BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

戦後の日本語教授法

2021-12-08 | 日本語教育史

日本語教育教授法を第2次大戦後に見る。
英語教育教授法に文法訳読法から、1930年代にパーマーメソッドのミムメム法が開発されていた。そして、戦後の義務教育に英語が科目が採用された。教科書にも内容に変化があらわれることになる。戦後生まれのわたしの教科書はJack&Betty、構造主義の言語理論を背景とした文型が採用されていたように記憶する。
さて日本語を教授する機関に、大学予備課程で、東京外国語大学と大阪外国語大学にコースが設けられる。両外大は東西の言語教育の様相を見せて、大阪外国語大学、現在は大阪大学に併合されている、その課程にも学部予備教育に対して大学院研修生の日本語教育となる。おのずと地域とその伝統における日本語教育は東京と違いを見せることとなる。日本語学習の期間と留学生としての年限が影響したようである。大阪外国語大学に1年のコースで日本語学習をする余裕はないと大学院の2年滞在、これは修士課程であるから、できるだけ受け入れ大学院に進めて研究することを進めるように画策したのである。1年は6か月に短縮されて、より効率的な日本語学習の実践が図られることになる。
その様子は教科書と教授法に見られるようになる。丸うめ式の問題練習による日本語学習と、センテンスパターンをドリルで進めるオーラルプラクティスの集中教材として、対比することができる。




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