてとてもできないとお断りした。

 

が事務所から説得され、急遽翌日から出演した。
(コースター役だけだとあまりにも楽なので、最初は戦闘員をやる。すなわち一人二役

 

初めてコースターに素顔で立って練習した時は、地上20mはあろう高さから落下するかと思った。 (※当然命綱なし。一応後ろに係りの人が座ってはいますが、落ちそうになってもどう考えても手も届かず間に合わない。)

本番は面をつけたので恐怖感は薄れて(周りが見えないので)、なんとかこなせた。

以降レギュラーとして役に入り、回数をこなすうちにバランスのとり方がうまくなっていったのであった。

 

実は学生時代のバリバリ現役の時に撮影には行ったものの、後楽園だけは出演するチャンスがなく、いったん引退した身としては、後楽園レギュラーになることが果たせなかったのが心残りであった。

が、サラリーマンを辞めたことで、その夢が叶ったのだ。

 

人生って本当にわかりません。

ちょうどその事務所から電話がかかってきたのが
  数年前の今日7月26日だった。

今日のような暑くて晴れた日だった。