続・MBAへの道

MBA卒業後の徒然を書き綴ってみようと思います。

読後録『ストーリーとしての競争戦略』①

2011年04月23日 22時41分59秒 | 読後録
少しはビジネスの本も取り上げてみたいなということで、4冊目は『ストーリーとしての競争戦略』(楠木建著/東洋経済)にしたいと思います。ビジネス分野ではかなりベストセラー的になっている本なので読まれている方も多いのではないでしょうか。いつだったか週刊東洋経済でも特集記事が組まれていましたよね。なかなか興味深く面白い本なので、少々厚めですが、気になる方は是非ご一読されることをお勧めします。

で、こちらの本ですが、タイトルを読んで字のごとく、「戦略はストーリーである」という観点から書かれているものです。これで全てと言ってしまってはこれで終わってしまうので、何かしら自分なりに考えたところを少し書いてみたいのですが…。別に本の解説をしようと思っているわけではないので、内容をきちんと理解されたい方は原書をお読みください。以下、あくまで私の読後録なので参考まで。

まずは「ストーリー」というキーワードから考えていきましょう。この「ストーリー」というワードに著者が言いたいことが全て含まれているように思えます。いい戦略は、よく書かれた物語である。逆に言えば、面白い推理小説も、よくできた戦略も、本質は同じである。そんなことを言っているかのようでもあります。面白い物語ってどんなものか。そもそも、絵でも写真でもなく、物語であることの意味って何だ?。そんなことを考えてみることが、この本で著者が言いたいことを読み解くヒントにもなるのではないか。なんてことを考えてみた次第です。

面白い物語を考える前に、物語が持っている特性から考えてみましょう。著者はなぜ企業の戦略を絵や写真ではなく、物語(=ストーリー)と言っているのか。物語って何なのか。あまり難しいことではないので、通り過ぎてしまいそうなポイントなのですが、あえて1回立ち止まって考えてみたいと思います。絵や写真と物語の決定的な違いは何か。それは「静的」か「動的」かという点に集約されます。当たり前すぎて、だから何だと言われそうですが、これが結構重要なポイントだと著者は指摘されているのです。続く。

読後録『木のいのち木のこころ・天』④

2011年04月17日 00時07分36秒 | 読後録
西岡氏は経験と学問の関係についても触れています。明治に西洋から建築学が入ってきてから、大工が尊敬されなくなったそうです。でも彼は言います。「学者があって建造物があるのやなく、建造物があって初めて学問がありますのや」と。仏教建築ですから、飛鳥様式とか白鳳様式とか、いろんな様式があって学問的な研究もされているんですよね。でも、こういう様式だからこういう風に建てねばならないという学者の論理はさかさまだと氏は言いたいのです。また、学問的に時代や様式が特定されていても、実際の大工の仕事を見れば、本当にそれがその通りかどうかは分かるそうです。でも、大工の言うことはなかなか聞いてもらえないのだとか。本来は学問より実際の建築物が、学者より職人が先にあるはずなのに、それが軽くみられる風潮はおかしいと西岡氏は疑問を投げかけます。

学校教育にも彼は一言持っています。学校教育はなんでもかんでも手とり足とり教え過ぎると彼は言います。棟梁は弟子に見本を見せるだけ。後は自分で考えてやってみろというスタンスだそうです。あれこれ試行錯誤して、自分なりに考えて、頭で考えたことを手に記憶させて初めて「できる」ようになる。教わって、頭で覚えて、「知っている」では現場では何も役に立たないのだとか。でも学校では、自分で考える間もなく、こうしなさい、ああしなさいと教わるから考える芽を摘み取ってしまってダメだそうです。徒弟制度も古臭い感じがしますが、何か本質的なところを思い出させてくれるように思います。

人を育てるのも木を育てるのも同じ。人を扱うのも木を扱うのも基本は同じ。文明化、工業化が全て良いということでもなく、自然のままに、自然とともに生きることを忘れずに、昔の人の知恵や技術、古き伝統への敬意も持ちながら、その中で人間の進歩、文明の進化を考えていくこともまた必要なのではないか。そんなことを考えさせてくれる1冊です。お薦めです。

