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続・MBAへの道

MBA卒業後の徒然を書き綴ってみようと思います。

タレント知事

2007年02月22日 01時28分23秒 | 社会経済
東国原・宮崎県知事が頑張っているようです。昨日も県議会での初答弁がニュースになっていました。それにしても、ちょっとした出来事が事細かにニュースになるのはすごいですね。タレント知事のパワーを改めて認識させられます。実際の政治手腕は全くの未知数ですが。議会とのパイプの弱さなども指摘されているように、今後難局を迎えた際に、どのような方向に向かうのかは全くもって予想が付きません。過去のタレント知事のように、期待されたほどには十分な成果を残せずに終わる可能性もあります。県外人の我々としては、興味深く見守るしかないですね。
そんな東国原氏のこれまでの動きを見ていて感じるのは、上手くメディアを使っているなという点。これは単にタレント出身だからというわけではないような気がします。好意的に解釈すれば、かなり考えて行動しているのではないかなと。注目度の高さを逆手にとって、色々な場面で露出を高める一方、でしゃばらず、ふざけず、でも真面目過ぎずといった感じで、自分の強み弱みを上手く活かしている感があります。中央でのイベントに出てみたり、長島監督を表敬訪問してみたり。ただ、それを単なるパフォーマンスに終わらせず、きっちり宮崎県のPRをしているあたりが憎いですよね。どう思いますか?。
現時点での彼の動きを見る限り、宮崎県民の皆様の反応は悪くないでしょうね。これほど宮崎が注目される機会もなかったですし、彼のお陰で県政への関心は高まるし、一応真っ当なことを言っているし。こうして世論を味方につけると、オール野党の県議会も簡単には知事を潰せなくなります。特に統一地方選挙の前ですから、あからさまに知事に反抗するのは得策ではありません。で、そうこうするうちに知事の権力基盤が固まってきて…。そう上手くはいかないでしょうけど。
さて、言いたかったことですが。それは、知事だから権力があるのではなく、支持があるから権力を知事がもてるのだという点。そして、支持を得るために、彼は自分の強み弱みを理解して、考え抜いた上で行動しているのではないかと思える点。この2点です。
どこまで本当で、どこまで嘘か。温かく見守りたいと思います。

渋滞学

2007年02月12日 22時32分39秒 | 社会経済
西成活裕『渋滞学』新潮選書。変わったジャンルの本です。書店で見かけて一回スルーしたんですが、先日の日経ビジネスの書評に載っていたのと、つい先日著者がTVに出演して解説していたので、入手してみました。かなり真面目な「渋滞」の研究本です。渋滞が起こるメカニズムを様々な角度から分析しています。私も以前「渋滞の先頭」なる記事を勝手気ままに書きましたが、これを読むとあながち間違ってはいなかったように思えます。でも、専門家の手に掛かるともっと緻密な分析が行われます。為になるかは…。どうでしょうね。
渋滞と聞いて、まず思い浮かべるのが交通渋滞です。あるレベルまでは交通量が増えても渋滞が起きずに車は走れます。しかし、それが臨界点を超えたところから、一気に渋滞が始まる様子が明らかにされています。その臨界点は車間距離で40mを下回ったあたりだそうです。これは自由走行中の車のブレーキの制動距離と近いとか。人間が感覚的に危険を察知してブレーキを踏むことで、それが連鎖して渋滞に繋がるという感じです。
渋滞理論は災害時の緊急避難などにも応用されるそうです。狭い出入口に人が殺到するとき、出入口の前には人の渋滞ができるというわけです。このとき、人々が競争して出ようとする場合と、協調して出ようとする場合のどちらが早く出られるのか。その分かれ目は、出入口の幅が70cmより広いかどうか。広ければ競争的に殺到した方が良いらしいです。
アリの行列、インターネットのパケット通信。色々なところで渋滞理論が応用されます。工場の流れ作業なんかもこうした理論で考えられているんでしょう。まだまだ新しい理論だそうですが、発展は続いているようです。頑張って欲しいですね。
渋滞理論。人事の世界ではどうでしょう。人事で渋滞するといえば、例えば昇進管理。ポストの数とその増え方に対する候補者人材の供給フローなんかを考えると…。人材供給がある臨界点を超えると人事渋滞が起き出して…。ちょっと無理ですかね。でもまぁ妙な考えが意外に新しい分野の開拓になったりもするもので。渋滞学。興味のある方はご一読を。

