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続・MBAへの道

MBA卒業後の徒然を書き綴ってみようと思います。

質の高い選挙戦

2006年10月23日 08時49分05秒 | 社会経済
朝のニュースで昨日の国政選挙の結果が流れていました。自民党が2勝。安倍政権誕生後、初めての国政選挙だったとのことで注目されていたのですが、結果は自民党の勝利に終わりました。安倍さんの人気で勝ったとか、北朝鮮の核実験の影響で与党に追い風が吹いたとか色々言われていましたが、実際何がどうなってこういう結果になったのかは知る由もありません。
ところで選挙戦の様子、見ましたか?。図らずもTVのニュースで目にしてしまったんですが、自民党の街頭演説で民主党がマスコットに使っている「犬」を動物虐待だと叫んでいたり、「もしもし亀よ」の替え歌を歌ってみたり。あれで本当に得票が伸びるのだとしたら、日本の将来も悲観的にならざるを得ませんね。まぁ、そんなことは実際には無いでしょうから、大丈夫だとは思いますが。それにしても選挙戦ももう少しどうにかならんもんですかね。前首相のときはスローガン連呼が受けたようですし。肝心の政策に関する議論はあまりされることはありません。
とは言っても、政治家に問題があるかといえば、そうとばかりは言えないんでしょうね。投票する側、聞く聴衆側にも大いに問題があるような気はします。真面目に政策を語っても受けないんですよ、恐らく。政党も馬鹿ではありませんから、色々と傾向と対策を練った上での選挙戦なはずです。その結果がこれですから、聞く側にも問題がありそうですね(いや、聞いているだけ良い方かもしれません)。もちろん、ニュースで流れていたのが全てではないはずです。ちゃんと政策の議論もしているに違いない。でも、選挙戦が語られるとき、そうした政策の違いではなく、「風」が吹いたかどうかの分析になってしまうのはやはり寂しい限りです。
そういう私自身も政治への関心はそれほど高くありません。いわゆる聞く側の問題児の1人です。言い換えれば低質な聴衆の1人です。これを顧客とサービスの関係で考えるなら、質の低い客が増えるとサービスの質も低下することになります。先日「客が育てる」なんて書きましたが、それもあながち間違っていないかなと。質の良い政治家を望むには、まず選挙民たる我々が勉強しないとダメかもしれませんね。

脱デフレ

2006年10月01日 13時37分18秒 | 社会経済
デフレ対策。小泉政権時代から「脱デフレ」は大きな政策課題でしたが、新政権でもやっぱりこれは大きな課題として残っているようです。デフレ。正確にはデフレーションの略です。確か学部時代にマクロ経済の授業でやりましたが、すっかり忘れました。そこで後期の授業で少し学び直そうと、その参考図書を手に取ったのですが…。以下、簡単にその解説を。(参考:山田伸二『静かなるデフレ』東洋経済新報社
「脱デフレで景気が良くなる」「ふーん、そうなんだ」という認識をするとき、背後には暗黙の前提があります。それは「デフレ=不況」。ですから「脱デフレ=景気回復」という話になるわけです。本当にそうなのか?。まぁこの辺りは議論が色々あるようですが、少なくともそんなに単純な話ではないことだけは確かそうです。
例えば、政府の定義ではデフレとは「継続的な物価低下」となります。この定義には、景気動向についてはなんら触れられていません。それは、本来「デフレ」と「不況」は別物だということを意味しています。現実問題として、「デフレ」すなわち「物価下落」の局面でも、経済成長をする場合があります。経済が拡大していれば、それを不況とは誰も言いませんよね。
それならば、「デフレ=不況」という認識はどこからやってくるのか。それは「デフレ」と「デフレスパイラル」を混同した結果だと解説されます。「デフレスパイラル」。それは、物価下落が賃金下落に繋がり、購買力が低下し、需要が減って、景気が悪化し、また賃金が減って。そういう悪循環が物価下落によって引き起こされる現象のことだそうです。
「脱デフレ」。経済がグローバル化した今日では、それを1国の努力で達成するのは困難な状況になりつつあります。では、どうするか。「デフレ」の下での経済成長を狙う、すなわち「デフレ」を前提にして「デフレスパイラル」を断ち切る努力をするのがベターだということになります。
とまぁ、こんな話です。分かったような分からないような。財政政策、金融政策、為替、金利、投資、貿易…。関連するトピックは沢山あります。あぁ、なんか昔やった気がするけど…。後悔先に立たず。今度は後悔しないように頑張りましょ。

