続・MBAへの道

MBA卒業後の徒然を書き綴ってみようと思います。

30代の死因

2006年10月31日 10時08分36秒 | 社会経済
悪性新生物。いわゆる「癌」のことです。80年頃から、それまでトップだった脳血管疾患を上回って、死亡原因のトップを走ります。この「癌」に、「心臓病」「脳卒中」を加えたものがいわゆる3大成人病といわれるものです。これらが日本人の死亡原因の6割方を占めます。私も30代に入りましたので、無茶ばかりしていると危ないですね。気をつけないと…。
いや、別に病気になりかけているわけではありません。極めてピンピンしています。無駄に元気なのでむしろ皆に迷惑をかけていないか心配なぐらいでして。じゃぁ何でこの話題かと申しますと。皆さんは30代の死因トップが何だかはご存知ですか?。癌?心臓病?脳卒中?。それとも交通事故?。違うんですよ、それが。答えは「自殺」。この事実って結構ショッキングではありませんか?。(ちなみに20代も同じです。)
厚生労働白書に資料などありますから気になる方はご覧下さい。20代~30代の若者の死因の約3割が自殺です。全年代でみた人口10万人あたり自殺率も世界で10位ぐらいだと言われます。もちろん、先進国ではトップです(自慢できるものでは決してない)。最近も連日のように「自殺」に関わるニュースが流れているのを見て、思わずこういうデータをご紹介してみたくなりました。
「自殺」。比較的アジア圏で多く見られるのは、死して個人の名誉や尊厳を守る伝統があるからだなんてことも言われます。また、女性に比して男性が圧倒的に多いのは、女性が強いという意見や、女性は未遂が多いという意見などがあるようです。私自身、「自殺」の専門家ではないので、これ以上の解説は専門家に譲りましょう。
ビジネスの世界でも近年メンタルヘルスの話題が盛んに取り上げられるようになりました。単純に統計数字を読む限りでは、若い働き手の最大のリスクは「身体の健康」ではなく「心の健康」だということになります。皆さんは、「心の健康」大丈夫ですか?。

やっぱり予想外

2006年10月30日 09時41分52秒 | 経営全般
今朝のニュースを見ると、昨日の記事は本当に「予想外」だったようですね。せっかく商機を作ったのにもったいないです。「期待」を高めただけに、「不満」も募り、そのうち「怒り」から「不信」が根付くというそんな流れが見えてきます。怖いですね。
さて、せっかく話題にしたので、ここから何かを学びましょう。「戦略は組織に従う」。あれっ!?。「組織は戦略に従う」では無かったでしたっけ。実はこれ、両方あるんです。つい先日別のブログでもこの話を書いたので、お暇ならそちらもご覧下さい。いわゆる、「戦略が先」か「組織が先」かという話なんですが、どちらだと思いますか?。「にわとり」と「卵」の議論と同様に、結論は堂々巡りです。
とはいえ、ソフトバンクの今回の戦略を見ていると思うところもあるでしょう。「組織」の裏づけのない「戦略」は上手くいかないというわけです。「組織」を「資源」に読み替えると、戦略論の基本的な考え方、「資源ベース論」になるとも言えます。模倣できない資源の蓄積こそが持続的な競争優位を生み出す。そんな考え方です。
こう考えますと、短期的な戦略は既存の資源に大きく依存することが分かります。しかし、この視点を少し長期に向けてみると、また違った見方をすることが可能です。つまり、今回のような無理やり戦略であっても、その戦略が設備の増強や組織の強化を呼び起こし長い目で適合していくとすれば、長期的な資源蓄積は現在の戦略に大きく依存するとも言えそうです。ソフトバンクが今回の件を資源蓄積に生かしきれるかどうか。従業員には迷惑な話かもしれませんが、こうしたストレッチを通じて資源や組織が強化されていく面も考える必要はあります。
身の丈にあった戦略では生き残れない。かといって、勝てる戦略には身体が付いてこない。そんな状況にあってソフトバンクは後者の危険な綱渡りを選んだわけです。自分が経営者でこういう状況だったらどうしますか?。これは考える価値のある問題のように思います。

本当に予想外!?

