BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

日本語教育史の近代

2021-10-07 | 日本語教育史

第2回 日本語教育史の近代
留学生に視点を置く。日本語教育は留学生に始まる。近代史の流れには清国留学生から、そして台湾、さらに戦中にかけて南方特別留学生に至るまで、日本語教育が行われた。

ウイキペディアより

1880年代前半より朝鮮からの留学生が増え、慶應義塾や陸軍戸山学校が受け入れ、1892年には文部省が「外国人留学規定」を制定した。
1895年の日清戦争での日本の勝利により、日本統治となった台湾で日本語教育が始まったほか、近代化の必要性を自覚した清国から日本への留学生が増え、日本語教育の需要が急速に高まりはじめた。
1898年には成城学校が清国陸軍留学生に日本語教育を開始したほか、高楠順次郎が清国人留学生の日本語教育のために東京本郷に日華学堂を設立、翌1899年には嘉納治五郎が清国からの国費留学生の受け入れ校として亦楽書院(のちの宏文学院)を設立、そのほか、第一高等学校、学習院、実践女学校などでも清国人留学生への日本語教育が始まり、留学生の急増により1904年には明治大学、法政大学に日本語を速成教育する専門科が新設された。
1905年に日露戦争で日本が勝利したことにより、日本への留学熱は最高潮となり、同年の留学生は清国人だけでも8000人にのぼったが、教育法には不備も多く、辞書や教科書等の整備も始まった。
清国での日本語教育も盛んになり、1907年には京師法政学堂(現・北京大学)でも日文教育が始まった。
また、1907-08年にはベトナムから留学生300名が来日した(東遊運動)。
清国人留学生は母国で革命の気運が高まると帰国者が相次いだが、1911年の辛亥革命以降、新生中華民国からの留学生が続々と来日し、中国人の日本留学ブームは1937年の日中戦争直前まで続いた。
台湾からの留学生は1901年頃から増え、1922年には2400名以上を数えた。
1943・1944年度は、大東亜省の指示により東南アジア諸地域より「南方特別留学生」が招かれた。


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