テレワーク優遇税制

2007年02月03日 23時58分19秒 | 社会経済
読売の夕刊で「IT活用の在宅勤務推進へ税優遇」という記事を見つけました。テレワーク推進税制の検討です。在宅勤務用の高セキュリティの情報システムを整備しようとすると、現状ではとんでもなく費用が掛かるわけです。ですから、その分だけ税制の優遇をしようという試みです。今現在の日本のテレワーク人口は674万人と推計されています。それを2010年までに倍増する計画だとか。今後の展開を見守りたいと思います。
さて、この1年間の研究で、テレワークの活用については随分と調べてきました。その過程で分かったことはいろいろとあります。例えば、在宅勤務とかモバイル勤務のようなテレワークは欧米では結構導入が進んでいると言うこと。ですから、決して空想の世界の話ではないわけです。では、どうして日本では上手くいかないのか。今回、政府が税制の優遇を検討していますが、果たして問題はそれだけなんだろうか。それだけなわけないですよね。いろいろ問題はありそうです。
この類の話をするとき、最も考えなければならないのは、企業側のメリットについてです。働く側のメリットは結構分かりやすいですけど、企業側には一体どんなメリットがあると言うのでしょうか。この点を明確にしないとどんなに政府が音頭をとっても上手くいきません。業務の効率化。よくそんなメリットが言われますが、本当に業務が効率化するでしょうか。どんな人がどんな場合にどんな条件でこうした制度を利用したらそうしたメリットを教授できるのか。結局、有効なモデルがないのでそれすら明らかにはなっていません。結構、ハードルは高いのですよ。
ただ、いろいろな働き方の選択肢の検討は、今後も大きな流れとして続いていくでしょう。それを上手く使えるかどうかはマネジメントの力量に掛かっています。試行錯誤する中で、少しずつ有効なモデルを積み上げていければよいかなと思っています。まだまだこれからですね、テレワーク。

生命の系譜

2007年01月31日 23時33分36秒 | 社会経済
また失言でもめています。もちろん、例の「産む機械」発言のことです。ああいう立場の方がどうしてこうも安易な発言をしてしまうんでしょうね。極端な比喩を示して話を印象付けようという作戦でしょうか。それならある意味大成功だったとも言えます。日本中がこの言葉を記憶しましたから。でも、その代償は大きく付きました。勘弁して欲しいですね。そもそも、こうした発言1つで国会の機能が不全になってしまうことも問題だと思います。もっと議論すべき重要なことが沢山あるだろうに…。でも、国民的にはこういう事件の方が面白いのかもしれません。
そんな失言に乗じてではありませんが、最近読んだ本の中に興味深い話がありました。「今生きている人の大部分の人の子孫は500年後にはほとんどいない」「逆に、今生きている人は500年前のほんのわずかな人たちの子孫である」。そんな話です。面白くないですか?。たまたま電車で隣に座った見知らぬ人も、実は遠い昔の親戚かもしれません。会社で仕事をしている同僚も、ずっと遡れば血縁関係があったかもしれない。そうなります。妙な感じですね。
今自分がいると言うことは、当然親がいます。親が入ればその親(祖父母)もいて
、さらにその親の親もいて…。どこまで妄想できますかね。大河ドラマで「風林火山」とかやってますが、あの時代にも自分の先祖がどこかで戦い生き抜いてきたわけです。鎌倉、平安、奈良、大和、弥生、縄文…。今よりはるかに生存が困難な世界を生き抜いてきた数少ない先祖の子孫が自分なわけです。本当に偶然の話ですよね。どこかの合戦で先祖が流れ矢にでも当たっていたら、自分はいなかったわけですから。不思議な感覚です。
想像を絶する数の生命の系譜が途絶えてきた中で、先祖が必死の思いで守り生き抜き伝えてきた生命の結果が今の自分です。誰もがそれぐらい重たい先祖の思いを背負って生きているわけでして、子供を生み育てると言うことはそれをさらに伝えていくことに他なりません。自殺なんてもってのほかなわけです。
かなり大げさに書いてみましたが、最初に戻れば、まぁ「産む機械」なんて言っちゃいかんということです。以上。