2006年10月29日 09時53分15秒 | マーケティング
ソフトバンクの「予想外割」が「予想外」の顧客殺到で受付システムが停止になったことがニュースで報じられています。今週から始まりました携帯電話のナンバーポータブルですが、固定電話のマイライン時同様に、ここに来て一気に顧客争奪戦が過熱しそうな勢いであります。それにしてもソフトバンクも頑張りますね。インターネットの時も、YahooBBの常時接続を前面に出して顧客を獲得してきた経験でしょうか。インフラは採算度外視でマスを確保することを重視し、コンテンツから収益を上げようという発想かと思います。情報やソフトを有償で購入するという感覚が薄い日本で、このビジネスが有効な収益モデルとなるのかどうか。今後の展開が非常に面白くなってきました。
ところで、冒頭の「予想外」の事態。あまり勘ぐってはいけませんが、本当に「予想外」なんでしょうかね。本気で顧客を取りに行くんだったら、それぐらいの準備はしておいても良さそうなものですが。以前のYahooBBのときも回線が繋がらないとかで確か揉めていたような気がします。ならば当然、そうした事態も予想されていたとは思うんですが。単純に、内部組織や各種の調整が上手く機能していないということの表れに過ぎないんでしょうかね。それとも…。
大衆の心理を揺さぶるのに、今回のようなニュースのインパクトは意外に重要に思えます。通常の広告宣伝は自社が主体になって自社の利益の為にやるので、視聴者側もそういう心理で見るわけですが、これが中立な第3者機関の報道にでもなると様相はまた違ってきます。この報道によって消費者はシェアの変動をビビットに感じることになるわけですから。これは広告などでは得られない効果だと思います。
今回のシステム停止がこうした効果を見込んだ上でのソフトバンクの周到なマーケティング戦略だったとしたら…。なんてことは考えすぎだと思いますが、第3者に語らせる効果を馬鹿にしてはいけません。私の就活でも、第3者に語ってもらう方が自分で語るよりよっぽど説得力があるんですけど。でも、こればかりは自分でやらざるを得ないですよね。

哲学のススメ

2006年10月28日 22時26分04秒 | 関心事
昨日、教育問題を取り上げましたので、ちょっとその関連で1つ。「大学教育に何を期待するか」。なんて大そうなテーマを掲げるほど偉い身分ではありませんが、一社会人として、また一学生として、思うところもあるので敢えて触れてみようと思います。
基本的な大学教育に対するスタンスは以前も書いたとおりです。「企業はもっと大学教育に期待してもいいのでは」。つまり、せっかく学生が自分の(親の)費用で4年間も大学に通ってくれるんだから、もっと仕事に役立つ何かを学んでくれたら企業にとっても良いことではないかと思います。特に、語学(英語・中国語など)、会計(簿記)、IT(リテラシー)の3つは学んでおいて貰うと何かと便利な分野ではないかと思います。ですから、企業は「所詮、学生」「大学で学んだことなんて役に立たないから」と最初から期待しないのではなく、むしろそれぐらい当然ぐらいのスタンスで大いに学生側に要求しても良いような気がします。
と、こんな感じのことを前回はちょっと書いたのですが、最近別の側面で思うことがあります。それは、大学生だからこそ「仕事に役立つ知識やスキル」を学ぶのではなく、あえて「哲学する」ことも必要ではないかということです。「自分は何のために生きているのか」「なぜ人は働くのか」「何が正しくて、何が悪いのか」などなど。まぁ、あまりこういうことを考えすぎると、実社会の矛盾を過度に悩んでしまったりして良くないのかもしれませんが…。でも、基本的に無宗教社会の日本では、あまり「仕事」とか「人生」とか考えたりしないので、一度ぐらいはこんなことを考える時間があっても良いのではないかということです。
ビジネスとか経営を突き詰めていくと、最後は「個人」の「生き様」や「価値観」といった「哲学」にぶち当たります。現実の矛盾を目の当たりにしながらも、悩みつつそれを突き破ることの繰り返し。うーん、でもやっぱり大学生には難しいですかね、これを消化するのは…。学びの大切さや意味はこの辺りにありそうな気はするんですけどね。極めて微妙な話でした。

