麺食い道、今年も健在です・・・・
先週とった豚骨スープたっぷりこしらえたけん使わん手はありません。
昨夜は「麒麟」見る前にしっかりパリパリでスープ堪能しました。

絶品のうまさです。
そして今日のお昼は王道の「うどん」
最近の蕎麦系ウエストやけん「かつ丼セット」にしました。

おいしゃん長年ウエスト行ったら丸天うどんと稲荷かカシワのおにぎりって
それ以外はほとんど食べませんやったばってんが
最近の蕎麦系ウエストは稲荷とカシワのおにぎり置いてなかですもん。
そして夜は「半ラーメン」と「炒飯」のセットです。

血糖値がぐんと上がりましょうや・・・・
さて大相撲初場所も終わりましたばってんが
最近おいしゃん相撲はとんと見とりませんかった。
昔は毎日テレビにかじりついてみたもんでしたが
朝青龍の頃から面白う無うなってきたですけんね・・
そいけん、最近の力士の名前がとんとわかりませんと・・・・・
またその親方の顔も現役時代の顔しりませんもんね。
昔から小兵力士が好きやったけんいまでちゃ
炎鵬やらには興味があります。
舞の海もそうでした。
おいしゃんが特に好きやったとが突っ張り名人の「富士櫻」

この突っ張りの回転の速さは「突貫小僧」の異名がついたほどです。
同じツッパリの「麒麟児(和春)」との名勝負は今も覚えとります。
この対戦は「昭和天皇」の天覧相撲のためにたびたび組まれたげな。
嫁の姉の嫁ぎ先が出羽の海部屋の谷町(古ノ一のタグチ工業)で
九州場所の部屋提供しよった関係で出羽の海部屋には
良う出入りさせてもらいました。
タグチ工業の新宮作業所が九州場所時の出羽の海部屋。
当時住んどった新宮の借家がこの部屋のすぐ横やったけん
幕下の力士がうちにも遊びに来たりしよりました。
この時の親方は元横綱の「佐田の山」で舞の海が出世頭やったです。
舞の海は体が壊れるけんていうてぶつかりけいこはあんまりせんで
立ち合いの稽古ばっかりしよりましたね。
そこであの「八艘飛び」やら技のデパートば編み出したとです。
それでも負けが込んだときは新宮の浜ば見つめてポツリ
明言聞きました・・
「負けても腹は減るとが悲しい・・・」
関取はちゃんこ場に出入りしたらいかんとばってんが
よくちゃんこ場に顔出してました。
この佐田の山の後継親方が元関脇小兵力士で関脇張った
「鷲羽山」です。おいしゃん好きやった。
朝稽古ん時見ても良うあげな小さな体で真っ向相撲取りよったて
感心したほどです。
話は違いますばってんが舞の海の手形はおいしゃんより小さかったですよ!
おいしゃんの実家も昔は時津風部屋の谷町やったです。
おふくろ(秋田出身)の同郷の力士が時津風部屋で
十両までなったけん爺さんが贔屓にしとりました。
そのしこ名も「大蛇石房三(おろちいしふざぞう)」強そうなしこ名でしょう?
おいしゃんたち子供の頃は「石さん石さん」て呼んどりました。
関取になったときうちの爺さんが送った化粧まわしは
「黒田武士」の意匠やったです。
石さんが体壊して引退しても九州場所の頃には様々な
関取やら親方がうちに出入りして座敷で芸者上げてました・・
子供心に関取についてきた付き人(しこ名は轟)が
うちの住み込みの従業員に手だして破門になって話は
少しおいしゃんが大きゅうなって聞いたはなしです(^^♪
当時は「時津風親方(豊山)」やらも出入りしよんしゃったばってんが
おいしゃんが一番好きやった人がそっぷ型の釣りが得意な
「明歩谷関」