同情と非情

2007年01月26日 23時57分15秒 | 社会経済
不二家のひどい実態が次々と明らかになってきました。国の基準やなにやらを全て無視し、自社に都合の良いように勝手に解釈して運用して滅茶苦茶です。まさにやりたい放題。それでも自主再建と言い張る新経営陣の意向がこれまた不明です。どんなに頑張っても、ここまでやってしまうと信頼回復は不可能に近い感じがします。
そんな不二家の問題の裏では、続々と他社が不祥事を公表しています。今なら不二家の陰に隠れて大きく問題にはならないだろうと言う魂胆が明白です。恐らくニュースを見る側も不二家は覚えていても、その他大勢は覚えていないでしょうからその戦略は間違ってはいません。むしろ、この機会に将来に向かって良い方向への改善をしてもらえればと思います。
と書きましたが、やっぱり状況は深刻です。これだけ次々と問題が明らかになったとしても、恐らくそれらは氷山の一角に過ぎないでしょう。この際、ダンマリを決め込んで問題をもみ消し、こっそりと対応している企業は山ほどあるはずです。それを本当だと仮定すれば、それぐらい多くの企業がこうした問題を引き起こすインセンティブを持っているということです。なぜ?。
非情な言い方をすれば、痛みが軽すぎるからです。あれだけの不祥事でも、未だに企業が存続を続けられる現状があり、類似の不祥事はお咎め無しの雰囲気が漂っていることを考えると、痛みは軽いと言わざるを得ません。もちろん、再開の目途が立たず苦しい思いのFC店とか、失職寸前の従業員の方は大変でしょうけれど、そこにもっと痛みが生じないと本当に現場サイドからモラルを正すインセンティブは得られません。幹部が辞任して終了で済む問題にしてはならないわけです。
と言うのは簡単ですが、現実を考えると同情は拭いえません。ペコちゃんを助けたい。でも、そうした同情が結局痛みを和らげて、モラルダウンへの危機意識を甘くしてしまうことも考えられます。「あの不二家だって潰れなかったんだから、このぐらいの不祥事なら全然大丈夫」。そうならないためにも、非情に徹することも時には必要なのかなと。どうなるんでしょうね、不二家。

良い嘘!?

2007年01月21日 23時31分54秒 | 社会経済
「あるある大辞典Ⅱ」のデータ捏造が波紋を広げているようです。日本中で納豆が品切れ続出するほどの影響力があった番組です。昼のラジオで聞きましたが、納豆関連銘柄の株価まで上昇しだしていたとか。それが全部真っ赤な嘘だったというのも、これまたビックリな話ですね。納豆買い占めて毎日食べまくった人はどうなるんでしょう。納豆食べすぎでむしろ太ったりするのかな…。大いに喜んだのは小売関係者ですが、それも明日から売れ行き激減で在庫が溢れかえることになるんでしょう。後始末が大変なことになりそうです。
短い納期で番組を制作しなければならなかった。その結果、調査が適当になってしまった。そんな理由が新聞だかに出ていました。まぁその背後にはゴールデンタイムの高視聴率番組にかかるとんでもないプレッシャーがあるんでしょうし、さらにその背後にはそうした情報番組に過度な期待を寄せる視聴者の存在もあるわけです。だからって嘘をついて良いとは言いませんけど。
今回の件だってバレなければ、皆ハッピーだったかもしれません。そもそも納豆ですから健康には良いでしょうし、小売店も喜べば生産業者も嬉しい限りです。TV的にも視聴率が上がって嬉しいですし、広告業者もありがたかったはずです。まぁ本気で納豆ダイエットを考えた人は効果が無くて残念だったかもしれませんが、別にそれで怒ることも無いでしょう。やり方が悪いとか、自分には合わないとか勝手に判断して別の方法に変えるでしょうから。とすると、嘘を暴いて得をしたのは誰なんでしょうね…。まぁ、それも彼らの嘘を正当化する理由にはなりませんが…。
他の回の放送はどうだったんでしょうね。今回がこれほど杜撰だとすると、以前も何度かやっていたように思うのは私だけではないはずです。でも、問題は起きず、皆ハッピーになってきたわけですから、これまでの嘘があったとしてもそれは良い嘘だったとも考えられます。たまたま今回は運が悪かった。見つからなければ、これからも皆ハッピーだったのに。今週から放送自体がなくなってしまったし…。TVってそもそもそんなに信頼性高いのかな…?。
ちょっと歪んだ見方をしてみました。

