どうして30年前に見ておかなかったのか、とても悔やまれる。それほどまで素晴らしい作品、ジョン・カーペンター監督の最高峰であろうと感じるほど凄いものに出会えたのだ。
エイリアンによる単純な地球侵略というSF作品ととらえることももちろんアリだが、その内容に含まれたサブリミナル効果による貧困、中産階級の誘惑という点が、現代に登場したトランプという政治家を予見していたような作品だったのだ。
ホームレスの主人公ネイダがたどり着いた工事現場での仕事、そしてドヤ街と表記されていたホームレス村。仕事が終わると、労働者たちは屋外に置かれたテレビを鑑賞している。時折映し出される海賊放送。教会では炊き出しするための台所道具が並べられるが、そこは一晩中聖歌が歌われていたため、興味を持ったネイダがそこを探索する。そこはレジスタントとなった労働者たちのアジトになっていて、ネイダは隠された段ボールからサングラスを拾った。
いきなり警官隊がホームレス村に重機を用いて解体作業が始まる。まったく説明もないこの制圧騒ぎでですでに胸ぐらを掴まれたように憤りを感じるのです。住処を壊され、抗う手段を持たないため、逃げ惑う住民たちの悲鳴がぐさりと胸に突き刺される。80年代、日本ではバブルが始まろうとしていたとき、アメリカではこうも富裕層、貧困層の格差社会があったのだと訴えてくるのです。
ふとサングラスをかけてみたネイダ。モノクロームの世界の中に人間じゃない者がいる!髑髏顔をした人間、さらに広告版や雑誌の文字がOBEY、 WATCH.TV、 SUBMIT、 CONSUME、 SLEEP、と変化しているのだ。文字の中にもサブリミナルが!と、それが徐々にエイリアンによる地球人の洗脳だったことが明らかにされていく・・・
もちろん作品の中ではエイリアンなのだが、これは時の政権プロパガンダを揶揄してのこと。当時はレーガンだったが、トランプが使うアメリカ・ファーストと同じものが含まれていた。いや、アメリカだけではない。今の日本のアベ様だって、同じ催眠効果を使っている。“消費して経済を豊かに、結婚して子供を産みなさい、新しい法律ができたから従ってください、とにかく政府に服従してください”、なのだ。エイリアンたちは甘い言葉で中産階級の人間を誘い、昇進、昇給させ、甘い汁を吸わせて自分たちの言いなりになる人間を増やしていく。気持ち悪くてとんでもないエイリアンに武闘家として孤軍奮闘する主人公ネイダ。黒人の友達フランクにも、とにかくサングラスをかけさせ、世の中のことを教えてやろうとするが、頑なに拒み続けるフランク。ここで7分にも及ぶケンカが始まるのだが、元レスラーでもあるネイダ役ロディ・パイパーの殴り合い+プロレス技が炸裂するのだ。バックドロップ、スープレックス、ラリアット・・・。賛否両論あるこの無駄とも思えるシーンですが、このシーンがあってこそ記憶に残る映画になったのだと感じます。
ホリーが勤めるケーブル54という胡散臭いテレビ局。ここがエイリアンのアジトだったのだが、多分、地球上のあらゆる地域に拠点があったに違いない。普通のアクション映画のような終盤だったけど、序盤からの高揚感は失われることがなかった。もっとシュールなエンディングだったら、5点じゃ足りないくらいだったかもしれません。
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