外国人労働者問題

2006年09月08日 17時47分22秒 | 社会経済
「こんな国では働けない」。今週(9/11号)の日経ビジネスのテーマが労働系の話なので、早速食いついてみようと思います。「外国人労働者「使い捨て」の果て」という副題がついているように、基本的には外国人労働者の劣悪な労働環境を憂う記事です。ロボットのような単純作業を1日12時間平均でやらされて、何年働いても時給は一緒。挙句に怪我でその仕事ができなくなると一方的にクビ。もちろん労災は出ない。他にも労組に駆け込んだらブラックリストに載り仕事がなくなった話や、国許の家族を人質に一方的に悪条件で働かされる話など、悲惨な状況が語られています。その一方で、外国人労働者への依存度は高まるばかりです。製造業のラインやサービス業の深夜労働などは、もはや外国人労働者なしでは成り立たないそうです。過疎地域が不足する労働者を外国人研修生に依存する場合もあるとか。状況はかなり複雑です。
外国人労働者受け入れ問題。労働力人口の減少を受けて国でも議論はなされますが、論調としては女性や高齢者の活用の方が先だろうと。結局、議論は進まないまま現実だけがどんどん変化していきます。国が国なら、企業も企業で、明確な方針もないまま安価な労働力を求めています。企業の社会的責任論(CSR)なども近年ではトピックになってきていますが、現実的にコスト競争力を保つことが優先されるのはやむを得ないとも言えます。モラールUP、技術継承、品質改善、サービス向上など、コストだけでは測れない人材が生み出す価値も沢山ありそうですが…。こういう状況をどう考えたらよいでしょうか。
業務請負。製造業で働く外国人労働者の多くがこの請負労働者になります。偽装請負、違法請負。実態が把握しにくい分、様々な問題の温床がここにあります。でも、これらをすべて摘発すると日本の製造業が成り立たない現実もあるわけでして…。労働条件の改善を強制的に進めれば、雇用が海外に逃げていくジレンマもあります。問題は全てどこかで繋がっていて、その微妙なバランスが現実であることを認識した上で、それでも今後どうすべきかは考える必要があると感じました。

狙い撃ち条例

2006年07月28日 16時00分40秒 | 社会経済
今朝の日経新聞のコラムのところだったと思いますが、米国で「ウォルマートを狙い撃ちにした時給アップ条例なるものが制定された」との話がありました。最近の日経ビジネスでも、ウォルマートを標的に医療費を負担させるメリーランド州の条例を巡り、訴訟沙汰が起きているとの記事を読みました。従業員の待遇改善。普通はこういう文脈で労組との対立になるんですが、この場合ですと地域住民の生活水準改善として州政府との対立になっています。企業のパワーが地域に与える影響がそれだけ大きいと言うことなんでしょう。
さて、これらの条例が本当に発効されたとしたらどうなるでしょうか。従業員の、そして地域住民の生活水準は改善されるでしょうか。最低時給が倍になればそりゃ改善されるよね。医療費補助があればいいよね。もちろんそうです。でも、世の中そんなに甘くない。これは皆さんがお気づきの通りだと思います。
経済学者が好むように話を単純にしましょう。まず、時給が倍になったら雇用が半分になります。雇用も変化しなければコスト増は価格に転嫁されます。それで価格競争力を失えば、その地域から撤退します。そして、コストの安い地域に再出店するでしょう。医療費とて同じです。雇用の減少が地域経済にもたらす影響は甚大です。それなら安い時給でも働ける方がマシかもしれません。物価が上昇したら、低価格を頼みにしている人は生活が苦しくなります。結局、地域住民の生活水準は変わらないはずです。
賃金の上昇は生産性の向上、すなわち付加価値の増加がなければ成立しません。この基本が労使の議論や政策の議論ではすぐに忘れ去られます。大企業は悪だ。低賃金は悪だ。こう批判する前に、一度立ち止まって考えてみなければならないはずです。別に生活できないほどの低賃金を是認するわけではありません。ですが、だからって単純に法律を決めれば済む問題ではないと言うことです。いかに生産性を向上させるか。付加価値を増加させるか。働く側も、働かせる側も、規制する側も、そこを真剣に考えないと結局何も変わらないことになりかねません。

