続・MBAへの道

MBA卒業後の徒然を書き綴ってみようと思います。

読後録『組織力』③

2011年10月29日 00時08分42秒 | 読後録
共に仕事をする時間の中で組織力を紡いでいく。それが前回の話でした。で、今回は「磨く」です。組織力を磨く上で大切なことは何か。それは前回もそうでしたが、「時間」です。

本章で、著者は組織力を「~できる」スケール観と表現します。同じ10人が集まった組織であっても気心知れた10人と、初めて会った10人では、できることのレベルが全く異なるのは想像できますよね。それは、共に仕事をする時間を重ねる中で、組織力が紡がれ、できることのスケール観が広がっていくからです。

このとき、スケール観がどの程度拡大していくのかは、時間的射程距離の長さによる、と言うのが著者の主張になります。同じ10人でも、明日にでも解散するかもしれない10人と、一生の付き合いになるかもしれない10人では、同じ今日1日の仕事をやるにしても、スタンスはまるで違ってくるはずです。前回の表現で言えば、組織で観察される行動とその因果関係が全く違ってくるということです。

そんな文脈の中で、著者は短期成果に対する金銭的配分を重視する成果主義に疑問を呈し、成果に対しては長期的な視点から次の仕事を配分することで報いる考え方を示します。それも、ある程度同じ組織に長く勤めるイメージがあるからこそ機能するわけなのですが。

これらを平たく言ってしまえば、著者も例に引いていますが、「アリとキリギリス」の寓話とまったく同じです。時間的射程距離が長い方が生き残る。時間的射程距離を長く持つことによって、初めて組織のスケール観が広がっていく。今を我慢しても将来のために投資する。お互いが良い関係や信頼を積み上げていく。先輩が後輩を育成する。そうした行動が見られるのも、将来を長く見据えているからであって、目先の利益を追いかける中では見られません。

組織力を磨く。そのためには、時間的射程を長く持つこと。これが決定的に重要だということです。将来を長く見据えて、組織力を紡いでいくこと。それが組織力を磨くということだと言えそうです。

読後録『組織力』②

2011年10月23日 17時05分59秒 | 読後録
前回は「宿す」。で、今回は「紡ぐ」の章からご紹介します。

紡ぐ(つむぐ)。辞書によれば、「綿や繭(まゆ)を錘(つむ)にかけて繊維を引き出し、縒(よ)りをかけて糸にする」(Yahoo大辞泉より)です。すなわち、無秩序のこんがらがった状態をひも解いて、整然と秩序ある形に作り上げていくプロセスとも言えます。そんなイメージを念頭に考えてみましょう。

本章では「組織化」というキーワードが登場します。著者の表現を参考に誤解を恐れずに言い換えるならば、「組織らしさ」というのが分かりやすいかもしれません。じゃぁ、組織らしいってどういうことでしょうか。

「○○らしい」というのは、他のモノとは違って何か共通の特徴が備わっていることと言えそうです。例えば、20年ぶりに出会った幼馴染のAさんを間違いなくAさんと分かるのは、例えば目鼻立ちのような外見的な(静的な)特徴もありますが、それ以上に動作とか話し方のような動的な特徴の方が、より区別しやすくなるそうです。

組織でも同じで、ある組織の組織らしさはユニフォームのような外見上の区別もできますが、組織の中で繰り広げられる行動を観察することで見えてくるとか。このとき、ある行動がどんな結果をもたらすか、その因果関係が特定のパターンで見えてくるとき、そこに組織が認識できる。例えば、Aさんを叱りつけたら、Bさんと言うAさんの上司がやってきた。であれば、AさんとBさんは同じ組織の一員というわけです。こうした因果関係は、一緒に行動すること、組織であれば仕事をすることで形成されるのだとか。つまりは、ある程度共に過ごす、仕事をする時間が必要と言う意味でもあります。

Cさんに仕事を任せれば一定の成果が期待できる。○○が分からなければDさんに聞けば解決する。こういう因果関係の束のようなものが組織だとすれば、複雑に絡み合った束を解きほぐして、例えば企業のビジョンや事業の目標の下に1つにまとめていく。共に仕事をする時間の中で、そうした組織力を紡いでいくこと。それが大切なのではないかと言うのが本章のポイントではないかと思いました。

読後録『組織力』①

2011年10月16日 10時16分32秒 | 読後録
組織つながりでもう1冊取り上げます。『組織力』(高橋伸夫/ちくま新書)です。高橋氏と言えば以前、『虚妄の成果主義』で成果主義批判を展開した方としてご存知の方もいらっしゃるかもしれません。本書の副題は「宿す、紡ぐ、磨く、繋ぐ」。この4つの観点から組織について高橋氏が語っています。

最初は「宿す」。目次では組織の合理性と補足されていますが、意思決定の切り口から組織を捉えます。とは言っても、ここでいう意思決定とは会社の命運を左右するような重要な意思決定ではありません。そんな重要で難しい意思決定でも、どんどん分解して小さな問題に切り分けていけば、それこそ大して優れているわけでもない凡庸な人間でも「熟慮を重ねて慎重に意思決定する」ことができるようになる。それこそが組織の機能だという話です