案の定、先送り

2007年01月17日 23時55分38秒 | 社会経済
結局、断念したようですね。ホワイトカラーエグゼンプションの法制化です。参院選を前にして、選挙に不利な政策はことごとく先送りされている感じがします。そういう姿勢が一番選挙には不利な気もしますが、実際はどうなんでしょう。年金改革とか消費税問題とか公共事業改革とか。抜本的な見直しは必要なんでしょうけれど、今の政権でこうした不人気政策に踏み込むのは無理がありそうです。かといって、他に出来そうな人もいないですし…。難しいですね、政治は。
ところで、冒頭の話ですが、もう少し深い議論をして欲しかったというのが私なりの感想です。「残業代が無くなる」「長時間労働が助長される」といった労働側の一方的な声だけが強調された感じがしておりまして、それで終わってしまったのがちょっと残念です。つい先日、面接でも聞かれました。「あなたはこの問題をどう思いますか?」「基本的なスタンスは賛成です」。私は一応そう答えてきました。残念に思うのも、だからなんでしょうね。
これが良い制度かどうかは微妙です。現状の人事の仕組みのままでこの制度を導入したら、恐らく労働側の主張どおりになるのかもしれません。ただ、思うのはこういう機に、経営側もマネジメントのあり方を考え直すべきかなということです。1時間あたりの労働が生み出す付加価値を把握して、そういう意味での生産性を本気で向上させようだとか、長時間労働から発生する見えないコストを把握して最適な資源配分を考えるとか。残業代を払わなくて良いからいくらでも働かせてよいとか考えるようでは、経営側もあまりに幼稚です。一方の現行法では労働時間を正確に把握するインセンティブがあまりありませんし…。よい機会だと思うんですけどね、マネジメントを見直すための。
働き方。結構奥が深い問題です。加えて、最も身近な問題です。でも、深い議論がされないのはなぜなんでしょうね。専門家のみならず、一般の労働者だってこの問題なら議論も出来そうですが…。また、どこかのタイミングでこの話が議論されることを願います。

