若布の養殖は 一番最初の テスト的には
その年の 9月に 若布の根本に出切る葉波状の
根株から採取され プールケースの 中で あらかじめ
採取した 真砂に その種を 付着して 穴あきの
ビニール袋に いれて海底に 沈めて 自然発芽から
自然育成と計画されていた。考えも 計画もよかった。
それは 人の世界で予想する 範囲もので
それ以上の 事は自然界の 鉄則と無視出来ない
掟が存在している事に 後日知ることとなった。
結局。船長の意向は 漁師には
一度や二度では伝わりそうになかった。
無理も なかった。自然は 海は 木は 森は
永遠に地球上に何も変わらず存在する。
そう思い絶対的に信じていた。
それでなければ漁師生活は持続出来なかった。
「なんさま。技官の指導で 今年は若布ば 海の底で
投げ込んで 育ててみまっしょい。」
船長は 今思えば 環境から生産に
話を切替えたような気がする。後日海底の
真砂は赤味を帯びているのは生きてて
白いのはすでに 生はなく死んでいる事を知る。
海草の種芽も 魚の卵も 産み付けても
生かす能力がないことを知る。8月末の暑い日であった。
船長は。時期違いに現れて
「おまえ.今日漁協で.よか話のあるばってん.
昼から来てみらんか。」
又フカの話でもあるのかと
思いつつ行ってみることにした。
私に取って あえる事と 意外な海の話が聞ける
楽しみに午後に成るのが待ちどうしかつた。
漁協の2階に上がると 其処には.今は働き盛りの
おじさん達が座していた。
「オー ヒロシ なんか あっとか?」
不自然な中学生の参加者に声がかかった。
「よかッです.私が呼んだッです。」
空かさず船長は一同に許可を求めた。それも又
今も心に 船長のやさしさと して残っている。
私は まだ始まったばかりの 自分の人生なのに
不幸つずきの最後に ”海の大聖人ポセイドーン” に
会えたような気がしていた。結局 話は
若布の人口育成で。養殖につながる話であった。
県水産の技官同伴の説明会であった。
今から 45.6年も 前の話である。
しかし いろいろな形で
人が 物が 土地が 環境に侵され始めた事を 漁師も
一般の人たちも 本当には気ずかなく 漁獲高の減少。
収穫高の減少に漠然と意識し始めていた。
船長は 「ヒロシ。いつかは おまえ達の時代が来る。
もう 遅か かもしれんばってん まだ 間に合う
海ば 育てろ。いお(魚)ば 育てろ。
海草ば 育てろ。 森ば 育てろ。 川ば 育てろ。」
13才の 私には 確実には 理解出来なかったが
船長が 漁師に伝えにくい ジレンマに
焦る気持ちが 伝わってきた。
私は船長を 理解しようとつとめた。
「今に わかるばな 船長!」
私は心中で 船長に伝えた。船長は 私の目を見て
少し笑っていた。
雄弁でもない 海の男の立姿が 私には 輝いて見えた
・・・・リサイクルおじさんの独り言
見張ブカ。耳張ブカ。ハンマーシャーク。船長は
「ヒロシ。ハンマーは そぎゃん 荒々しくなか
おとなしか方たい。あんまり元気のよか”いお(魚)”ば
追っかけても取りゃ きらん」
船長曰く 鯛.を狙って海中を我がもの顔してるのは.
ネズミか ホジロか メジロかその類だ。
その時 同じ種類でも サメは 内海.外海
住む条件によって多少進化の違いと度合がある事も船長に
教えていただいた。ハンマーは 海中ではエサ取りが難しいので
海面の浮遊物か 海中の動きの 鈍い魚類を狙う。
それからの私は 鯛釣でサメに食われた時
食いついたサメを確かめることにした。
何も難しいことではなく。食いついたと思った時 それ以上に
道糸を与えないこと 船のロープ取に糸を縛り付けるとサメは
必ず 海面の道糸の長さの分離れたところで”ジャンプ”をする。
それ以来 私はハンマーを見たことがなかった。
船長は 「ヒロシ.だからチュ言て 海も。サメも。
風も。なめたら終りバイ」
ちなみに ハンマーに取って海面泳ぐ人間は
弱ったエサに見えるらしい。船長は 日焼け.酒焼けした声で
「ヒロシ。 ついでに言うとく.ばってん。
人は もっとなめちゃいかんばい。人のタマシ(魂)は。
大きさも 思いも 一緒じゃけん。どんな人でん。
自分と一緒ばいて おもとけよ。」
私は産まれたての人間に成って 「ハイ!船長」
何んと 説明不足のとぎれ.とぎれの説教が。
人との触れ合いが不足している
少年の心に響き渡って身震いする感動と 愛情を覚えた。
その晩に 私は人知れず小声で 泣いたことを覚えている。 *****************・リサイクルおじさんの独り言
この海に。この有明に古代から生息していた。
ハンマーヘッドシャーク。見張ブカ。シュモクサメ。
”フカ”の名前は多い。
しかしこのサメは思われているほど獰猛でわない。
実は私も かって 湯島の少年の頃
4・5回 県の水産の フカはえ縄船に
手伝いに技術習得に乗せていただいたことがある。
当時の船長の粋な計らいで
憧れの海(漁師)の男に 成れたような気分で
嬉しかったことを思いだす。船長は 見張ブカが
上がるたびに
「”クソー又か” ヒロシ! ほんなもんの敵は
こっじゃなかぞう。」と船長は絞るように言っていた。
私はある日 漁具の整理をしている。船長に聞いたことがある。
本当の鯛の敵サメは どのサメなのかと
当時水産大學出身で 海が好きで 実務(試験漁)に
従事していた船長は おまえは仕事だけは大人に負けんからな
と誉めながら
私にサメのことを詳しく教えて頂いたことを覚えている。
私はこの時 夢を懐いた
大學え入って勉強した 漁師に成りたいと
船長に伝えると 船長は事の外 大声で
「ヒロシ。漁師の大學は こん海たい!」 とポン!と
頭を叩いた。私は年 2回夏の前半と 後半に船長に
合える楽しみでまちどうしかった。
*****リサイクルおじさんの独り言
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*故郷の海のフカ狩り
ここに現実の掟が自然のなかに存在する。
誰がサメを有明の海に住ませたのか?
彼らは 太古の昔からこの海に生を求めてきた。
鯛を食べるのもいとなみの一環なんだと
彼らは言っているに違いない。
有明.とりわけ湯島の漁師にとっては”死活問題だ。”
同時にサメにしてみれば生死の問題なのだ。
人間の存在は絶対的に
認める地球であったにしても 君達が魚を食うように
俺たちも弱い魚を食べるよ。と言いそう感じがする。
どっちにしても弱肉強食の世界に生きてしまった
人間とサメの戦いと 生きザマには違いない。
別の意味(環境問題)も含めて
豊饒の有明を後世に残したいものでだ。
**********リサイクルおじさんの独り言