社会のアーキテクチャ

2006年10月27日 14時53分09秒 | 社会経済
高校の履修漏れの問題が、全国に拡大して大きくなっているようです。世界史を履修していないのに、いかにも履修したように偽装したり、他の科目の評価で内申書を書いてみたり。ひどいと言えばひどいですが、全国的にあれだけの問題が発生している状況を考えると、単純に1つの学校の不祥事というよりは、もっと大きな構造の問題が背後にはあるように思います。それにしても巻き込まれた学生も大変ですね。
さて、こうした問題を考える際にヒントになるのが、「アーキテクチャ」の話です。「モジュラー(組み合わせ)型」「インテグラル(すり合わせ)型」とか聞いたことありませんか?(例えば、藤本隆宏『日本のもの造り哲学』日本経済新聞社)。結構ビジネスの色々な分野で話題なので、概念ぐらいは知っておくと良いかもしれません。
「モジュラー型」とは、標準化された部品を組み合わせて作るもののことだとお考え下さい。例えばPCとか。もっと分かりやすく言えば「レゴブロック」。部品ごとに繋ぎ目が標準化されているので、複数組み合わせて色々なものを作ることが可能です。一方「インテグラル型」とは、部品を繋げるときに都度加工や修正のようなすりあわせ作業が必要なもののことだとお考え下さい。自動車などはこの要素が強いと言われます。「レゴ」とレベル感を合わせれば「紙粘土」が近いかもしれませんね。イメージ湧きますか?。
これのどこが受験の話と関係あるのかと申しますと。高校、大学、社会をそれぞれ部品だとお考え下さい。この接点(インターフェイス)が上手く標準化、すなわちモジュラー化されていれば良いのですが、現状は結構インテグラルな要素が大きくなっています。高校の履修要綱が受験と噛み合っておらず、受験科目が大学で必要な基礎勉強とズレていて、大学での勉強は社会では使えないと言われる。それらのズレを個人個人が自分の状況にあわせて上手くすり合わせているのが現状ではないでしょうか。そして、そのすり合わせの歪みが今回の事件だったり…。
社会システムとして各モジュール間のすり合わせコストを下げる工夫が必要なのかなと。無理やりアーキテクチャの議論にしましたが、いかがでしょうか?。

SINJOY!?

2006年10月26日 23時55分33秒 | 関心事
ちょっとだけ感動しました。今日の日本シリーズ第5戦、新庄剛選手の最終打席のシーンです。涙で目を潤ませながらの3球三振。満場の会場では鳴り止まぬスタンディングオベーション。渾身の力を込めた最後の一振りは、まるで何かのドラマを見ているかのよう…。ちょっと大げさですかね。でも、こういうシーンは結構好きです。なんて言いましょうか、高校野球と似ていて、これが本当に最後という場面での全力プレーの良さだと思います。本人の想い、そしてそれを取り巻く周囲の人たちの想い。そんな想いが交錯するところにもまた感動が生まれるような気がします。
さて、新庄選手については以前もこのブログで褒めさせていただきました。個人的にそこまで彼のファンというわけではありませんが、彼の生き様にはいろいろと学ぶところがあると思っています。野球に対する姿勢、チームに対する姿勢、ファンに対する姿勢、人生のスタンス。批判もたくさん受けながら、それでも彼なりに悩んだ結果できた哲学があるんでしょう。彼に限らず、自分の哲学を持っている人はやっぱり魅力的ですよね。
今日のインタビューはまだ聞いていませんが、リーグ優勝を決めたときは確かこんなことを言っていました。「裏方さんのおかげで優勝できました」。これがパフォーマンスだろうと何だろうと、あの場面で「裏方さん」を口にする姿勢は見事だと思います。WBCのときに書きましたが、私も裏方さん好きなんで、非常に共感できるわけです。
共感。沢山の人が、彼のプレーや発言、パフォーマンスや生き様に共感したんだと思います。だから皆がついてくる。これをカリスマといえばそうなるんですが、多分それだけではないでしょう。素直だったり、正直だったり、一生懸命だったり、体当たりだったり。実際は、そういう単純なことなんだと思います。でも、そういう当たり前のことが難しいんでしょうね。
SINJOYしてますか?。「新庄のようにエンジョイする」という意味の彼独自の造語だそうです。そう、今度は我々こそがシンジョイする番かもしれませんね。