格差の世紀⑤

2006年07月13日 23時19分08秒 | 社会経済
「格差の世紀」。日経ビジネスの記事に端を発して色々書いてきましたが、こんな時代を招いた原因は何だったかというと、そもそもは「グローバル資本主義」。こんなマジックワードで片付けてしまってよいのかどうか分かりませんが、ヒト、モノ、カネ、情報が世界中を自由に動き回るようになった結果、こんな時代がやってきたとは漠然と考えられそうです。今よりも少しでも良いモノを欲しがるヒトが世の中のどこかにいて、そのニーズを満たして儲けるために競争するプレーヤーがやっぱりどこかにいて、誰かが頑張ると他の誰かがそれよりちょっとだけ頑張って。こんな流れが世界を巻き込んで進行中だというわけです。
持てる者と持たざる者。そんな対立が激しかったのはいつの時代だったでしょうか。遠い昔に乗り越えた壁のような気がしていましたが、歴史は繰り返すんですね。ただ、「資本」対「労働」といった対立ではなく、「知識」対「労働」といった対立になるのかも知れません。知っている人と知らない人。ひらめく人とひらめかない人。考えられる人と考えられない人。描ける人と描けない人。そして、夢のある人と夢のない人。最後はちょっと無理があったかな…。
知識といってもその性質すら変わってきています。「知識」より、むしろ「アイデア」の方が近いかもしれません。「情報」としての「知識」なら、ある意味で、誰でもどこでも入手可能です。「覚える」という行為自体はほとんど意味を成さなくなります。むしろ「ひらめく」「描く」「考える」。こうした能力を持っている人が、この「格差の世紀」において生き残っていくのではないかと想像します。
だんだん意味不明になってきましたね。結局、一番言いたかったのは、競争の軸が変わってきているということ。ですから、単に「格差が悪だ!」「企業が悪だ!」と叫んでも、どうしようもないということ。他者のせいにするのではなく、この時代を生き抜くために、自分が何をしなければならないかを自分の頭で考えなければいけません。誰かを非難するばかりではなく、自ら大きな「夢」を持って大きな「絵」を描いていくことが、こんな時代を勝ち抜くポイントの1つではないかと思います。

格差の世紀④

2006年07月12日 08時15分40秒 | 社会経済
「低賃金」化の話をしてきたので、次は「有期雇用」について書いていきたいと思います。格差社会のような話題が取り上げられる際に、必ず問題になるのが非正社員、すなわち「有期雇用」の従業員の話です。この「有期雇用」の従業員が同時に「低賃金」であることが格差の拡大を大いに助長している。そんな議論になるのかと思います。そんな話の中で、解決策として打ち出されるのは決まって「正社員化」を企業は進めるべきだと言う話です。企業が社会的な責任を全うする為には、雇用者として「正社員」で雇うべきだと。でも、この話って当然ですが単純ではないですよね。
企業が正社員を非正社員化、つまり「有期雇用化」するのは理由があります。広く考えれば人件費のコントロールのため。環境の変化が激しい時には、企業としては出来る限り人件費を変動費化したいというインセンティブが働きます。生産量が減ったのに人件費が減らなければ企業は潰れますから、これは当然ともいえます。潰れてしまえば雇用も何もありませんから、どこかでコストを抑制して企業の存続を優先させる必要があります。そこで、有期雇用の従業員をそうしたリスクのヘッジに利用する。こんなことわざわざ解説するまでも無いことかと思います。
要は、環境の変化が激しくなると、長期雇用のメリットよりもデメリットの方が大きくなる。ですから、グローバルに競争する今の時代では、有期雇用の拡大は一企業のパワーでは逆らいがたい流れであるように思えるわけです。もちろん、企業にとってコアな部分は残す必要がありますから、そこは逆に正社員として囲い込むことになります。それを正社員の既得権化と呼ぶわけです。
難しい問題です。こうした流れは雇用機会の不平等化を加速させますから、一度負のスパイラルに入ると、なかなか出てくることは出来なくなります。何とか自分に付加価値を付けて売り込むか、そもそも雇われるのでははく自分で自分を雇うか。そうでもなければ、後は格差の世紀で底辺の方へ流されるのを待つのみです。今、正社員で働いていたって決して安心はできません。付加価値を出せなくなれば、負のスパイラルに巻き込まれるリスクが高まります。こんな時代に誰がした。自分たちで作ったんだから文句も言いづらいですね…。

