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転職人生ここにあり!

証券マンから、スーツアクター、はたまた映画のプロデューサーとはちゃめちゃな人生を歩む筆者の日々の日記

初代タイガーマスク(つづき)

2007-02-20 11:37:18 | 

さて、先日、「ゼロワンMAX」というプロレス団体の興業を観にいった際、スーツを着たタイガーマスクが関係者席に座っていた。プロレスラーのタイガーマスクというのは、初代が、佐山聡氏、2代目が、現「プロレスリング・ノア」代表の三沢光晴氏、3代目以降は、もう誰が誰だかわからず、今は何代目なのかも全く理解していない。

 

なので、まさか初代の佐山氏だとは思わなかった。が初代だったのだ。なぜかと言うと、この日のタイトルマッチのAWAコミッショナー代理として、タイトル戦の立会い人として来ていた。またこの日は、ノアのタイトルである、GHCの2大ベルトを賭けたマッチだった。GHC側のコミッショナーは、かつてジャイアント馬場さん健在の頃の全日本プロレスの名レフリー、ジョー樋口氏だった。

 

実物の佐山さんにお会いするのは、実に23年ぶりぐらいではないか。高校生の時分には、佐山さんのタイガーマスクに熱中していた。よく、今はない蔵前国技館や、東京体育館に観戦に行っていた。お会いするというより、遠くで見ているというのが正しいか。

 

さて、私にとっての佐山さんは、本当に人生を変えるぐらいの人だった。タイガーマスクの高いサマーソルトキックを見ては、よく壁を見ては蹴りの練習をしていた。またサマーソルトキックというバック宙返りをしながらの蹴りを見て、バック転をやるようになった。

 

高校時分に体が小さく、どうしても運動ではハンディがあり、どこか根暗な部分があった私が、修学旅行時に覆面を持参して皆の前で、プロレスをやったことと、その歓声を受けた喜びが、後のスーツアクターになるきっかけになったような気がする。

 

そういう意味では、佐山さんは、私の師なのだ。

 

 


4代目携帯:海外ローミングFOMAだけどカメラは100万画素

2006-10-13 20:26:15 | 
私のは、ずばり4代目『麻宮サキ』ではなく、4台目です。海外でこれから仕事するぞ!と意気込んで購入したドコモでは数少ない海外ローミングサービスFOMA(しかも青しかない、さらに分厚い)。一応カメラ付きだけど、100万画素だから、画質が粗く、携帯からのブログ投稿は写真が小さい。といった感じ。


海外ローミングといえば、Vodafoneが圧倒的に有利だったのですが、何せ電話番号が変わるのはネックということで、ドコモのままにしたので、機種が限定されてしまったわけ。まあ、ナンバーポータビリティー導入になるので今はいいですけどね。


最初は、今から10年前、PHSを買った。まだ当時はアンテナが少なくてかかりづらかった。その後、転職して、会社支給で一人1台持てるようになりました。その会社が実質倒産したのですが、携帯は個人買取可能だったので、個人所有に切り替えて、4台目なのです。


番号替えるといちいち皆に連絡するのも大変だし、しないと、友達減っていくので、番号変えずにいます。でも相手が変わってて結局連絡とれなかったりするんだけど・・・・・・・。しかし、皆さんは今回のナンバーポータビリティ制導入でキャリア替えますか?



爽やか青年像が崩れた瞬間!

2006-10-06 18:57:26 | 

恐らく人生で一番恥ずかしい思いをした瞬間でした。

一言で言うと、『誤って皆の前で、○○ビデオを流してしまった!!!』のだ。

まだ20代の頃でした。私のイメージは、スキー好きの好青年のイメージが会社内やスキー仲間には少なくとも浸透していたと勝手に思っております。当時は『私をスキーにつれてって』後で、スキーバブルの時代でした。人より少しは滑れたので、よく初心者には靴の履き方、転び方などつきっきりで教えていました。

 

スキーと言うのは、最初に誰に教わるかで、その後好きになるか嫌いになるか決まると思っています。最初にほったらかしにされると寒いだけで、もう二度としたくない、なんてことになります。 純粋にスキーを愛する私”としては、初心者には絶対にスキーを好きになってもらう、という使命がありました。

 