白書

2006年10月25日 21時19分11秒 | 関心事
『戦略白書』。我らがMBAコースを締めくくる一大イベントです。何かって、本を書くんですよ、本を。毎年、論文を提出し終えた1月半ばから3月末の卒業までの間、何名かのグループで集まって本を書きます。それが『戦略白書』。基本は戦略ワークショップ(WS)の人たちがやるんですが、なぜか組織人事WSから私が狩り出されております。まぁ、興味1/4、義務感1/4、責任感1/4、お人よし1/4といった感じでしょうか。そんなものやる前に就職決めないといけないんですけどね…。はぁ。
で、今日が初回の打ち合わせでメンバー集まって昨年の『戦略白書』を前にああだこうだと、いろいろ話をしていたのですが…。先は長い。問題山積みです。私的には「そもそも『戦略白書』って何だ?」という疑問が真っ先に浮かんできてしまいました。次回がVol.6になるのですが、どうもコンセプトに対する認識もメンバー間で食い違っているようです。いや、そもそものコンセプトが怪しいのかもしれません。うーむ。
「白書」。そう、白書なんです。白書って言うと「経済財政白書」「労働経済白書」「少子化社会白書」のように政府が刊行するものが一般的です。で、何が書いてあるかといいますと。様々な統計数字が並んでいて、それに対する説明や分析が出ています。加えてその年々のトピックスなどが盛り込まれていて、白書を眺めるとある年におけるそのテーマの動向を把握できるわけです。じゃぁ、『戦略白書』っていうとどうなるんでしょうね。
白書の特徴の1つは定点観測です。例えばある指標の動向を長い期間にわたって観察していくと、そのトレンドから色々見えてくるものがあります。極論を言えば、その指標自体はそれほど妥当でなくても良かったりもします。労働時間のトレンドなんかそうですよね。サービス残業なんかを反映していなくても、トレンドには意味があります。じゃぁ、戦略だとトレンドって何だ?。一応昨年からのフレームワークはあるんですが…。本当に妥当性は検討しなくても良いのだろうか?。色々議論は尽きません。また寝られない日々がやってきそうな予感がします。

ナンバーポータブル

2006年10月24日 17時00分31秒 | 経営全般
携帯電話や電子メールのような相互メディア(特定の相手がいて初めてコミュニケーションが成立するメディア)の普及を考えるとき、社会的な効用を考えることが大切である。最近、こんな研究に目を通しました。例えば、クリティカルマス理論。つまり、電子メールのような何らかのメディアの利用者がある一定数を超えると、利用者の効用が高まるため急激にそのメディアが普及するという理論です。自分の周りにメールをやる人が1人しかいなければ、わざわざPC買って、ネットに繋いで、メールソフトを入れて、使い方覚えて、メールを書いてといったコストをかけてまでメールをしようとはしないでしょう。でも、100人いれば利用価値は飛躍的に高まります。これは相手側にも同じ状況が生じているわけでして、相互に価値が飛躍的に高まりますから、社会的な効用がアップして、メディアが急激に普及するというわけです。
ということで、携帯電話のナンバーポータビリティの話です。いよいよ始まりますね。ソフトバンクは定額料金を設定して顧客の取り込みに打って出ました。これにAUが迎え撃つ動きをしておりまして、そうするとドコモも…。安くなるのは歓迎ですが、当事者は堪らないですね、こうした価格競争の応酬は。
こんな携帯電話各社の動きですが、背後には冒頭の社会的効用の論理が働いていると言えます。ネットワーク外部性の方が正確かもしれませんが。つまり、周囲の人が皆ドコモなら、ドコモを使った方が便利だったり安くつくことがあります。このときいくらソフトバンクが定額でも、他社との通話が無料ではないですから、一定数のユーザーを獲得しないと結局ユーザー側は高くつくことになります。だから懸命なわけでして。
クリティカルマスを確保するには始動戦略が重要だと説かれます。初期のユーザーグループをいかに確保するか。でも、携帯がこれだけ普及した今となっては…。どうでしょうね。シェアは動くんでしょうか。この競争、注目して見守りたいと思います。

