クラクフ市が、アウシュビッツへのルート拠点であることを知ったのは、ホステルの壁に貼られているアウシュビッツ行きのバス時刻表に気付いてのことだ。
アウシュビッツが、ポーランドのどこにあるのかについて全く無頓着だった。
映画『シンドラーのリスト』の主人公シンドラーの工場跡がクラクフにあるという。ホロコーストの代名詞とも言えるアウシュビッツ収容所跡が、ここからバスで1時間余りの場所にある。しかも現地オシフィエンチム市行きの路線バスが頻繁に出ている。それらのことを全く知らずにクラクフに来たことを後悔した。行く行かないの選択肢の前に立つ覚悟ができていない。
実は、アムステルダムで「アンネフランクの隠れ部屋」を訪れた。行ってみて、自分が想像していた住いとは違う様相だったことに驚き、同時に展示されていたホロコーストの写真に目眩を覚えた。
残虐な殺戮現場は、映画でも写真でも苦手だ。『シンドラーのリスト』も『戦場のピアニスト』も、最近では『硫黄島』も、多くの場面に目を瞑り、息を呑んだ。現実を知りたい、現場を見たい。が、そこに同居する残虐さという現実までは耐えられないひ弱で中途半端な自分がいる。
市内でアウシュビッツの日本語案内書を見つけ、買って読み進めると更に迷いは募ったが、行かない理由のほうが嘘っぽかった。「2時間では足りないくらい」と、アウシュビッツ収容所内部の詳細な写真を掲載しながら説明している個人のHPがあったので、3時間はとれるように午前中のバスに乗った。
が、3時間では足りなかった。入場したのは午前中だったが、出たのは閉門の18時に近かった。知らなかったこと、誤解していたことがたくさんあった。ガス室の「ガス」とは錠剤を煙突から部屋に投げ込んで気化させたことであったことも。
途中、何度か息苦しくなり、入場口にあるコーヒーショップに戻って休み、アウシュビッツを巡る最近の世界動向を示すパネル展示を観たりし、気持ちを静めた。
学生の団体、ユダヤ人のダビデの星を大きくマークしたシャツを着た若者のグループ、各国からのツアーグループがゆっくり歩いていた。手に花を抱えた人もいた。が、収容所はあまりに整然と整備され、静かで哀しかった。
ホロコーストは捏造だと主張する向きがある。ネットを検索すると、アウシュビッツやガス室の捏造たる根拠を論じているページもある。捏造であれば救われるかもしれないと構内を歩きながら何度か思った。捏造であってほしいと願った。あの現場や写真や物品が嘘であればどんなにいいだろうか。捏造の意図の裏に、さらなる闇が隠されているとしても。
人間がどれほど残酷になれるか、人の髪で織ったカーペット、山積みの靴を見なくとも伝わるものがある。そして、その人間の残忍さは決してアウシュビッツだけのものではないと誰もが知っている。自分だけはそうしたものと無縁だと誰も断定できない。私自身も。
1日のエネルギーを全て費やした気持ちでミュージアムを出、帰路のバスに乗ると冷たい小雨が降り始めていた。
↑「労働が自由を与える」の文字が浮かぶゲート
src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/30/8a3e72041eef349ea92f2a4502d28f35.jpg">
↑赤レンガの施設が静かに並ぶ
↑遺体焼却炉が残されている暗いガス室
↑「アウシュビッツ」の3キロ先に、ここより大規模な「ビルケナウ」収容所が存在していたという
アウシュビッツが、ポーランドのどこにあるのかについて全く無頓着だった。
映画『シンドラーのリスト』の主人公シンドラーの工場跡がクラクフにあるという。ホロコーストの代名詞とも言えるアウシュビッツ収容所跡が、ここからバスで1時間余りの場所にある。しかも現地オシフィエンチム市行きの路線バスが頻繁に出ている。それらのことを全く知らずにクラクフに来たことを後悔した。行く行かないの選択肢の前に立つ覚悟ができていない。
実は、アムステルダムで「アンネフランクの隠れ部屋」を訪れた。行ってみて、自分が想像していた住いとは違う様相だったことに驚き、同時に展示されていたホロコーストの写真に目眩を覚えた。
残虐な殺戮現場は、映画でも写真でも苦手だ。『シンドラーのリスト』も『戦場のピアニスト』も、最近では『硫黄島』も、多くの場面に目を瞑り、息を呑んだ。現実を知りたい、現場を見たい。が、そこに同居する残虐さという現実までは耐えられないひ弱で中途半端な自分がいる。
市内でアウシュビッツの日本語案内書を見つけ、買って読み進めると更に迷いは募ったが、行かない理由のほうが嘘っぽかった。「2時間では足りないくらい」と、アウシュビッツ収容所内部の詳細な写真を掲載しながら説明している個人のHPがあったので、3時間はとれるように午前中のバスに乗った。
が、3時間では足りなかった。入場したのは午前中だったが、出たのは閉門の18時に近かった。知らなかったこと、誤解していたことがたくさんあった。ガス室の「ガス」とは錠剤を煙突から部屋に投げ込んで気化させたことであったことも。
途中、何度か息苦しくなり、入場口にあるコーヒーショップに戻って休み、アウシュビッツを巡る最近の世界動向を示すパネル展示を観たりし、気持ちを静めた。
学生の団体、ユダヤ人のダビデの星を大きくマークしたシャツを着た若者のグループ、各国からのツアーグループがゆっくり歩いていた。手に花を抱えた人もいた。が、収容所はあまりに整然と整備され、静かで哀しかった。
ホロコーストは捏造だと主張する向きがある。ネットを検索すると、アウシュビッツやガス室の捏造たる根拠を論じているページもある。捏造であれば救われるかもしれないと構内を歩きながら何度か思った。捏造であってほしいと願った。あの現場や写真や物品が嘘であればどんなにいいだろうか。捏造の意図の裏に、さらなる闇が隠されているとしても。
人間がどれほど残酷になれるか、人の髪で織ったカーペット、山積みの靴を見なくとも伝わるものがある。そして、その人間の残忍さは決してアウシュビッツだけのものではないと誰もが知っている。自分だけはそうしたものと無縁だと誰も断定できない。私自身も。
1日のエネルギーを全て費やした気持ちでミュージアムを出、帰路のバスに乗ると冷たい小雨が降り始めていた。
↑「労働が自由を与える」の文字が浮かぶゲート
src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/30/8a3e72041eef349ea92f2a4502d28f35.jpg">
↑赤レンガの施設が静かに並ぶ
↑遺体焼却炉が残されている暗いガス室
↑「アウシュビッツ」の3キロ先に、ここより大規模な「ビルケナウ」収容所が存在していたという
時代の大きな流れの中で、自分が置かれた、あるいは選んだ社会や立場、年齢、人種、性別、職業等もからんだりしながら、人は殺す側、殺される側、殺させる側、殺させられる側、生きる側、死ぬ側に立たされますよね。その時自分はどんな存在でいられるか、そう簡単に答えられそうにありません。