格差の世紀③

2006年07月11日 07時27分02秒 | 社会経済
「低賃金」化に関わるもう1つの問題にも触れておきましょう。それこそ格差の問題。すなわち、「低賃金化」する一般従業員に対する、経営者層の「高報酬化」という問題です。日本ではまだそれほどでもありませんが、米国ではこの格差はかなり激しくなっています。それこそ数百倍という世界の話ですから。
日経ビジネスでもウォルマートの事例でこの問題が取り上げられていました。一般従業員の平均賃金が年収200万円強なのに、CEOの年間報酬は7億円強。その差350倍。これに対して株主総会で、従業員株主から批判が浴びせられたそうです。350倍の報酬。これってどうでしょうね。日本では日産の役員が2億円平均だとかで、それでも高すぎるとか批判が浴びせられていますが。日本が低すぎるのか米国が高すぎるのか。まぁ、その問題はさておき、ここで触れたいのはその格差についてです。
優秀な1人の経営者が企業の命運を左右する。もし仮にこういう状況だとした場合、この経営者は支払い余力の範囲内で企業に対して無限に報酬を要求できます。なぜなら、この経営者がいなくなってしまうと、企業の存続が危ぶまれますから、企業としてはなんとしてでも彼を引き止める理由がある。それぐらい力のある人物であれば、他の企業からもオファーがたくさん来ますから、彼自身が強い交渉力を持ちます。一方で、従業員の側は彼がいなくなると雇用が無くなる可能性が高いですから、多少は我慢してでも彼を繋ぎとめる必要があります。当然、従業員の側の方が雇用のリスクは高いですから、交渉力も弱いわけでして、結果的に経営者の高い報酬と従業員の低い賃金という構図が成り立つと考えられます。
もちろん、実際の話はそんなに単純でないのは分かりきったことです。ですが、競争が激しくなればなるほど、変化が激しくなればなるほど、企業を率いる経営者の力量が企業の命運を左右する場面も増えてくる気がします。であれば、企業で働くことを前提としている以上は、その企業のトップに全てを委ねるしかないわけです。それが嫌なら、自分がトップになるしかない。こんな変化も、いわゆる格差の背後にはあるのだと思われます。