質の高い選挙戦

2006年10月23日 08時49分05秒 | 社会経済
朝のニュースで昨日の国政選挙の結果が流れていました。自民党が2勝。安倍政権誕生後、初めての国政選挙だったとのことで注目されていたのですが、結果は自民党の勝利に終わりました。安倍さんの人気で勝ったとか、北朝鮮の核実験の影響で与党に追い風が吹いたとか色々言われていましたが、実際何がどうなってこういう結果になったのかは知る由もありません。
ところで選挙戦の様子、見ましたか?。図らずもTVのニュースで目にしてしまったんですが、自民党の街頭演説で民主党がマスコットに使っている「犬」を動物虐待だと叫んでいたり、「もしもし亀よ」の替え歌を歌ってみたり。あれで本当に得票が伸びるのだとしたら、日本の将来も悲観的にならざるを得ませんね。まぁ、そんなことは実際には無いでしょうから、大丈夫だとは思いますが。それにしても選挙戦ももう少しどうにかならんもんですかね。前首相のときはスローガン連呼が受けたようですし。肝心の政策に関する議論はあまりされることはありません。
とは言っても、政治家に問題があるかといえば、そうとばかりは言えないんでしょうね。投票する側、聞く聴衆側にも大いに問題があるような気はします。真面目に政策を語っても受けないんですよ、恐らく。政党も馬鹿ではありませんから、色々と傾向と対策を練った上での選挙戦なはずです。その結果がこれですから、聞く側にも問題がありそうですね(いや、聞いているだけ良い方かもしれません)。もちろん、ニュースで流れていたのが全てではないはずです。ちゃんと政策の議論もしているに違いない。でも、選挙戦が語られるとき、そうした政策の違いではなく、「風」が吹いたかどうかの分析になってしまうのはやはり寂しい限りです。
そういう私自身も政治への関心はそれほど高くありません。いわゆる聞く側の問題児の1人です。言い換えれば低質な聴衆の1人です。これを顧客とサービスの関係で考えるなら、質の低い客が増えるとサービスの質も低下することになります。先日「客が育てる」なんて書きましたが、それもあながち間違っていないかなと。質の良い政治家を望むには、まず選挙民たる我々が勉強しないとダメかもしれませんね。

