雨日記

雨とイギリスとアートにおけるコーヒーなはなし。

オモテ裏

2007-05-09 08:53:08 | Weblog
まず表を知る

それをもっと知っていくと

その内、裏を知る

裏はとても強烈
今までのことをまとめてひっくり返してしまうほど
ラフで根強く粘りを見せる

そのため裏がすべてをとりこんで
もうそのときは表は見えない

でもそのまえに
表ってそこまで軽く嘘ばっかだったっけか

そこに気づくことはとても重要な気がする。


アメリカンビューティーと空中庭園に
そういうことを見せられた気がした。


21なりたてサトリ

2007-04-03 08:12:33 | Weblog
仕事とか遊びとか
友達とか趣味とか
小難しい本とかおいしい料理とか
部屋の片付けとか油絵を描くこととか

少し前までは
そういったことが全部バラバラに分かれていて
それぞれの間にはちゃんとした仕切りがあると考えてたけれど

最近のわたくしは
そういうものは結局のところ全て一点にまじわることになるし
そして、それらは解体してくと結局のところどれも同じことなのだ
と、こんなふうに考えているのであります。

そうかそうか
だから人生ってひとつなんだな。


たってって

2007-03-22 22:55:53 | Weblog
昨日、半年ぶりにある友人にあってすこしハナシをして
半年のあいだなにか変わった?てハナシになって
いやあ、かわらないなあ、でも、いつのまにか半年たってて、いや、でも

今日、半年ぶりに別の友人にあってすこしハナシをして
4年前に戻ってやりなおしたいと思う?てハナシになって
いや、もどりたくないです。て即答してる自分もいたりして

あと50年生きるとして
半年おきにその友人たちとあうと、あと100回しか会えないんだ


じいちゃんは87年間生きた

ぼくはまだ21年間くらいしか生きてない
でも、もう21年たって4年たって半年たって

そういえば
ぼくは、じいちゃんに100回以上あえたんだろうか?


ココロにスペースを。

2007-02-27 08:45:24 | Weblog
ぎゅうぎゅうに詰まった状態で
右も左も見えなくなって
上か下かもわからなくなって
そうするとそいつはどんどん大きくなっていく。

あとになって、2、3歩下がってみてみると
笑えるくらいくだらない、と思えるようなことも
ついさっきまでは、そのせいで自分の人生をのろってたりする。

いつのまにかそいつにつかまって
ずるずると、あれこれあれこれ、なぜじぶんばっか。

やはり、すき間は常に空けておくべきだ。

自分でいつのまにかつくりあげた不幸であたまいっぱいなときは
上手に心にすき間を作り出すことだ。または、見つけてみるのだ。

そこのすき間はいつも真っ白で自分の中の忘れそうなところにある。

そこでは、時間にもまわりのイヤなことにもふりまわされない。
ふとしたときに思い出す、うれしい思い出とか、楽しみな予定とか
大好きな曲のフレーズとか、笑えるだれかの口調とか
そういったものたちの居場所として、空けられたスペースなのである。

たとえば
タバコを吸うヒトはタバコを吸うときに
コーヒーを好むヒトはコーヒーを飲むときに
コーヒーが苦手なヒトは紅茶でもいいけど

そういう何もしないひとりの時間に、
ふと、明るいものをくれることを思い出す。

そう、必要なのはすき間。
そいつにつかまりそうなときは、ココロにスペースを。
そうすれば、2、3分後には空気もおいしいはず。




ロンドンの雪。

2007-02-09 01:42:54 | Weblog
ロンドンにこの冬二度目の雪が降る。

二月のはじめ。ようやく07の表記にも慣れてきたりして。
だけれども、まだまだ冬ですよ、といわんばかりの今日の雪。


雪は、埼玉の田舎に住んでいた者にとっては少し特別だったりする。
だから、それらは、ひとづつ小さな出来事としてぼくは記憶している。

今日はここロンドンでの雪。
ロンドンの西側にある小さな町で、二階にある自分の部屋から雪を見ている。

こういう小さな、でも少し特別な出来事は、
なんだかぼくに普段のことを改めて見てみる機会を与えてくれる気がする。
このあいだの雪はすぐ消えてしまったので、なにか考えたりすることはなかったけど。
今朝、カーテンを開けて、雪がまだしっかりとふっているのを見て、ぼくは少し考えた。

