また失言でもめています。もちろん、例の「産む機械」発言のことです。ああいう立場の方がどうしてこうも安易な発言をしてしまうんでしょうね。極端な比喩を示して話を印象付けようという作戦でしょうか。それならある意味大成功だったとも言えます。日本中がこの言葉を記憶しましたから。でも、その代償は大きく付きました。勘弁して欲しいですね。そもそも、こうした発言1つで国会の機能が不全になってしまうことも問題だと思います。もっと議論すべき重要なことが沢山あるだろうに…。でも、国民的にはこういう事件の方が面白いのかもしれません。
そんな失言に乗じてではありませんが、最近読んだ本の中に興味深い話がありました。「今生きている人の大部分の人の子孫は500年後にはほとんどいない」「逆に、今生きている人は500年前のほんのわずかな人たちの子孫である」。そんな話です。面白くないですか?。たまたま電車で隣に座った見知らぬ人も、実は遠い昔の親戚かもしれません。会社で仕事をしている同僚も、ずっと遡れば血縁関係があったかもしれない。そうなります。妙な感じですね。
今自分がいると言うことは、当然親がいます。親が入ればその親(祖父母)もいて
、さらにその親の親もいて…。どこまで妄想できますかね。大河ドラマで「風林火山」とかやってますが、あの時代にも自分の先祖がどこかで戦い生き抜いてきたわけです。鎌倉、平安、奈良、大和、弥生、縄文…。今よりはるかに生存が困難な世界を生き抜いてきた数少ない先祖の子孫が自分なわけです。本当に偶然の話ですよね。どこかの合戦で先祖が流れ矢にでも当たっていたら、自分はいなかったわけですから。不思議な感覚です。
想像を絶する数の生命の系譜が途絶えてきた中で、先祖が必死の思いで守り生き抜き伝えてきた生命の結果が今の自分です。誰もがそれぐらい重たい先祖の思いを背負って生きているわけでして、子供を生み育てると言うことはそれをさらに伝えていくことに他なりません。自殺なんてもってのほかなわけです。
かなり大げさに書いてみましたが、最初に戻れば、まぁ「産む機械」なんて言っちゃいかんということです。以上。
そんな失言に乗じてではありませんが、最近読んだ本の中に興味深い話がありました。「今生きている人の大部分の人の子孫は500年後にはほとんどいない」「逆に、今生きている人は500年前のほんのわずかな人たちの子孫である」。そんな話です。面白くないですか?。たまたま電車で隣に座った見知らぬ人も、実は遠い昔の親戚かもしれません。会社で仕事をしている同僚も、ずっと遡れば血縁関係があったかもしれない。そうなります。妙な感じですね。
今自分がいると言うことは、当然親がいます。親が入ればその親(祖父母)もいて
、さらにその親の親もいて…。どこまで妄想できますかね。大河ドラマで「風林火山」とかやってますが、あの時代にも自分の先祖がどこかで戦い生き抜いてきたわけです。鎌倉、平安、奈良、大和、弥生、縄文…。今よりはるかに生存が困難な世界を生き抜いてきた数少ない先祖の子孫が自分なわけです。本当に偶然の話ですよね。どこかの合戦で先祖が流れ矢にでも当たっていたら、自分はいなかったわけですから。不思議な感覚です。
想像を絶する数の生命の系譜が途絶えてきた中で、先祖が必死の思いで守り生き抜き伝えてきた生命の結果が今の自分です。誰もがそれぐらい重たい先祖の思いを背負って生きているわけでして、子供を生み育てると言うことはそれをさらに伝えていくことに他なりません。自殺なんてもってのほかなわけです。
かなり大げさに書いてみましたが、最初に戻れば、まぁ「産む機械」なんて言っちゃいかんということです。以上。