跋扈する魑魅魍魎

2006年12月22日 10時21分38秒 | 社会経済
本間税調会長の辞任が昨日から報じられています。発端はスキャンダル、すなわち本人の問題なんでこういう結果なのも当然という印象はありますが、安倍政権としてはかなり手痛い失策だった感が否めません。まぁこういう人たちは叩けば何かしら出てくるんでしょうから、じゃぁ誰が叩いたかということで財務省の陰謀説などがささやかれるんだと思われます。
さて、MBAのブログなんで政治スキャンダルは専門外です(そもそも専門があるのか!?)。ただ、こういう微妙な現象や問題の背後に蠢(うごめ)いている、政治の世界の裏側に跋扈(ばっこ)する魑魅魍魎(ちみもうりょう)の存在は関心のあるところです。前首相が名づけるところの「改革への抵抗勢力」なるものの存在のことです。今回の出来事にこの「抵抗勢力」がどれほど絡むのかは全く知りません。また、前提としている改革そのものが本当によい改革なのかも私には上手く評価できません。ですが、少なくとも誰かが何かをやろうとするときに、明に暗にそれに抵抗する勢力が確実に存在する事は何となく分かります。場合によっては自分だって抵抗勢力の一員です。これは誰の視点で見るかによって変わってきます。
で、安倍首相。郵政反対派の問題にしても、道路財源の一般会計化の問題にしても、その他色々なところで徐々に徐々に抵抗勢力が力を盛り返しつつある感じを受けます。このときポイントは、知らぬ間に改革を骨抜きにするということです。表向きは改革には賛成の旗を掲げながら、実は裏では改革への抵抗に暗躍していたりします。これを表から見ると、必死に前に進もうとしているのに、全然進んでいないように見えるわけです。この状態。何となく安倍首相に重なって見えませんか?。
企業でも状況は似ています。改革への抵抗勢力は必ず存在します。そういった裏で蠢く魑魅魍魎をどう退治するのか。前首相はひとつの方法を示しました。効果の程は?ですが、あれぐらいの勢いでも結果はそんなもんだというわけです。ましてや、普通のテンションだとどうなるか…。政治性が蔓延(はびこ)る中での改革のリーダーシップ。苦境の首相から学べることもあるように感じます。

今年は1.26

2006年12月21日 20時50分12秒 | 社会経済
この数字を見ると、心情的には記事を書かなければと思ってしまいます。そう、出生率低下による人口減の問題です。厚労省発表の出生率の将来予測が、ついに1.26に引き下げられました。詳しい根拠は知りませんが、これまでのトレンドを見る限りにおいては、まぁ妥当かそれでも若干楽観的かといった印象でしょうか。昨年の場合は、総人口が減少に転じたということでこの問題が大きな話題となりました。このブログでも「いよいよ人口減」「人口問題」と2つほど記事を書いています。この問題、どういう見方をするかで全然スタンスが違うんですよね。それが面白いところでもあるわけなんですけど。そもそも私がこの問題に関心を持ったきっかけは、かのドラッカー氏。確か『ネクストソサエティ』で書いてましたよね。人口減という未知の世界が始まるって。そう、まさに未知の世界。誰も知らない世界がやってくる。だから色々考える上では面白いわけです。
今回の人口推計では50年後に9000万人割れとの予測になりました。最も厳しい予測では2105年に3357万人まで人口は減るそうです。孫かひ孫の世代の話ですけど。日本の総人口が3000万人そこそこの世界。想像できますか?。無理ですよね。9000万人の世界だって無理なように思います。まさに未知なる世界。それが人口減ってハッピーな世の中なのか、その逆なのか。私はどちらかといえば悲観的な見方なんですが、皆さんはどうでしょうか?。
ただ、新聞を読んでいて思ったのは、人口減少自体が問題というよりは、それに適切な対応をしないことの方が問題なんじゃないかということです。楽観的な予測をしては問題を先送りしての繰り返し。こんなに予測可能な統計数値もあまり無いわけですから、もう少し計画的に対応すればそんなに大きな問題も起きない気もします。ということは、起こりうる問題は人為的な問題と言えるかもしれません。人口減が問題ではなく、適切な対応を誤ったことが問題である。そんな議論が成り立つや否や。この問題、まだまだ考える余地は沢山ありそうです。

