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羽迫博己さんの、土佐人の銅像・・・維新の門(その1)

2011年02月05日 | なんでも情報

羽迫博己さんの、土佐人の銅像・・・維新の門(その1)

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 梼原町出身の維新の志士を顕彰するため、町内には吉村

   虎太郎の居住した庄屋跡と掛橋和泉邸が保存されて

   おり、前田繁馬、中平龍之介、那須俊平・信吾の招魂碑

   のほか、一ヵ所にまとめて建立した六志士の墓もある。

 また吉村虎太郎らが脱藩した宮野々関には記念碑が

   建てられている。

 文久二年(1862年)澤村惣之丞とともに脱藩した

   坂本龍馬も、3月25日夜那須俊平宅で一泊、翌日

   那須俊平・信吾父子の案内で国境を越えたことが

   明らかになっている。

 郷土出身の六志士とゆかりのある坂本龍馬・澤村惣之丞

   を加えて八人の群像建立計画が、橋本大二郎知事を

   名誉会長にすすめられた。

 銅像は特徴を持ったそれぞれの姿態で、自然石を

   組み上げた台座に建てられている。

 製作者の浜田氏は「ただ立っているだけでなく、未来に

   向かって駆ける志士をイメージし、竜馬は旅たちへの

   覚悟や決意をこめた姿にしました。」と語っている。

 

     除 幕: 平成7年11月11日

     題 字: 維新の門

     字   : 橋本大二郎高知県知事

     事業費: 1億373万5,000円(全額寄付)

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 幕末の風雲急を告げる文久二年春、坂本龍馬は勤皇郷

   梼原から那須俊平・信吾父子の案内で盟友

   澤村惣之丞とともに、回天の偉業を夢みて脱藩した。

 この地からも吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之介が

   国境を越え、維新動乱の渦中に身を投じた。

 また、これらの志士を身を賭して支える掛橋和泉があった。

 それから年を経ること六年、明治維新は成り、

   近代国家が誕生するが、そのとき既に八人の志士は

   壮烈な死を遂げていた。

 いま山中に残る脱藩の道を行くとき、新しい時代の

   到来を信じ、大きな夢を抱いて峻険を駆け抜けた

   男たちの決意が偲ばれる。

 ここに志士の足跡が残る地を選び、八志士の群像を建て

   「維新の門」と名づけ、その功績と英姿を永遠に伝える。

 近代日本の黎明は、この梼原の地より輝いた。

 その郷土を誇りとする青年達の情熱と維新の里の発展を

   希求する町内外の数多くの有志の熱き想いが、

   この群像を建立する。

                     梼原町長 中越準一

 

 

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