格差の世紀②

2006年07月10日 06時32分50秒 | 社会経済
格差の世紀。この問題は色々な見方があると思います。ですから、働く側だけではなく、働かせる側、すなわち企業側にも焦点を当てながら、この問題を考えてみたいと思います。グローバル資本主義下における低賃金有期雇用の拡大。いわゆる格差と言われる現状の背景には、この要因が1つ考えられるという話です。
低賃金有期雇用の拡大。これは「低賃金」と「有期雇用」という2つの要素に分けて考えましょう。まずは「低賃金」化の問題ですが、賃金はある部分で企業の国際競争力を左右します。昨日のシャープの事例でも、従業員の賃金を上げることはそのまま製品原価を高めることに繋がります。これを製品価格に転嫁できない限りは、利益率の低下を招き、最終的に企業の競争力を引き下げる結果になるわけです。企業が競争力を失えば、生産レベルも低下し、それは巡り巡って雇用の減少へと繋がります。ですから、単純に賃金を引き上げるということは根本的な問題解決にはならない可能性があるわけです。
今や企業はグローバルな環境で競争を繰り広げています。もし仮に同じ質の労働が提供されるのであれば、より労働コストの低い国へ生産をシフトさせることも可能です。もちろん、実際はそんなに単純な話ではないのですが…。ただ、極端な話を考えると、何の付加価値も無い単純な労働であれば、世界にはまだまだ低賃金でも働きたいという需要があるということです。こうした需要がある限り、賃金低下の圧力はなくならないでしょう。逆に、賃金を高めるためには、やはりそれなりの付加価値を出せる労働が必要であるということです。ですから、働く側も働かせる側も、どうしたらより付加価値の高い仕事が出来るかを考えないといけないわけです。
立地の問題、輸送コストの問題、品質の問題、原価に占める人件費率の問題、比較優位の問題などなど、他に考慮すべき点はいろいろありそうです。ですから、これも1つの見方に過ぎません。でも、世界規模での競争を考えたとき、低賃金国を交えた競争に直面していることは忘れてはならない問題だと思います。続く。

格差の世紀①

2006年07月09日 09時01分06秒 | 社会経済
「格差の世紀」。今週の日経ビジネス(7月10日号)の特集のテーマです。日本はOECD加盟国の中で相対貧困率が5番目に高いとか。この指標だけで単に格差社会と言い切るのも難しい面がありますが、実感値としてそういう格差を感じる人が増えてきているということなのかもしれません。本当に格差は広がっているのか。この辺りの議論は様々なので脇においておくとして、今回はそういった格差の原因の1つだと言われる低賃金の有期雇用について書いてみようと思います。
日経ビジネスの特集ではシャープの亀山工場の事例が取り上げられていました。重労働にも関わらず、時給1100円での12時間労働。体調を崩せば即クビで何の保障も得られない。こうした厳しい実態をどう考えるべきか。そう問題提起しているわけです。
派遣、請負、契約社員。近年は雇用の柔軟化の流れの下で、こうした非正規社員と言われる雇用形態が広がってきました。もはや正社員は当たり前ではない。そんな時代が来るのもそう遠くは無い話だと思います。その一方で、日経ビジネスの後半にウォルマートの記事がありましたが、経営トップの報酬はうなぎ登りに高騰しています。その格差たるや一般従業員の100倍以上。今後高い賃金が保証されるのは全体の10%で、残りの90%は低賃金のそれなりの労働になってしまうという予測もあります。格差といえば格差。こうした現実をどう考えましょう。
こうした議論になると、必ず出てくるのが非正社員の待遇改善の話です。賃金UPや保障の充実、正社員化を企業が進めるべきだという議論です。企業が搾取していて、許せん。そんな論調すら見かけます。確かにこうした待遇改善の話は重要です。せめて人間らしく生活できるレベルでの労働条件や労働環境が保証される必要がある。それは確かだと思います。ですが、その一方で、世界を相手に激しい競争を繰り広げている企業側の事情も忘れてはなりません。企業が存続しなければそもそも雇用すら出来ないわけですから。
グローバル資本主義と格差の問題。根は深いように感じます。続く。