費用の期待値

2006年12月20日 13時50分38秒 | 社会経済
JR西日本の福知山線脱線事故の事故報告書がまとめられた件が、今日の新聞で大きく出てきました。事故直後には色々な情報が入り乱れていましたが、あれから1年半が経過して、状況は整理され原因の分析も冷静に行われるようになったということだと思います。あとは、この反省を今後にどう活かしていくのか。ここが一番の問題ではないでしょうか。あの時も書きましたが、基本的にはこの問題は大きな構造上の問題をはらんでいます。単純に安全対策をすれば解決するような類の問題とは考えない方がよいと私は思います。
期待値。ここでこの考え方が妥当かどうかは分かりませんが、ひとつの切り口としてみましょう。例えば、こういった重大事故の結果として企業が負担すべき費用が1兆円だったとしましょう。ブランドの毀損なども含めてです。実際がどれくらいかは不明ですが。これは企業の存続に関わる大問題だという認識になります。しかしながら、その重大事故の発生確率が限りなく0%に近ければ、その事故における費用負担の期待値も限りなく0円に近づきます。議論としては単純すぎますが、あくまでひとつの考え方です。
同じ事は経営者にとっても言えます。経営者が事故の責任を取って辞任し失う所得と名誉などを含めた費用の期待値は同様に低いかもしれません。むしろ、客数が減って業績が悪化するほうが、発生確率が高い分、費用の期待値は大きくなる気もします。現場においては、それこそ客からのクレームや上司からの叱責といった費用の方が期待値としては高かったりするわけでして、多少の危険を冒してもそちらの費用を回避するインセンティブが働きます。だとすれば、やっぱり安全は後回しにされるかもしれません。
だとすれば、もっと早い段階でより高い確率で費用が顕在化するような仕組みにする必要があります。じゃぁ、それって何だ!?。うーむ。だから企業は難しい。かといって、再び国営にして非効率な組織にバカ高いカネを払うのも今さらですし。基準や規格などはひとつの考え方ですが、チェックや維持にやはりカネが必要です。どうしましょうね、この問題。

ぶれない軸

2006年11月25日 09時51分53秒 | 社会経済
郵政民営化反対派の復党問題が揺れています。党幹事長が「踏み絵をやる」「反省を明確にする」「筋を通す」と強硬に主張するのに対して、党内でも「厳しすぎる」「政治には情が必要」なんていう声が上がる始末。政治の世界の論理も分かりやすいと言うか分かりにくいと言うか、もう少し何とかならんもんでしょうかね。参院選での票と議席が欲しいが為の綱引きだとすれば、結局どちらの立場が票と議席に繋がるかという問題とも取れます。私から見ればこんなくだらない問題で揉めていることそのものがマイナスにしか思えませんけれど…。政治家の世界ではかなり重要な問題なんでしょうね。
抵抗勢力を敢えて取り込む。それが最終的に改革にプラスの効果を生む論理って何かありますかね?。あまり政治の世界には詳しくないので何ともいえませんが、少なくとも企業の改革ではそんな論理は見当たりません。常識的に考えても逆ですよね。誰かの言葉を借りて表現すれば「抵抗勢力をぶっ潰す」ことこそが必要なわけでして。それが出来ない限り、最終的な改革は骨抜きになること間違い無しです。
ここでは改革の内容の是非を考えていません。ですから、もし抵抗勢力との軋轢が議論の深まりを誘発するのであれば、多少は歓迎されるかもしれません。ですが、それはトップの強力なリーダーシップがあってこそ。皆でわいわいやるだけで、何も決められず何もやらずでは政治の機能不全が生じます(余計なことをやるより、その方がむしろ良かったりするのかもしれませんけど…)。
1つのことを愚直に」。これは安倍政権発足の時に書いた記事です。改革を進める上では、物事の一貫性は極めて重要です。表面では右往左往しても、底辺には「ぶれない軸」がある事。これが信頼を呼び、改革を正当化するパワーとなります。そう考えると、やっぱり今回の件は…。
と、分かってはいても、我々も現実に似たような状況に直面すると「ぶれる」ものです。政治家たちの茶番を笑ってもいられないのが現実だったりします。「ぶれない軸」。結構重たい課題です。