なので、初心者教え率はダントツ社内でトップでした。それが誤解を生んだこともありましたが・・・・。さて本題、先輩の彼女と、その友人の女性3人組にも、私のコーチぶりは好評で、彼女達からは、爽やかなスキー青年と映っていたはずでした。当時買ったばかりのハンディカムで彼女達の滑りをビデオに収めていました。

 

いざ寮に戻り、先輩の部屋で『スキー旅行思い出ビデオ』上映会をやることになっていたのです。もう、お気づきのことでしょう。その時に流してしまったのです。でも通常のビデオではなく8mmビデオなのに、なぜ○○ビデオが?とお思いになるでしょう。正直に申します。別の先輩から借りたビデオが気に入ったのでダビングしたく思い、VHSデッキは1台しかないので、8mmビデオにダビングしていたのです。

 

タイトルを書かずにいたのがそもそも失敗の始まり。今でも、その光景が・・・・

先輩の部屋に集まった女性3人と、先輩。ハンディカムを先輩のテレビにセット。テープを入れて再生してみたら、・・・・・・・×÷△○□の映像が・・・・・

 

瞬間何が起こったか悟った私は、とっさになぜか、テレビにつないでいるコードを引っこ抜いたのです。が、映像コードだけ抜いたので、・・・・×÷△○□・・・・の声だけがブラックアウトした画面から聞こえているではないですか!?

 

やっと停止ボタンを押しました。ハンディカムのボタンって小さいのでとっさにコードを引っこ抜いたのがさらなる墓穴を掘りました。その時の、女性陣の顔は今でも思い出します。イメージでいえばちびまる子ちゃんが、ガーンといったとき顔に線が入っているあの顔でした。

 

秘め事はいかんですなあ。 久々に書いたブログがシモネタで失礼。

 


2週続けての Happy Wedding

2006-09-23 23:38:56 | 
先週、知り合いの結婚式がありましたが、今日も仕事仲間の結婚式があり、2次会に参加してきました。さて場所はどこだっけと思って地図を見てみると、あれ、よく知っているところ。そこは何を隠そう、私が実らなかった片思いの方と1年前に食事をしたところでした。まあ私が一方的に告白をして振られたというか、友達のままでお付き合いをとのことだったわけなんですが・・・・


さて今回のカップルの馴れ初めは、会社での同僚だったとのこと。話を聞いているとどうやら知人の男性が惚れたようで、出会った初期の頃には既にプロポーズをしたとか・・・・。それから2年ぐらい待たされたのでしょうか、ようやくゴールインにこぎつけたようです。


さてさて私にとっても思い出の場所での2次会だったわけですが、私の方は、それから1年近くして、またまた何故か急にその片思いの方から食事の連絡が・・・。
その後、特に進展はないのですが、、、、期待せず2年待ってみますか。
(もう攻めるのも疲れたというのが本音)

牛丼が食べたい “すき家”編

2006-09-21 14:52:52 | 

先日、吉野家について書いた。

が、牛丼デーの日ではなかったので、豚丼を食べた。昨日、打ち合わせなど終わり気付いたら夜になっていた。やけにお腹がすくなあと思っていたら、昼食を食べていないことに気付いた。自宅に戻ると1時間はかかってしまうので、なにか軽くお腹に入れようと思った。

 

マック、ラーメン、・・・・何にしょうかと思っていると、ちょうど “すき家” が目の前に。むしょうに牛丼が食べたくなった。その食べたい味は、吉野家なのだが、まあしょうがない、すき家で我慢しよう。

 

“すき家”は、みそ汁付き なのが、“吉野家”と違うところ。

 

並、330円也

 

ふと、メニューを見ると、 ≪豚丼≫ の文字が。

吉野家に対抗してなのか、ここは牛丼があるのに、豚丼を用意している。さらにメニューをよくみると、豚丼のフリガナが・・・・・。

トンドン  とあった。ブタドンではなかった。

 

先日の日記で、豚丼はブタドンと勝手に結論づけたものの、翌日には却下か。トンドンの名前の方がメジャーなのだろうか?まあどうでもいい話ですが。


またまた大掃除!と思い出の極真空手

2006-09-18 20:14:44 | 

2週間前に続いて、本日も大掃除。前回は、カセットテープ、ビデオなどをメインに不用品回収業者に引き取ってもらって、5万円支払った。それでもまだ部屋はちらかったまま。まだまだ捨てないといけない。そこで押入れの中で眠ったままの書物類を処分し、押入れスペースを有効活用することにした。