市場の効率性

2006年06月09日 23時10分05秒 | 社会経済
このところ株価が激しく下落しています。「米国の景気減速懸念の強まりを背景に海外勢による売りが継続している」なんてニュースでは報道されますけど、実態はどうだか。まぁ、そんな理由はどうでもよくて、自分の持っている株が激しい勢いで含み損を増やしていくのに半ばあきれているというところです。本当に下手ですね、株。私が買ったと聞いたら「売る」。私が売ったら「買う」。この投資方法はかなり収益率が高いと思われます。儲けたい方にはお勧めします。
さて、思えば今週の月曜日のカネの授業で、こうした株価の動きに絡んだ市場の効率性の議論をしたのを思い出しました。市場の効率性。多分、普通に生活していたら気にもしない言葉です。ややこしい考え方なんですが、簡潔に説明すると…3タイプあります。株価というのは世の中のありとあらゆる情報を即座に反映して形成される。これが「ストロングフォーム」なる効率性。株価はいかなる情報にも関係なくランダムに形成される。これが「ウィークフォーム」なる効率性。株価は一般に公開されている情報は全て即座に反映して形成される。これが「セミストロング」なる効率性です。用語は全て忘れていただいて結構です。
もし、「ストロング」の状態だったら、村上ファンドのインサイダーは不可能です。インサイダー情報ですら、株価にすでに反映されているわけですから。でも現実は儲かる。だから実際はこのレベルでは非効率です。「セミストロング」だったなら、どんなに企業の財務情報を調べても儲かりません。裏情報を得た場合だけが儲かる。これは何となく現実に近い気がします。でも実際は全ての会計情報が即座に把握されることはないですから、やっぱりこのレベルでも非効率。じゃぁ、「ウィーク」か。株価がランダムに動くかといえば、決算発表とかには反応しますから、そんなことはない。まぁ、そんな議論が世の中にはあるということです。
考えると混乱してきます。ただ1つ言えるのは、こんなことをMBAで学んでも、株では儲からないということ。市場が非効率なら財務分析も役立つはずなんだけど…。とほほですね。精進精進。

目先の対策

2006年06月04日 11時24分12秒 | 社会経済
少子化の話を出したんで、ついでにもう1つ。出生率低下の現状を受けて、政府は今、盛んに少子化対策を打ち出そうと頑張っています。児童手当の増額延長だとか保育サービスの充実だとか。中には就学前児童を抱える親の勤務時間短縮のような企業に負担を求めるものまで含まれます。詳細は新聞報道などによく書かれるのでそちらをご覧いただければと思います。で、問題は、こうした対策が本当に少子化の改善に役立つと思うかというところです。
少子化対策。この言葉の下で打ち出される施策を見ていると、「子供」に焦点が当てられているように思えてなりません。えっ、少子化対策だから子供に焦点を当てたらまずいの?と言われそうですが、よく考えてみてください。まぁ、前提としてどういう仮説を置くかによって見方も変わってくるのですが、よく言われる「生み損」なることが前提にあるとしたらどうでしょう。すなわち、子供が一人立ちするまでの教育費数千万円と母親が一度職を失うことでの機会費用数千万円、合計1億円弱の費用負担が少子化の遠因ではないかという仮説です。
もし、これが本当なら、子供を持つことでの生涯費用を生涯利益とバランスさせる必要があるように思えてきます。つまり、就学前児童などの「子供」向けの対策ばかりではなく、高校や大学進学までも含めたトータルでの支援が大事なのではないかということです。近年の就職難やフリーター・ニート問題なども考えると、学卒後まで面倒を見なければいけないリスクも伴ってきます。そういった漠然とした不安を少しでも解消する必要を考慮したとき、「育児休暇」や「児童手当」がどうだとか、「保育施設」がどうだとか、そういう問題ではなくなってくるように思えるわけです。
少子化担当大臣もいますが、恐らく官庁のことなので、行政が縦割りでバラバラな対応しかできないんでしょうね。教育は文科省、福祉は厚労省、予算は財務省。最後は首相の指導力頼みなんでしょうけれど…。なんかもっと上手くはできないんでしょうかね。

1.25ショック!?