苦境の地方

2006年11月24日 14時30分06秒 | 社会経済
先日、北海道の夕張市の財政破綻に関するニュース番組を目にしました。以前、炭鉱で栄えた町も、人口が10万人超から1万人強まで減少し、過疎化・高齢化の波と共に厳しい現実を突きつけられているとのことでした。まぁ、この件の場合は隠れ借金の問題もあるんですが、その問題は別にしても、今後人口減社会の中でこうした問題は日本全国至る所で見られるようになるんでしょうね。厳しい世の中ではないかと思います。
人口減の話はたびたび書いてきたように、複雑な視点が絡んできます。マクロ的に見れば経済的な規模も調整され、都市の過密や地価の高騰なども問題も解消される結果、豊かに暮らせるという見方もあります。一方で、ミクロ的に考えると、夕張市のように地方都市の痛みは避けられない問題です。特に地方の問題で大きいのは社会インフラをどうやって維持していくのか。そんなの切り捨てて皆で都市に集住すればいい、なんていうのは都市生活者の一方的な考え方です。でも、日本の人口が5千万人ぐらいまで減れば、それも受け入れざるを得ない現実になるのかもしれません。(ちなみに50年後に8千万人、100年後には3千5百万人という予想もあります。)
社会インフラの問題は、一般企業で言うところの損益分岐点の問題と同様の考え方になるでしょう。バス1台走らせるにも、除雪車1台動かすにも、学校を1校運営するにも、道路1本作るにも、全て固定費がかかります。この場合は売上ではなく利用者数ですが、これがあるレベルを下回ると固定費の負担を賄えないため社会インフラは成り立たなくなるでしょう。そのレベルはサービスやモノの種類でまちまちですが、地域人口があるレベルを少しでも下回るとこうした弊害が出てくるわけです。これを解消するには固定費を削減し、もちろん変動費率も下げて、損益分岐点を少しでも下方修正しなければいけません。でも限界がありますし…。普通の企業なら売上増を狙います。でも人口増は簡単では…ないです。
いずれにせよ、厳しい時代は既に始まっているわけです。

いじめ問題

2006年11月14日 14時19分39秒 | 社会経済
1週間、連載で記事を書いている間にも自殺者の数は増えていく一方です。ついこの間、「30代の死因」でトップが自殺だと書きましたが、そのうち10代でも同じ状況になるのではないかと恐ろしくなります。最近では教育者の側まで自殺に追い込まれるケースも出てきていて、事態は複雑になってきています。こうした一連の自殺の原因と言われるのが「いじめ」。程度の差こそあれ、こうした現象が全く見られない学校は無いのではないでしょうか。にもかかわらず、これを全く無いと報告する学校側も学校側ですけど、その一方で、全てを学校の責任にしたがる社会の風潮もまた危険ではないかと思います。
ところで、いつも疑問に思うのは「親」の存在が全く表に出てこないこと。もちろん、自殺したいじめ被害者の親をTVに引っ張り出すわけにはいきませんが、議論の端にも中々出てこないのはどうかなと思います。この類の問題になると、「学校はどうして気付かなかったのか」「学校は何も対処しなかったのか」が論争の中心になり、学校や教育の怠慢が叫ばれますが、問題はそれだけではないはずです。悩める子供はなぜ親に相談しなかったのか。なぜ親に相談する前に文科省に手紙を書くのか。まぁ親も万能ではないですし、親だから言えないこともあるのでしょうけれど、それなら学校だって先生だって事情は同じです。学校の責任を問うと同時に、親の責任も本来は問われるべきところかと思います(加害者にも親がいるわけですし…)。でも、個々の家庭の事情まで考えると「親」の問題は極めて微妙になりますから、メディアも叩き易い方から叩かざるを得ないのかもしれませんが…。
「いじめ」「自殺」。学校に限らず企業でも似たような問題は起こりえます。ある種「いじめ」のようなものは、どの職場にも構造的に存在している可能性が高いのではないでしょうか。職場での「いじめ」が生産性にマイナスの影響を及ぼしているとき、経営や人事はこの問題にいかに対処すべきか。これは昨日までの「場」のマネジメントとも無関係ではありません。「場」の機能を効果的に活用するためにも、こうした人間関係の問題は考慮しておかなければいけないと感じています。