シリーズと予選会

2006年10月22日 10時17分04秒 | 関心事
日本シリーズ第1戦は中日の先勝で幕を開けました。勢い的には最後までパリーグで競り合いを演じていた日ハムが有利かなぁと漠然と思っていたのですが、そうでもなかったようです。エース川上が悪いなりに気合の投球で乗り切ったという結果でした。
今回のシリーズはお祭り男「新庄」の引退前の最終戦になります。ある意味でこちらの方が注目を集めている感じもあります。日ハムのヒルマン監督も新庄選手に「ヒーロー指令」を出したといいますし、観衆もまたそれを期待している節もあります。期待されてこそ本領を発揮する男、新庄。自分から期待させて自分を追い込んで結果を出す男、新庄。シーズン中も打率は低いのに試合の決定打は多く打っているという、何とも勝負強い男なわけです。羨ましい。
でも、誰もが彼のように大舞台を楽しめるかといえば「NO」でしょう。だからでしょうか、新庄選手は初戦先発のダルビッシュ投手に「ホームラン指令」を出したそうです。パリーグでは普段投手は打席に立ちませんから、突然の打席でホームランはおろかヒットだって打てるわきゃ無い。だからこそ、新庄選手はそう言ったんだと思います。「どうしたら打撃でも貢献できるかなんて余計なこと考えるよりは、楽しくがむしゃらにホームランでも打つつもりでやったらいいんじゃない?」といった感じかと勝手に想像します。「それより、投球に集中してくれ」という裏の気持ちもありそうですし。まぁ、結果はホームランはおろか、敗戦投手になってしまったわけですが…。残念。両選手ともヒーローにはなれなかったわけです。
一方、そうしたシリーズの裏で、地味に箱根駅伝の予選会が行われていました。我が母校は例年通り予選会トップ通過を果たしたものの、本番は…。野球と違って駅伝で思うのは、ヒーローはいなくてもよいからブレーキだけはしないで欲しいということ。誰か1人が足を引っ張ると、取り返すのは至難の業になります。そして毎年…。今年こそ頑張って欲しいです。
さて、ビジネスではどうでしょうか。ヒーローが引っ張るタイプか、ブレーキを無くすタイプか。両タイプでマネジメントも大きく変わってきます。成果主義と言っても、単純ではないということです。

英文履歴書

2006年10月21日 09時55分14秒 | 関心事
英文履歴書って書いたことありますか?。最近、就職活動に備えて、これを作っているわけなんですが…。これが結構難しいというか面倒というか、かなり時間がかかるわりには上手く書けているのかわからない状態でして…。日本語版を英語に訳せばいいんじゃないの?。違うんですね。書き方が根本的に違います。ですから、近く、転職エージェントで添削をお願いしようかと思います。
英文履歴書。日本で言えば職務経歴書に近いスタイルです。すなわち、定型書式は無く、スタイルやレイアウト、項目から表記方法まで、自分で自由に決めて作ることが出来ます。内容はもちろん、書式全体を通じての自己アピールツールと理解すべきでしょう。こういうのって、日本人は苦手なんですよね。あまり一般化してはいけませんけど。日本人的には、あのお馴染みの履歴書のフォーマットが慣れていて使いやすいはずです。何を書けばよいかが指定されていて、その項目を埋めるだけですから、簡単ですよね。逆に言えば、あまり何も考えずに書くことが可能だというわけです。でも、これって良いことなんでしょうかね?。
自分が何者であるか。どんな経験をしてきて、どんな業績を残し、どんな能力を持っているのか。何をやりたくて、その理由は何であって、やるならどういう風にやりたいのか。本当はいろいろなことを普段から良く考えていなければいけません。でも、実際にはこういう意識って結構希薄だったりします。そして、あの履歴書。決められた項目を埋めるだけで、あまり深く考えることを要求しません。だから、職務経歴書を作る段になると、突然難しさを感じてしまうわけです。考えないと書けないからです。
英文履歴書になると、自己アピールの要素はもっと鮮明になります。使う単語からクリアでポジティブなものを選ばなければいけません。短いセンテンスで「あれをやった」「これが出来る」と明確に表現すべきだと思われます。ですから、嫌でも深く考えざるを得ません。欧米では当たり前なのかもしれませんが。ふぅ。面倒ですけど、良い機会かなと。自己アピール。奥が深いです。