2006年06月03日 13時13分10秒 | 社会経済
1.25ショック」。昨日もちょっと触れました、出生率低下の話です。今日も新聞でいろいろ書かれていましたが、私の感覚では「何をいまさら騒ぐまでもない」といったところです。人口のトレンドなんてかなりの程度ハッキリしているわけですから、そのトレンドを無視して高位推計だの中位推計だのを発表し、そこから乖離するたびに騒ぐ方が変だと感じています。ここまでくると、官庁による単なる予算を巡る駆け引きにすら思えてきます。しかも、日本は老老政治なわけですから、老人予算を削って出生予算に変えることは簡単にはできないわけです。以前書いた、発言力の差をここに見ることができます。
人口減。このブログでも何回か書いてきましたが、何が問題なのかの視点はいろいろ分けて考えるべきかと思われます。例えば、マクロとミクロの視点。日本経済や社会全体というマクロの視点では、人口が減ってもあまり問題は深刻化しないように思われます。過疎化インフラ整備の問題も、都市圏に集中居住すれば解決できるかもしれませんし、経済も規模を縮小して均衡させ、むしろ生産性を向上させることでより経済的に豊かな生活を享受することも可能かもしれないからです。
ですが、個人や個別の企業といったミクロの視点では、また見える世界が変わってきます。都市圏集中居住といっても、個人がそう簡単に住み慣れた土地や環境を放棄して移住できるとは考えられません。また、経済規模を縮小する過程においては、ある企業は生き残るけれどある企業は潰れるわけです。生産性にしても、より付加価値の高い産業に余剰の労働力を移動させる必要がありますが、数が余る高齢の労働者が個人として別の産業に移動するのは簡単なことではありません。
長期か短期かでも視点は変わります。超長期で考えれば、団塊ジュニアもいなくなり、人口構成はの山が平準化されて健全な社会になるかもしれません。一方、短期では、人口減の影響など景気変動の波の中ではほとんど意識されないでしょう。
人口減。何をどう問題として捉えるかを、もうちょっと考える必要がありそうです。

「買い切り」か「返品」か

2006年05月15日 23時45分35秒 | 社会経済
今朝の読売の朝刊の記事です。「書店のハラハラ再び」と題して、ハリーポッターの新刊発売に対応する書店の話題が載っていました。なぜ「ハラハラ」なのか。実はこのハリーポッターの最新刊。買い切り制なんだそうです。商品を仕入れて売るのに買い切りも何もないではないか。と思ってはいけません。書籍など再販売価格維持制度に守られた業界では、売れ残り返品が業界慣行なのです。デパートのテナントなどの多くもそうらしいですが…。まぁ、とにかく、規制で守られた業界では、一般の常識が通用しないということです。
で、偶然か分かりませんが、日経の朝刊にも似たような記事が。「角川書店、文庫販売を強化」。角川が書籍の返品率を下げるために、書店が仕入数を決定して、返品を一定数しか受け付けない新制度を導入するそうです。普通の企業の感覚では「はぁ?」と言いたくなるのも分からないでもないですが、この業界はそういうものなんですよ。角川が問題にしている返品率だって40%近いんですよ。これでは経営努力も何もあったもんじゃないですね。
さて、こうした問題の元凶が再販制度にあります。メーカーが小売価格を一方的に決められる制度のこと。書籍やCDなどがどこで買っても同じ値段なのは、この制度が機能しているからに他なりません。こうした末端価格の維持のために、流通チャネルの縦の統制が強力に働いています。で、価格競争は行われず、返品に甘えて品揃えが改善されず、返品に関わる流通コストが高止まりして、結果的に非常に高い価格で本を買わされている。このように理解することも可能です。
一方で、出版社や書店の側は、末端での過剰な競争は活字文化の普及を妨げると主張します。気軽に読める面白い本だけが沢山売れて安くなり、小難しいが教養溢れる本は高くて手に入りにくくなるとのこと。また、返品が出来なくなると、在庫リスクを恐れて書籍の流通量が少なくなるとも言われます。
再販問題。一度、きちんと整理してみたい気もしますが、なんとも複雑な問題でして…。時折、新聞が再販維持のキャンペーンを紙上でやるので、そんなときにでもちょっと気にして読んでいただければ幸いです。