今の場所と、今の時間。

高校のときに地図帳とCDでしか知らなかったところで、
今では学校にいってスーパーで買い物をしていたりする自分に気づく。
そして、今、雪を見ている。

遠くまで来てしまったなあ、といった気分と
大して変わらないなあ、といった気分を両方もってることに気づいて
ロンドンの雪と埼玉の雪の違いにも目を向けてみる。
しかし、当たり前なのかどうなのか、ちがいなんて結局なにもわからない。

今日の雪も、これから先何年かはロンドンでの二度目の雪というかたちで記憶されるだろう。
そして、今から何年後かに今日を思い出してみて、そのときなって初めて少しは違いがわかる、というものなのかもしれない。




きみのその言いまわし。

2007-01-23 07:48:55 | Weblog
言いまわしって面白いなあ、と思うのです。
何が面白いって、そのひとつの言いまわしにたくさんのドラマがつまってるように思えるからです。

そのドラマには
そのヒトがすごしている、またはすごしていた環境や
そのヒトがもつ特有のセンスや、人柄、やらしいこといえばポジションだったり。
そういったことが見えたりするのです。

例えば、いちばんわかりやすいのはなにかを強調するときの言いまわし。

もし素晴しくかっこいいものに出会ったときどんな言葉を使うのか。
ぼくのまわりのヒトたちは、それぞれ、
“ちょーかっこいい”だったり“バカかっけー”だったり、
“やばいわあ”だったり、“まじかっこいい”だったり。などなど。
ぼくは“めっちゃかっこいい”とよく言ってしまいます。

ヒトとそのヒトが使った言葉をくらべてみると
なるほど、ていいたくなるくらいぴったりとはまるような気がします。

その言いまわしの後ろに見えるヒト。そこがとても面白いなあと。


久しぶりの友人にあうとき、
服装とか髪型とかいった、出で立ちの変化よりも
聞いたことのない言いまわしや、言葉使いとかに
違うところで過ごしてきた時間というものを感じるのです。


そこでふと、自分の言いまわしを客観的にみてみると
自分もここでこのヒトたちに囲まれているのだなあ、といった
自分を構成しているものの表面にふれた気分になるのです。




それにまつわるエピソード。

2007-01-19 11:10:07 | Weblog
前置き

今日は風がばかみたいに強くて、ぼくが住んでいる家の塀が(レンガでできてます)見事にぶっ倒れておった。崩れた、てよりもぶっ倒れた、と言った方が的確な感じだった。自分ちの塀が風のせいでぶっ倒れるなんて。多分、自分の生涯でこの一回だけだと思う。というかそう願う。


本題

ぼくにはCDジャケットをカラーコピーしてファイリングするという趣味がある。

具体的に言うと、
ツタヤとか図書館から借りてきたCD、また自分で買ったCDのフロントカバーを
自宅にあるちっちゃいコピー機でカラーコピーしては、無印のA4のフォトアルバムにきれいにカットしたそれをはりつけて保存しているのだ。

必ず、いっつも、てな感じにはやってなくて、
わりと、やれるときは、というふうにやっていて、多分いままで借りたり買ったりしたCDの7割くらいのコピーが今手元にあったりする。
その中で特にデザインの気に入っているものがその無印ファイルに納められているのだ。

今まではたったのファイル2冊だけだったけど、ちょうどロンドンの無印でそのファイルが処分品として安くなってたので、そこでもう2冊購入した。(でも、雰囲気的にこのモデルのフォトファイルはもう生産が終わった感じがあるな。なんで、そうやってすぐモデルがかわるんだろうなあ、てよく思う。色んなモノに関してね。同じものを長い間繰り返し使いたい、てヒトって少ないのかな。同じものをもう一回購入するって、とても素敵なことなんじゃないのかね。でも、売りあげとかの問題なんだろね。)

それで昨日、今日と二日かけてもう一度それらを整理してみた。今までずっとはられずにファイルの奥にしまってあったナイスなジャケットたちを引っ張りだしたりして。古い2冊から、あらたな改訂版4冊として作ってみたのだ。その作業はホントに至福の時間であったのだけど。(なんだか本題はいってからも前置きが長くなってるな。)

そして、あらためて感動したのである。やはりおもしろい、CDジャケット。
同じ四角いフォーマットのなかで、様々な音の溢れるデザインがそこにあって。ポートレイトだったり、イラストだったり、きれいなタイポだったりね。
CDジャケのデザインって、やっぱりCDの中の音ってのがまずあるわけで。そことそれを囲うデザインをどういう関係にしてくか、というところで、それぞれのデザイナーが繰り出す技っていうか、やり方ってのが見てて楽しく全く飽きない。

