見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

苦い失敗の後始末(その1)

2007-01-14 22:40:05 | ネパール
海外支援のNGO活動から学ぶことは多々あるが、苦い経験から学んだことの方が多いかもしれない。

自分の生きてきた環境や文化の物差しで測ることのできない異国の価値観を尊重し、同時に日本国内の支援者の理解を得るため過程では、予想外の発見と挫折を体験してきた。

学業の環境に恵まれないネパールの子どもたちの支援活動を10年前にスタートした。きっかけは、ネパール人と結婚したカトマンズ在住日本人女性からのSOSだった。
「ネパールに住んで何年か衣料支援を続けている。日本からも募集すれば古着が山のように集まる。しかし、何年たってもかわらない村の現状を目の当たりにして、自分はいったい、いつまで寒村で服を配ればいいのか疑問をもった。このネパールの現状を変えるのは子どもたちではないか、そのための教育を提供するのが自分にできることではないかと思った」と、彼女はゆっくりと言葉を選びながら話した。気負いも欲も見えない姿に動かされて、私は彼女と一緒に支援プロジェクトをたちあげた。1997年のことだ。

彼女は、政治にも地域にも詳しいネパール人の夫と二人三脚で、地に足のついた活動をカトマンズで展開し始めた。
私の役割は、日本における資金調達部門。教育の機会に恵まれない子どもの奨学金を支援する「里親」を募集するしくみを作り、郵政省(当時)のボランティア貯金配分金に応募したりした。
活動に賛同する仲間たちの積極的な協力もあり、活動は瞬く間に発展。彼女はカトマンズに小さな家を借り、そこで里子50人を寄宿させながら質の高い学校へ通わせるしくみを成立させた。ボランティア貯金の配分金対象団体にもなり、質素な経営ながら、支援活動は順調に進んでいるように思っていたのだが。


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