さて、先日、「ゼロワンMAX」というプロレス団体の興業を観にいった際、スーツを着たタイガーマスクが関係者席に座っていた。プロレスラーのタイガーマスクというのは、初代が、佐山聡氏、2代目が、現「プロレスリング・ノア」代表の三沢光晴氏、3代目以降は、もう誰が誰だかわからず、今は何代目なのかも全く理解していない。
なので、まさか初代の佐山氏だとは思わなかった。が初代だったのだ。なぜかと言うと、この日のタイトルマッチのAWAコミッショナー代理として、タイトル戦の立会い人として来ていた。またこの日は、ノアのタイトルである、GHCの2大ベルトを賭けたマッチだった。GHC側のコミッショナーは、かつてジャイアント馬場さん健在の頃の全日本プロレスの名レフリー、ジョー樋口氏だった。
実物の佐山さんにお会いするのは、実に23年ぶりぐらいではないか。高校生の時分には、佐山さんのタイガーマスクに熱中していた。よく、今はない蔵前国技館や、東京体育館に観戦に行っていた。お会いするというより、遠くで見ているというのが正しいか。
さて、私にとっての佐山さんは、本当に人生を変えるぐらいの人だった。タイガーマスクの高いサマーソルトキックを見ては、よく壁を見ては蹴りの練習をしていた。またサマーソルトキックというバック宙返りをしながらの蹴りを見て、バック転をやるようになった。
高校時分に体が小さく、どうしても運動ではハンディがあり、どこか根暗な部分があった私が、修学旅行時に覆面を持参して皆の前で、プロレスをやったことと、その歓声を受けた喜びが、後のスーツアクターになるきっかけになったような気がする。
そういう意味では、佐山さんは、私の師なのだ。