もちろんデザインの分野としてとても魅力的である。上に書いたようにね。

でも、なんでそんなにファイリングの作業が楽しかったのかというと、それだけじゃなくて。
それは、それぞれのデザインの中というか裏というか、そういったとこにあるエピソードを想って楽しくなってたわけなのだ。
そのエピソードというのは、もちろんそのCDのアーティストたちの無茶苦茶な逸話であったりもするし、超個人的な思いでだったりするのだけど。

一枚一枚、とはってくごとに、それらにまつわるエピソードを思い出したりしてると、すこし感傷的になったり、どっかから青春時代をひっぱりだしてる気分になる。

おまえ、そりゃあウソだろー!ありえないだろー!て友達と笑いあったミュージシャンの奇行を思い出す。

これかっこいいよなあ、てギターをたたきつけてる写真について体育に時間に話をしたこともあった。

ああ、このだっさいジャケットのCDはあいつと吉祥寺の新星堂の500円コーナーでみつけたやつだ。

このあたりのCDたちはツタヤの半額クーポン使ってあいつとごっそりまとめ借りした頃のだなあ。

このポーズとメンバーのバランスがたまらん、とかいってひとりで感動しまくっていたこともあった。

そういったくだらないことだけど、とても幸せなエピソードをそれらはもっていて。
音そのものとは、すこし違った角度でぼくを楽しませてくれるのである。


そういった色んな意味でぼくはCDジャケットのデザインというものにあこがれるのだと思う。

最近、この世にCDが無くなる気がして恐い。
否定したい気持ちでいっぱいだけども、無くなる気がしてしょうがない。
いまでもレコードは残ってるので、レコードは消えないだろう。
でもだからといって、CDもぼくはあってほしいのだ。
ぼくらCD世代にはでかいレコードジャケとともにあの小さなCDジャケもやはり必要な気がする。

もしデータで音楽がやり取りされるようになって。
ジャケットもただのディスプレイ上のみの画像になってしまったら。

音楽好きのデザイナーは肩を落とすどころじゃすまないとおもう。

データも便利だけど。
CDをショップに買いにいく!というその行為自体の楽しみを。もうちょっと気づいてもいい気がする。
所詮個人の趣味の問題なのかな。
まあ、だからこそ、自分はない金で必死にCDを買い続けたいと思うのである。







2007

2007-01-19 09:55:59 | Weblog
また今年も何か書きます。

また好き勝手に楽しんでやろうと思うのです。

よろしく願います。





さいごになりましたが。

2006-12-28 08:49:23 | Weblog
今年最後の文章になります。


2006年でしたね。

今年もいろいろありました。
いろいろいろいろいろいろありました。

みんないい思い出です。
笑えたことも、笑えなかったことも
今思い出して笑えることも、笑えないことも
みんなひとまとめにしてしまいましょう。
そうすれば、全部あったかい思い出になります。
都合がいいようにできてます。
でも、これでいいような気がします。



まあ、過去にひたることはあまりよくない気もしますが
たまには引っ張りだしてみるのもわるくはない。

今年はそう思えることが、いつもより多かった気がします。
いいことです。まちがいなく。



よい人々に囲まれてます。そこはほんとに感謝です。
皆のおかげで今年もよい一年でした。



来年は、なんてことが言えません。
それでもきっと楽しくなると思います。いつもと同じように。
どうしようもなくまたいろいろあるのだろう、と思います。

それでもって、くだらないはなしをしながらコーヒーでものめたら。



いやあ、まったく2006年だった。
それでは2007年もあいかわらずによろしく願います。












今日は寒かったから。

2006-12-15 05:41:51 | Weblog
外はとても寒くて
風がふいてるし
暗い雲が街中を灰色にしてしまうし

冬ってこうだったかあ、と思ってしまう。

あたたかいところで見る冬は
シンとして、きらきらしてて
とてもきれいなはずだったのになあ、と思ってしまう。

あたたかいところで見る冬の冷たさは
とても魅力的にうつるくせに
冷たいところでそれを見ると、やっぱり冷たい。
と、少し失望したりする。



こうだったはず、とかいうとても自分勝手な映像で
文句言われる筋合いはないよ、と、冬がいったとしても

ぼくは多分、この冬がすぎるとまた、
勝手な希望をつぎの冬に描くのだと思う。