30代の死因

2006年10月31日 10時08分36秒 | 社会経済
悪性新生物。いわゆる「癌」のことです。80年頃から、それまでトップだった脳血管疾患を上回って、死亡原因のトップを走ります。この「癌」に、「心臓病」「脳卒中」を加えたものがいわゆる3大成人病といわれるものです。これらが日本人の死亡原因の6割方を占めます。私も30代に入りましたので、無茶ばかりしていると危ないですね。気をつけないと…。
いや、別に病気になりかけているわけではありません。極めてピンピンしています。無駄に元気なのでむしろ皆に迷惑をかけていないか心配なぐらいでして。じゃぁ何でこの話題かと申しますと。皆さんは30代の死因トップが何だかはご存知ですか?。癌?心臓病?脳卒中?。それとも交通事故?。違うんですよ、それが。答えは「自殺」。この事実って結構ショッキングではありませんか?。(ちなみに20代も同じです。)
厚生労働白書に資料などありますから気になる方はご覧下さい。20代~30代の若者の死因の約3割が自殺です。全年代でみた人口10万人あたり自殺率も世界で10位ぐらいだと言われます。もちろん、先進国ではトップです(自慢できるものでは決してない)。最近も連日のように「自殺」に関わるニュースが流れているのを見て、思わずこういうデータをご紹介してみたくなりました。
「自殺」。比較的アジア圏で多く見られるのは、死して個人の名誉や尊厳を守る伝統があるからだなんてことも言われます。また、女性に比して男性が圧倒的に多いのは、女性が強いという意見や、女性は未遂が多いという意見などがあるようです。私自身、「自殺」の専門家ではないので、これ以上の解説は専門家に譲りましょう。
ビジネスの世界でも近年メンタルヘルスの話題が盛んに取り上げられるようになりました。単純に統計数字を読む限りでは、若い働き手の最大のリスクは「身体の健康」ではなく「心の健康」だということになります。皆さんは、「心の健康」大丈夫ですか?。

社会のアーキテクチャ

2006年10月27日 14時53分09秒 | 社会経済
高校の履修漏れの問題が、全国に拡大して大きくなっているようです。世界史を履修していないのに、いかにも履修したように偽装したり、他の科目の評価で内申書を書いてみたり。ひどいと言えばひどいですが、全国的にあれだけの問題が発生している状況を考えると、単純に1つの学校の不祥事というよりは、もっと大きな構造の問題が背後にはあるように思います。それにしても巻き込まれた学生も大変ですね。
さて、こうした問題を考える際にヒントになるのが、「アーキテクチャ」の話です。「モジュラー(組み合わせ)型」「インテグラル(すり合わせ)型」とか聞いたことありませんか?(例えば、藤本隆宏『日本のもの造り哲学』日本経済新聞社)。結構ビジネスの色々な分野で話題なので、概念ぐらいは知っておくと良いかもしれません。
「モジュラー型」とは、標準化された部品を組み合わせて作るもののことだとお考え下さい。例えばPCとか。もっと分かりやすく言えば「レゴブロック」。部品ごとに繋ぎ目が標準化されているので、複数組み合わせて色々なものを作ることが可能です。一方「インテグラル型」とは、部品を繋げるときに都度加工や修正のようなすりあわせ作業が必要なもののことだとお考え下さい。自動車などはこの要素が強いと言われます。「レゴ」とレベル感を合わせれば「紙粘土」が近いかもしれませんね。イメージ湧きますか?。
これのどこが受験の話と関係あるのかと申しますと。高校、大学、社会をそれぞれ部品だとお考え下さい。この接点(インターフェイス)が上手く標準化、すなわちモジュラー化されていれば良いのですが、現状は結構インテグラルな要素が大きくなっています。高校の履修要綱が受験と噛み合っておらず、受験科目が大学で必要な基礎勉強とズレていて、大学での勉強は社会では使えないと言われる。それらのズレを個人個人が自分の状況にあわせて上手くすり合わせているのが現状ではないでしょうか。そして、そのすり合わせの歪みが今回の事件だったり…。
社会システムとして各モジュール間のすり合わせコストを下げる工夫が必要なのかなと。無理やりアーキテクチャの議論にしましたが、いかがでしょうか?。