増える労働力

2006年05月01日 20時41分07秒 | 社会経済
労働力人口が8年ぶりに増加に転じる。今日の日経新聞の1面に取り上げられていた記事になります。労働力人口がピークを迎えたと言われてから久しく経ちました。人口減少社会とか少子高齢化社会とかいわれる中、労働力人口はこのところずっと減少傾向が続いていました。来年以降は労働力の2007年問題と言われている、団塊の世代の定年退職による労働力からの離脱が始まります。労働力の確保をどうするのか。技術継承はどうなるのか。社会保障をどうしていくべきか。様々な問題が眼前に広がっています。そんななかでの労働力人口の増加。これを嬉しいニュースと呼ぶべきか否か。
労働力人口が増加した主因は、景気が回復基調になるなかで、非労働力化していた女性や高齢者が就業し始めたところにあるとのことです。この好景気の局面で、企業の側もマクロ的には人手不足になりつつあります。これまでは不景気で散々人員削減を続けてきましたから、ある意味全く逆の状況になりつつあるというわけです。まぁ、単純に考えれば景気が上昇し、雇用も増えていいことなんでしょうけれど。でも、この状況。手放しに喜んでいいのでしょうか。
90年代の長い不況期を通じて、企業は長期雇用のいわゆる正社員を減らし、短期雇用のいわゆる非正社員を増やして、景気の変動リスクに対処する術を学んできました。景気が良くなれば一時的に非正社員を増やし、景気が悪くなれば非正社員を切り、それでも埋められないズレを正社員の長時間労働で補うやり方です。
で、今回の好景気と労働力人口の増加。果たしてこの状況がいつまで続くのやら。これもまた一時的な非正社員による調整の表れではないのか。結局、景気が減速し、蓋を開けてみたら、元に戻っていた。なんてことも十分考えられます。外部から簡単に調達可能な人的資源に頼っている限り、企業としての長期的な競争優位は築けません。一方、そうした一時的な雇用では、働く側も不安定ですし、個人の長期的なキャリア形成に役立ちません。
今、この機会こそ、企業における雇用の多様性を上手くマネジメントする仕組みを作るチャンスです。景気変動に伴う一時的な雇用調整に終わらせずに、企業と個人の双方が雇用を通じて新しい関係を築けたとき、その時こそが本当に喜ぶべき時ではないかと思います。

雇用リスク負担能力

2006年03月25日 23時28分07秒 | 社会経済
若年層の雇用環境が改善されたとの記事が日経新聞に大きく載っていました。景気が回復基調にあり、新卒採用が拡大するなどの明るい話題が多くなり、これはとてもいい傾向であると思います。ですが、それでもなお、若年層(15歳以上24歳未満)の05年の失業率は8%を上回る水準にあります。労働者全体の失業率が4.4%だったそうですから、その水準は非常に高いと考えられます。25歳~34歳の範囲でも5.6%。これを見る限り、高齢層の雇用を守る一方で、若年層の雇用が抑えられてきたことは鮮明であると考えられます。
さて、海の向こう、フランスでも若年失業の問題が深刻化しており、デモや暴動が起きて社会問題化しています。フランスの26歳未満の失業率は22%。全体が10%ですから、異常な状況であるとも言えます。そこで、フランス政府が考えたのが新雇用法。26歳未満の被雇用者は試用期間の2年以内なら解雇をしやすくするという法律です。企業にとって、解雇できない正規従業員を雇うことは大きなリスクです。優秀でない従業員を安易に雇ってしまうと、長期的な競争力の喪失に繋がりかねません。だから、雇用に慎重になる。この新雇用法は、そうしたリスクを従業員側に転嫁することで、企業のリスクを減らし雇用を確保することを意図したものだということです。
若年失業。深刻さの度合いが違うとはいえ、各国に共通した悩みでもあります。では、国家というマクロ視点ではなく、個別企業のミクロ視点で考えるとどうでしょうか。能力が不確かな若年従業員を長期雇用するリスクを企業が負えるかどうか。問題はこの点に集約されます。このとき、リスク負担能力の高い企業ほど、優秀な人材を長期的に確保でき、競争上も有利になると思われます。リスク負担能力。すなわち、「厳選できる採用プロセス」「徹底した教育システム」「巧みなマネジメント」などの人材マネジメント力のことです。優秀な人材を見抜き、育て、活かすことの出来る企業の力。企業が定期的に若年層を雇用し、人材の新陳代謝を進めるには、この力が不可欠です。当たり前といえばそれまでですが、リスクを取ったものが利益を得るのはビジネスの基本。企業の雇用リスク負担能力を高める為にも、人材マネジメントが頑張らないといけません。