読後録『木のいのち木のこころ・天』③

2011年04月10日 17時35分34秒 | 読後録
たぶん口伝とは違うのだと思いますが、著者は日本書紀から次の一節を紹介しています。「宮殿建築には檜を使え」。正確には「檜は以て瑞宮を為る材にすべし」という一節のことです。法隆寺や薬師寺など、飛鳥・奈良時代の建物は皆、檜(ひのき)でできているそうです。法隆寺などは大陸からの仏教伝来の影響で立てられた寺院ですので、建築も大陸からの技術によって建てられたのかと思いますが、西岡氏いわく「檜は日本の特産です」とのこと。似たものはあっても、本当の意味での檜は大陸にはないそうです。つまり、重要な建造物を作る際に檜を使うという文化は、日本独自のものとして、そのころには日本に定着していたということです。それだけ日本人は木と共に生活をしてきて、木の扱いに慣れていたということです。

でも、現代の日本にはそうした宮殿建築に耐えうるような樹齢二千年以上の檜は残っていないそうです。地球上にも台湾にしかないとか。樹齢二千年の木で建てるからこそ、法隆寺のように千三百年経ってもダメにならない建造物が建つのだそうです。コンクリートや鉄筋でもそれほど持たないのではないかと言われています。ですから、自然の力は驚異的だと言わねばなりません。しかも、千年以上経った檜ですら、カンナで削れば本来の木の香りがしてくるそうです。すごいことですよね。樹齢二千年の木で寺院を作り、その寺院が二千年を経てもまだ丈夫に建っていて、本来ならその間に新たな木が二千年かけて成長してくる。そういうスケールの大きな話なのかと思います。目先の利益や効率を考える現代ではそうした発想はできないというのが西岡氏の嘆きでもあります。

そんな西岡氏がさらに言います。「千三百年前に法隆寺を建てた飛鳥の工人の技術に私らは追いつけないでっせ」と。木の癖を見抜いて、日本の風土をよく理解し、地震にも耐えて、千年以上建っている建造物を我々は作ることができないということです。確かに文明は進歩してきていますが、その過程で失われたものもあるということでしょう。続く。

読後録『木のいのち木のこころ・天』②

2011年04月03日 11時50分04秒 | 読後録
「木を買わず山を買え」「木は生育の方位のままに使え」。こんな口伝も紹介されています。木というものは本来は自然のものですから、育った場所に応じて、木が本来持っている性質や癖が違うんだそうです。「山の南側の木は細いが強い、北側は太いけれども柔らかい、陰で育った木は弱い」というような感じです。で、本来なら、こうした木の性質や癖を見抜いた上で、製材する、木組みをするということをやるのが棟梁の仕事だったそうです。でも、最近は材木屋まかせになっていて、寸法で注文した木を使うようになったとか。分業して効率化して早く安く材木を加工できるようになる半面、西岡氏は本来の木の性質が隠されたままになってしまっていることを強く危惧しておられます。

自然の木には様々な癖がある。でも西岡氏はこう言います。「癖というのはなにも悪いもんやない、使い方なんです。癖のあるものを使うのはやっかいなもんですけど、うまく使ったらその方がいいということもありますのや」「癖の強いやつほど命も強いという感じですな。癖のない素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短いですな」。つまりは人間と同じだという話です。個性を無視して平均化した方が仕事はずっと早くなる。仕事が簡単になれば大工の力量も必要無くなる。それに慣れると、今度は機械で加工しやすい使いやすい木ばかりを求めるようになる。でも自然にはそんなに使いやすい木ばかりではない。そうやって人間の都合ばかり優先すると、結局使える資源がどんどん無くなってしまう。こうした負の連鎖を強く心配していることが本書からはうかがえます。

西岡氏は言います。「千年の木は材にしても千年持つんです」と。昔は家を建てたら木を植えたそうです。「この家は二百年はもつやろ、いま木を植えておいたら二百年後に家を建てるときに、ちょうどいいやろ」という数百年の時間感覚があったとのことです。森や自然を大切にと言いながら、一方で本来使える資源を使いにくいがゆえに捨ててしまい、本来長持ちさせるべき資源を長持ちさせずに無駄にしてしまう。そんな矛盾に対する著者の憤りを感じます。続く。