 

押入れ内のダンボール箱を開けると、懐かしいものが・・・・。社会人2年目に入門した地上最強の空手 “極真空手” の機関誌「パワー空手」が2年分。帯が進むと、この誌面に名前が載る。自分の名前が載った号を探すのも、また時間がかかるので、思い切って捨てることにした。

 

それ以外では、毎年大阪で開催していたウェイト制大会のパンフレットが。広島支部の師範代が出場していたので、広島から大阪まで応援に行った。当時はまだK-1は存在せず、K-1の母体である 正道会館 は、名前を上げるべく、極真の大会に選手を送り込み、角田選手はじめ、上位へ選手が入賞していた。

 

その後、逆に正道会館は、アンディ・フグなど極真の有名選手を引き抜き、K-1のリングに参戦させ人気を博した。ちょうどK-1のバンフレットも出てきた。これはアンディが出ているし、記念にやはり取っておこう。

 

さて、いざウェイト制の大会会場である、大阪府立体育館に足を運んでビックリしたことがあった。それは、観客の半分が正道会館の門下生だったこと。正道の選手が少しでも優位な試合運びをすると、まわりが大喜びしている。さながら、こちらが他流派のようであった。

 

そんな懐かしい日々を思い起こしながら、荷物をまとめたら、しめてダンボールが

8箱 に。今回の不用品回収代金はというと、

 

  ¥60,000也   

 

またまた結構かかってしまった。まあようやく部屋に足の踏み場ができたので、モノを壊さなくはなりましたが。

 

 


久々の結婚式、しかも出番なし。

2006-09-17 23:11:05 | 

今日久しぶりに、結婚式に呼ばれ出席した。不惑の年ともなると、知人関係では、同年代は一通り所帯を持っているし、身近な後輩もほとんどは結婚している。あとは私のように、独身貴族組みなのか居残り組みなのか、当面結婚しそうにない人達がわずか。。。

 

かつては私がスーツアクターということで、よく出し物をやって欲しいと言われライダーショーなどをやったりしたもの。とは言っても、まわりは普通の会社員の方々だったりするので、一緒に演じる仲間がいない。さてどうしたものか・・・、結局、自分の声を入れたカセットテープを用意し、新郎新婦にメッセージを送るというシンプルなものに落ち着いた。

 

ついついアクションをやっていると、自分のカッコイイアクションを見せたくなってしまうのだ。が、何もカッコイイものを見せてもしょうがない。昔、よくアクションクラブの社長が言っていたが、子供はとにかく、面をかぶったヒーローが出ればよくて、最後にポーズだけ決めろ!と。そうポーズを決めて、メッセージを伝え、最後に颯爽と帰る。この間、わずか3分あまり。まだ見たいと客に思わせつつ、二度とあらわれない。

 

さていつもそうだが、そんな訳で自分の出番が終わる頃は式も終盤に近づいていて、席に戻ると、食事の皿がたくさん残っている。それを一気に平らげる。

 

今回は、どういう訳だか主賓のテーブルだった。なので、どっしりとゆっくりとカップルをお祝いし、皆さんのスピーチ、出し物を堪能させていただいた。でももし、スピーチをしてくれと言われたら絶対に断わって、ライダーショーで勘弁と言っていたであろう。

 


最初で最後(かも)、リングサイドプロレス観戦!

2006-09-10 22:26:56 | 

昨日、普段お世話になっているゼロワン さんではなく、NOAH さん のプロレスをこれまた縁あって観戦させていただいた。しかも武道館のリングサイド席。さらに、TVのアナウンサー席の真後ろ。さすがに、武道館クラスのリングサイドは、もう座ることはないのではという感じ。かなりの関係者でないと座れません。

        

         ※武道館です。

さて、NOAHといえば、三沢さんが社長をやっています。三沢さんといえば、2代目タイガーマスク。私は、高校1年生になってまもない1981年の4月にたまたま新聞を開いたところ、プロレス中継にタイガーマスクという文字を見つけて、幼稚園以来みていなかったプロレスを見てから、初代タイガーマスク(佐山聡)にはまってしまったのでした。

 

漫画の世界そのものをリアルにやる初代タイガー。それからですね、バック転、ローリングソバット、などを練習し始めたのは。少なからずもこの事がのちのスーツアクターをやることに影響を与えたのも事実。