日本型経営⑥

2006年10月20日 16時19分36秒 | 経営全般
何だか上手く書けませんでしたね。どこまでが筆者の主張か分からなくなってしまいました(反省)。本当はもっと複雑な議論が背景にはあるのですが、それを簡単に書こうとした結果がこの有様です。本当に興味ある方はこの本をお読み下さい。示唆に富んだよい本だと思いますので。
さてさて、「強制」と「自発」の要素を含んだ日本的経営のお話でした。70~80年代の日本の製造業の現場を説明するには結構納得感のある説明のように思います。無理やりでも働かざるを得ない状況の下で、でも自分から喜んで働こうとする労働観。そして、こういう状況を巧みに作り出してきた日本の人事労務管理。そこには歴史的な経緯も関係しますし、社会的な制約も関係があります。これらが微妙に組み合わさって、非常に安定的で強力な日本型経営が成立していた。そんな感じかと思われます。
でも、近年は企業のおかれた状況も変化の渦中にあります。外部環境が変化すれば企業システムも変化しなければなりません。そんな中で、アメリカ経済の好調にも裏付けられ、アメリカ型経営への移行といった動きが見られるようになりました。端的に言えば、成果主義とか株主資本経営とかいった動きのことです。こうした状況にあって、従来の日本型経営はどう変化していくのか。特に人事労務管理の分野での変化は興味深いものがあります。(例えば、平野光俊『日本型人事管理』中央経済社
今回、「日本型経営」なるテーマで書いてきました。で、結局何だったかというと…。単に年功序列や終身雇用といった表面的な制度の問題ではないということはお伝えしたいところです。平たく言えば、「厳しい状況の中でも頑張れる仕組み」。これではないかなと。その一方で、厳しい状況が厳しくなりすぎたとき、周囲の状況が大きく変わってきたとき、この仕組みのどこが問題でどうすべきかは良く考える必要があるということです。単に年功や終身雇用を批判するだけでよいのか。企業の成長にとって本当に重要な要素は何か。従業員の幸せや生活の豊かさとどう両立させるのか。
相変わらず曖昧に終わらせますが、ご容赦下さい。日本型経営。ステレオタイプに流されず、是非一度自分で考えてみることをお勧めします。

日本型経営⑤

2006年10月19日 22時29分33秒 | 経営全般
前回の記事で、「職務遂行能力を評価し資格等級を決め、それに連動して賃金を支払う」と職能資格制度についてあっさりと書きました。でも実際はこれってそんなに単純な話ではないのです。そもそも能力主義管理における能力とは「職務遂行能力」のことです。これは何らかの「職務」に対してそれをどれだけ遂行する「能力」があるかを意味しています。すなわち、「職務」が明確にならないと、「能力」も明確に定義できないことになります。ここがポイントです。
日本では、職務給の概念が普及しなかったことからも分かるように、「職務」を明確にする概念が欠けています。誰がやるかという「人」によって「職務」の範囲も変わることはよくあります。違う人同士で職務の範囲が重なることもあるでしょう。つまり、「職務」の定義が曖昧な中で「能力」の定義もまた曖昧にならざるを得ないことになります。鈴木氏は「能力概念の拡張」という考え方で説明していますが、簡単に言うとそういうことではないかと思います。
整理しますと、評価基準としての「能力」は厳密に設定できますが、そもそもの職務が曖昧な中では、その「能力」の解釈は無限に拡張可能になります。ここにもう1つ重要な要素が加わります。それが「人事考課」。その中でも「情意考課」の存在が人々を「強制」へと駆り立てる重要な要素になります。
説明しましょう。「情意考課」とは、勤務態度を評価する日本独自の考課方法になります。「積極性」「責任感」など、こんな項目に見覚えがあったりしませんか?。際限なき「能力」の解釈の下で、こうした「情意考課」があるとどうなるか。「○○ができる」という能力基準をクリアしていても、それをどれだけ頑張ればよいかは別問題になりますので、働く側は必死に頑張ることになります。野球で「ホームランが打てる」能力があっても、年間何本打てるかは別問題であることをイメージしてもらえればよいかと思います。ですから、ただ「○○ができる」だけでは足りず、どれだけ頑張っているかどうかが重要な指標となるわけです。したがって頑張らざるを得ない。これ、すなわち「強制」になるというわけです。続く。