でも、実際にはそんな小さな意思決定が合理的に粛々と行われて組織が機能しているわけではないのは皆さん実感値としてお持ちの通りです。意思決定の非合理の部分。著者は集団で「勢いをつける」と表現されますが、問題を分割するのではなく、対処する人間集団の側がひと塊りになって勢いで意思決定することもありそうだと述べています。また、意思決定はも「問題解決」ばかりではなく、問題の「見過ごし」「やり過ごし」、つまりは「見ないふり」「先送り」のようなことも行われていることを指摘します。

意思決定と言っても単純ではないという話ですね。だからこそ、合理性にこだわるやり方、例えば成果主義を単純な成果指標に基づいて運用しようとすると、短期的個人的な合理性ばかりが追求されて上手くいかないのだと著者は主張しているように読めます。

じゃぁ組織の意思決定は合理的ではないのか。この章の最後で著者が言うのは、「合理性」は後付けだという話です。組織の中に脈々と受け継がれている精神や風土(著者はテイストと呼んでいます)に基づいて意思決定がなされ、その理由は後から説明するために考えられる。机上の計算で合理的にされた意思決定よりも、創業の精神に則った一見非合理な意思決定(だから合理性は後で説明が必要)の方が組織が前進する力になる。組織力を宿すとはそういうことなのかもしれません。

読後録『学習する組織』④

2011年10月08日 17時04分26秒 | 読後録
前回はシステム思考、すなわち全体を見ることが組織が学習する1つの要素であるという話でした。でも、著者はあと4つの要素も大事だと述べています。

1つ目は「自己マスタリー」。聞きなれない言葉ですが、個人の中にあるビジョン、心から目指したいもの、そしてそこに向かうプロセスのことを指しています。なぜこれが学習する組織に大事なのか。組織が個人の集合と考えたとき、まずは個人が向かうべき方向と、そこに向かうエネルギーを持つ必要があるからと私は理解しています。

2つ目は「メンタルモデル」。個人の中にビジョンやエネルギーがいくらあっても、それは所詮個人の話です。お互いに何を考えているのか。表面的な言葉ではなく、言葉の裏側に隠れた本当の意味は何なのか。個人と個人を隔てているそうした壁を取り払い、お互いが理解し合うことが、個人の学習が組織の学習に転換する重要な要素だとの理解です。

3つ目は「共有ビジョン」。個人がビジョンとエネルギーをもち、相互にそれを理解し合う状態から、もう1歩進めると、組織全体のビジョンとエネルギーが生まれてきます。個人と個人の関係、それもバラバラした関係が、同じ方向に向かっていく時、組織というひとまとまりの単位での学習が始まるということでしょう。

最後は「チーム学習」。共有ビジョンの達成に向けて、組織が動きだしたとき、個人と個人の関係の中で学習が起きなければなりません。著者は「ダイアローグ」と「ディスカッション」が大事だと言いますが、個人が意見を出し合って組織としての考えを広げ、一方で拡散した考えを1つの方向に収束させていく、その相互作用が起きている状態が大切だということと思います。

こうしたプロセスを経て起きる組織内での学習は、様々なレイヤーで、またそれぞれのチームやグループ内で起こります。だからこそ、前回のシステム思考が重要で、そうした個々の学習が全体と上手く繋がっていること、全体の大きな流れの中で起きること、それが学習する組織の本質なのかなぁと思いました。

この本の最終章のタイトルは「分かたれることのない全体」です。組織は個の集合以上の全体性をもっている。学習する主体が組織である以上、その全体性こそがカギになるということかもしれません。

読後録『学習する組織』③

2011年10月02日 00時55分46秒 | 読後録
前回紹介した組織の学習障害から気づくことは何か。私なりの言葉で表現すると、1つは空間的広がり、もう1つは時間的広がり、この2点に対する組織メンバーの認識の不足。そして、そうした認識不足をもたらす組織メンバー個人の学習力の不足。これらが組織の学習障害に共通してみられる要素ではないかと思います。

ということは、逆に言いますと、組織メンバー1人1人が空間的、時間的な広がりを認識できるぐらいまで、今の自分の枠を越え、広げて学習する力を身につけている組織。学習する組織とはそんなことなのかなぁと自分なりには解釈します。

で、本書に戻りましょう。著者は何と言っているか。まず、学習する組織の要は「システム思考」であると述べています。今、目の前に起きている問題や出来事ではなく、その背景にある構造、自分の担当領域を越えてどう影響が及ぶかの構造、もっと言えば、そうした構造の中で自分の行動や行為が巡り巡って目の前の問題にどのような作用を及ぼすかを俯瞰的に捉える視点、システム思考とはそんな考え方のことです。

簡単に言ってしまえば、「部分ではなく全体を見ろ」ということですね。組織が学習するわけですから、組織のメンバーは組織全体が、組織を取り巻く環境の全体が、一体どのような構造になっているかを学習せねばならないというわけです。なんて書くと難しいような気もしますが、身近な所でもイメージはできます。例えば、前工程と後工程とを意識して自分の仕事をしているか。自分の仕事がどのように組織の成果に繋がっているか分かっているか。そんな話かと思います。

本書でも日本の自動車工場の話が出てきますが、トヨタの工場では現場の作業員1人1人が不良品や作業ミスが生じたらラインを止める権限を与えられています。自分がラインを止めずに不良品を後工程に送ることで、ライン全体、工場全体、会社全体にどのような影響が起こるかをある程度理解できていないと、機能しない仕組みですよね。こういう仕組みが組織全体で機能しているとすれば、それは立派な学習する組織なのかと思います。