高知県高幡ファンクラブ

高知県高幡地域の活性化を応援するブログです。

羽迫博己さんの、土佐人の銅像・・・片岡直輝・直温

2011年02月05日 | なんでも情報

羽迫博己さんの、土佐人の銅像・・・片岡直輝・直温

  

kataoka-5.jpg

 

 

 

kataokan-1.jpg

 

 

 

片岡孫五郎直英は土佐勤皇党に加盟し、資金面で
   志士たちを援助した。
 吉村虎太郎脱藩時には、資金を調達してその活動を助け、
   また坂本龍馬脱藩の道案内をした人物である。
 自らも再度長州に密行し、その兵制を取り入れて有志隊の
   組織作りに奔走中、慶応三年57歳で死亡。
 父の没後、兄の直輝(1856~1927)は内務官僚から
   大阪ガス社長等関西財界の重鎮となり、
   1920年貴族院議員に勅撰。
 弟の直温(1859~1934)は官界から大阪財界に転じて、
   日本生命の創立の一員からのち社長に、
   1930年貴族院議員に勅撰。
 昭和十年十二月十二日、碑文は徳富蘇峰、台座の文字は
   斉藤内大臣で、銅像を造るも戦争で金属回収された。
 平成八年葉山村四十周年を記念して、銅像に代わるもの
   として写真版が取付けられ、別に兄弟の写真を
   取付けた顕彰碑が造られた。

 

   顕彰碑文は橋本大二郎知事、顕彰碑は吉良史子村長

 

 

  kataokan-2-1.jpg

 

 

 

昭和十一年四月に下半山村民の手によって、兄直輝が
   椅子に腰をかけ弟直温が寄り添って立つ銅像が建立
   されたが、第二次世界大戦中、金属回収のため銅像
   は供出され、台座のみを残して今日に至った。
 顕彰碑の建立はこれに代わるものである。
 昭和三十一年九月三十日葉山村の発足にあたり、
   片岡家より贈与された土地に当時の役場庁舎が建設
   されたが、この場所はかって坂本龍馬、中岡慎太郎が
   脱藩するにあたって、片岡孫五郎直英にかくまわれて
   雌伏したと伝えられている。
 顕彰碑の建立にあたり、故人の歴史に対する献身と
   その勇気を称えるものである。

         平成八年九月二十八日
                       吉良史子葉山村長

 

 

羽迫さんの世界

土佐の銅像と 津江美和さんの写真

吉村 虎太郎 に関する記事

四万十川流域のひなまつり・・・羽迫博己さんの世界 

投稿数の多い、投稿者一覧 

 

情報がてんこもり  「高知ファンクラブ」パート2    記事一覧はこちらから




最新の画像もっと見る