日本型経営④

2006年10月19日 02時45分15秒 | 経営全般
おっと、久々に飲んでいたら日付をまたいでしまいました。では、昨日までの続きを。鈴木氏の議論を紹介する前に、猛烈に働いている皆さんの実感を聞いてみたいですね。なぜそれほど猛烈に働くのか。やむを得ず働かされているのか。それとも、目標達成に向けて喜んで働いているのか。
鈴木氏は日本人の労働態度(猛烈に働いている)と内面意識(満足度は高くない)とのギャップを指摘し、「強制」と「自発」という両面性を持った日本の企業社会の特徴を分析しています。「強制」と「自発」。半分や無理やりやらされているけど、残りの半分は喜んでやっている状態。何となく実感が湧きますでしょうか。私的にはなるほどという感じです。
こうした「強制」と「自発」を生むメカニズムは日本型経営の特徴の中に色々と織り込まれています。中でも最大の特徴である「能力主義管理」に基づく「職能資格制度」には、この性質が顕著に見られるとされます。「能力主義管理」。69年に日経連から出された人事労務管理の指針になります。年功主義の打破を図りつつも、米国で主流の職務給には移行できず、そんな状態で新たな人事労務管理の方向性を打ち出したのが「能力主義」なるものです。職務遂行能力を評価し資格等級を決め、それに連動して賃金を支払う仕組み。すなわち「職能資格制度」です。この辺りの細かい説明は省きます。ご容赦。(賃金論に関しては当ブログ「賃金を考える(全8回)」をご覧下さい。)
このどこに「強制」と「自発」の要素があるのか。鈴木氏は以下のように分析します。まず、能力主義の下では、ある一定の能力を獲得することで自ずと賃金が上昇していきます。このとき、職務(≒ポスト)とは違って能力には定員が無いため、基本的な思想としては能力は絶対評価になります。だから、頑張れば頑張っただけ報われる可能性が残ります。職務給のように職務ベースでの賃金制度ですと、ポストが空かない限り賃金は上昇しません。これでは頑張っている人に不公平だというのが当時の労組側の主張でもあったようです。これが「自発」の要素。では「強制」は?。続きは次回。

日本型経営③

2006年10月17日 14時54分11秒 | 経営全般
何も考えずに「日本型経営」と書きましたが、「日本的経営」の方が一般的でしたね。両者の微妙な違いまで研究している人もいるぐらいですから、厳密な方が良いのでしょうけれど、ブログなんでここはお許しを。それにしても、「日本型」にせよ「日本的」にせよ、実のところあまり確かな定義は出来ないということです。アメリカとは確かに違う。ヨーロッパとも違う。でも、何がどのようにどれだけ違うのかになると、結構難しい問題になってきます。だから研究対象として面白いのでしょう。
さて、そんな「日本型経営」ですが、注目され始めたのは70年代ぐらいからでしょうか。日本の急成長の裏には、何か経営的な仕掛けがあるはずだ。じゃぁそれは何だ。そんな感じだったんだと思われます。そして、結論の1つとして、日本人の猛烈な働きぶりが取り上げられることになります。なんで日本人はあんなに猛烈に働くんだろう?。当時はまだ週休2日なんてありませんでしたし、日本人の労働時間は世界的にも長いと批判を浴びていました。その理由何なんだ?。
1つの見方は「国民性」です。「文化論」とでもいいましょうか。勤勉な国民。真面目な国民。だから、あんなに喜んで長時間働くんだと。その一方で、経営側が働かせているんだという議論もありました。人間は本来怠け者だから、無理やりでもなければあんなに頑張っては働かないだろう。そんな話かと思います。もちろん、組合闘争を経て、協調的な労使関係が築かれていくプロセスなんかも関係ありそうですし。そんなわけで、議論は様々に分かれていきます。
とまぁ、色々な議論があって、様々な本や論文が出ています。複数目を通しましたが、結局何だかよく分からない。そんな中、私的に一番琴線に触れたのが次の本。鈴木良始『日本的生産システムと企業社会』北海道大学図書刊行会。研究書です。いわゆるビジネス本ではありません。ですから、一般的な意味での面白さは無いです。でも、視点は面白かったと思います。次回はちょっとその視点を紹介しましょう。続く。