羽迫博己さんの、土佐人の銅像・・・維新の門(その3)
坂本龍馬
高知の郷士 坂本八平、妻幸の次男として生れる。
江戸は千葉定吉の門に入り北辰一刀流を修める。
武市 山と交わり勤皇党に血盟加入、文久2年春同志
澤村惣之丞と脱藩、勝海舟らに啓発される。
薩長同盟の締結、大政奉還の推進など、維新の指導者として
活躍したが、慶応3年11月15日、盟友中岡慎太郎と
共に京都近江屋で倒れた。
中平龍之介
梼原村地下浪人 中平佐平、妻登根の長男として生れる。
那須俊平に剣を学び、同士と気脈を通じ、
勤皇の志を篤くする。
文久3年脱藩、長州忠勇隊に入り禁門の変に参戦した。
激闘の末、重傷を負い自決した。
澤村惣之丞
高知潮江村の地下浪人の家に生れる。
文久2年春坂本龍馬と共に脱藩、勝海舟の神戸海軍塾に
学び、亀山社中に加わって、
坂本龍馬の片腕となって活躍した。
慶応4年1月、幕府軍の敗退を知って長崎奉行は解散した。
その奉行所を占拠して市中の治安維持に当たっている
とき薩摩藩士を誤殺、「この大事なときに薩摩と土佐の間
に溝を生じてはならない」と従容として自決した。