 

佐山さんは体が小さかったので、そこだけが漫画とは違ったところで、ヘビー級選手とはあまり対戦しなかったのが少し残念。で、佐山さんがタイガーを辞めたあとに、団体は違いましたが、ヘビー級タイガーマスクとして登場したのが三沢さんでした。ヘビー級なのに空中殺法も繰り広げるので驚かされました。

        

        ※昨日の三沢さん(左)。タッグマッチでした。

さて、今回のリングサイドはこんな感じでした。↓

       

この写真は、メインイベントのGHCヘビー級選手権試合のコールが終わった後です。ちょうど、試合を終えたばかりの三沢さんが解説席に着いたところです。三沢さんが解説なので、TVカメラが常に三沢さんを撮影しています。(※私も映っているかも。ちなみに今日の夜中に放送されます。)

ちょうど、アナウンサーの声も聞こえ、場外乱闘などで見えにくいときは、ちょうど解説者の前のモニターが見れて、最高の席でした。ちなみに三沢さんは、あのボソボソ声なので、解説は聞こえませんでしたが・・・・・。

 

これからプロレス関係の仕事もやっていくとになると思います。プロレスも、団体ごとでのライバルではなく、サッカー、野球、その他ともお客さんを意識して、集客を図っていかないといけません。そのためには、今までと同じことをやっているだけではいけません。何か今の時代にマッチした提供の仕方を考えたいと思っています。

 

 


楽天の勝敗に一喜一憂

2006-09-05 23:55:09 | 

新球団楽天には昨年から注目している。昨年はあまりにもゲーム差が開いたのと、得点差開きすぎのゲームが多くてプロ野球と高校野球ぐらいの差がありあきらめていた。

 

が今年は野村監督なので少し期待しつつ開幕から密かに応援している。昨年との大きな違いは負けは負けでも得点差が大きく離れなくなってきたこと。

 

一時は、5位をうかがう可能性もあったのだが、最下位に甘んじている。なんとか球団として認められるところまでいってもらいたいところ。それゆえに1点負けだと本当に残念。今日のも早速夜、スポーツニュースを見ると、7対7の同点ではないですか・・・

 

おしいなあ、どうせなら勝って欲しかったところ。

 

かつて、子供の頃、万年5位か6位が定番だった

ライオンズ(クラウンライターライオンズ)を応援していた頃を思い出す。東京でライオンズファンなんていなかったので、結構バカにされたりしたもんです。西武に変わってからもしばらくは弱かった。でもいつしか常勝球団になったあたりで、もうライオンズには興味がなくなってしまった。

 


厄年

2006-09-04 23:55:52 | 

実は、今年は厄年なんです。もうこれで私の年齢もばれてしまいますが、、、、。特に、お祓いとか行っていないんですが、、、、。

 

さて、仕事の方もいろいろと手を出しすぎていてなかなかいずれも中途半端になりかけている。今、俗に言うサラリーマンではないので、有給休暇なんてものもないし、土日も完全に仕事を忘れてというわけにもいかない。まあ、基本的には自分の好きなエンタテインメントビジネスしかやっていないのでいいのですが。

 

考えて見ると一昨年の夏に、カンボジアに行って以来1週間とかは休んでいない。昨年も夏休みはとっていない。年末年始も仕事。今年も夏休みとる予定なし。

 

まあ、脳のリフレッシュという意味では海外で長期なんてのはいいが、体は通常睡眠を取るようにしているので大丈夫、かと思いきや、昨日の夜中から、左わき腹がシクシク痛い。寝れないほどではないので、まあ痛みが大きくならないことを祈り、朝になれば直っているだろうと思った。

 

が、朝もまだ痛い。歩くことはできるので、なんとか仕事場には行った。今までにも経験した痛みではあるがあまりにも引かないので、今日は真剣に病院へ行こうと思い、保険証を持ってきた。

 

ら、仕事場へ着いたら、痛みが消えた。予想するにこれは結石か何かかなあ。

 

かつてスーツアクターだったからといって、年には勝てません。厄年迎えた人の話を聞くと、ほんと、体調壊したり、病気したりする人がなんか多いみたい。

やはり体が資本ですからね。なんとか何事もなく本厄を乗り切りたいところ。