羽迫博己さんの、土佐人の銅像・・・片岡直輝・直温
片岡孫五郎直英は土佐勤皇党に加盟し、資金面で
志士たちを援助した。
吉村虎太郎脱藩時には、資金を調達してその活動を助け、
また坂本龍馬脱藩の道案内をした人物である。
自らも再度長州に密行し、その兵制を取り入れて有志隊の
組織作りに奔走中、慶応三年57歳で死亡。
父の没後、兄の直輝(1856~1927)は内務官僚から
大阪ガス社長等関西財界の重鎮となり、
1920年貴族院議員に勅撰。
弟の直温(1859~1934)は官界から大阪財界に転じて、
日本生命の創立の一員からのち社長に、
1930年貴族院議員に勅撰。
昭和十年十二月十二日、碑文は徳富蘇峰、台座の文字は
斉藤内大臣で、銅像を造るも戦争で金属回収された。
平成八年葉山村四十周年を記念して、銅像に代わるもの
として写真版が取付けられ、別に兄弟の写真を
取付けた顕彰碑が造られた。
顕彰碑文は橋本大二郎知事、顕彰碑は吉良史子村長
昭和十一年四月に下半山村民の手によって、兄直輝が
椅子に腰をかけ弟直温が寄り添って立つ銅像が建立
されたが、第二次世界大戦中、金属回収のため銅像
は供出され、台座のみを残して今日に至った。
顕彰碑の建立はこれに代わるものである。
昭和三十一年九月三十日葉山村の発足にあたり、
片岡家より贈与された土地に当時の役場庁舎が建設
されたが、この場所はかって坂本龍馬、中岡慎太郎が
脱藩するにあたって、片岡孫五郎直英にかくまわれて
雌伏したと伝えられている。
顕彰碑の建立にあたり、故人の歴史に対する献身と
その勇気を称えるものである。
平成八年九月二十八日
吉良史子葉山村長
投稿数の多い、投稿者一覧
情報がてんこもり 「高知ファンクラブ」パート2 記事一覧はこちらから