堀の深い外人みたいな顔した人でした。
妹とふたんで我が家の犬ばももぐりよったら
厠に立ち寄った明歩谷関が「そんなにしたら犬死んじゃうよ・・」て
声かけて通りかかり、妹とふたりポカ~~~ン
「今の大きな人だれ?」てなもんで・・・・
その明歩谷関、ある日三つ揃い着て頭には帽子かぶって
髷は見えんし痩せてとうけん立派な紳士姿でうちにやってきました。
「恰好良か~!」ておいしゃんあこがれてみたもんです。
九州場所も天神のスポーツセンターから九電記念体育館ば経て
今の国際センターに代わり
おいしゃんの実家の前ば朝早うから風呂敷(回し)一つ抱えて
場所に行く若い力士ば見かけよりました。
あの頃は若い力士は素足に下駄(九州場所は年末)で寒そうやったばってんが
今の若い力士は足袋履いてマスネ
ちゃんこも昔のように残った汁でご飯かきこむ時代ではなく
ちゃんと食べられるみたいです。
面白いが話が・・・・・・・
関取が谷町に呼ばれたら付き人もご相伴にあずかって
帰りにはわずかながらもご祝儀もらえるけんうれしいもんらしいです。
ある日、今日は谷町のお誘いでってウキウキした付き人・・
「今日はちゃんこ要りません」って関取についてでかけたばってんが
食事の頃になって関取から
「今日は大事な話があるんで先に帰れ」って言われて・・
もちろん部屋に帰ったらちゃんこはもうなかったってお話。
九州場所の頃は街中でも良く谷町と関取が一緒に食事する
光景見かけたもんです。
新宮の家に遊びに来よった若い衆に
「ちゃんこやになったやら便り聞きとうないけん出世せれよ」って
言いよったけど番付の上にそのしこ名が載ることはありませんかった・・
大学相撲から各界入りした力士でちゃ
鳴かず飛ばずのもんがおる中で一介の若者が這い上がって
関取になるまでの苦労は大変でしょう・・・
新宮の部屋の朝稽古でも回し一つで先輩に稽古つけてもらえんで
戸板背にして寒さにぶるぶる震える若い力士ば見てきました。
思い切って幕下の先輩力士に向かって行っても
「お前はまだここでとる顔じゃねえんだよ!」て戸板にたたきつけられてました。
それでも向かって行って番付上げていって出世していくとですね。
力が一番の世界ですから・・
スポーツの世界は結果がすべてですもんね・・
ばってんが相撲は相撲道やけん強いだけじゃ横綱はいけません。
その点、モンゴルの横綱はどげんでしょう?
万歳三唱やた一本〆やら要求する態度がいけません・・・
その点今回の徳勝龍の初優勝は初々しくてよかったですね。
遅咲きやばってんがこれで生涯給金もぐっと上がるでしょう。
来場所番付が一気に上がってからが正念場です。
精進して番付守って欲しいもんです。
日本人の力士が活躍し始めたけん
またお相撲に目ば向けてみようかて思うこの頃です。
先週とった豚骨スープたっぷりこしらえたけん使わん手はありません。
昨夜は「麒麟」見る前にしっかりパリパリでスープ堪能しました。

絶品のうまさです。
そして今日のお昼は王道の「うどん」
最近の蕎麦系ウエストやけん「かつ丼セット」にしました。

おいしゃん長年ウエスト行ったら丸天うどんと稲荷かカシワのおにぎりって
それ以外はほとんど食べませんやったばってんが
最近の蕎麦系ウエストは稲荷とカシワのおにぎり置いてなかですもん。
そして夜は「半ラーメン」と「炒飯」のセットです。

血糖値がぐんと上がりましょうや・・・・
さて大相撲初場所も終わりましたばってんが
最近おいしゃん相撲はとんと見とりませんかった。
昔は毎日テレビにかじりついてみたもんでしたが
朝青龍の頃から面白う無うなってきたですけんね・・
そいけん、最近の力士の名前がとんとわかりませんと・・・・・
またその親方の顔も現役時代の顔しりませんもんね。
昔から小兵力士が好きやったけんいまでちゃ
炎鵬やらには興味があります。
舞の海もそうでした。
おいしゃんが特に好きやったとが突っ張り名人の「富士櫻」

この突っ張りの回転の速さは「突貫小僧」の異名がついたほどです。
同じツッパリの「麒麟児(和春)」との名勝負は今も覚えとります。
この対戦は「昭和天皇」の天覧相撲のためにたびたび組まれたげな。
嫁の姉の嫁ぎ先が出羽の海部屋の谷町(古ノ一のタグチ工業)で
九州場所の部屋提供しよった関係で出羽の海部屋には
良う出入りさせてもらいました。
タグチ工業の新宮作業所が九州場所時の出羽の海部屋。
当時住んどった新宮の借家がこの部屋のすぐ横やったけん
幕下の力士がうちにも遊びに来たりしよりました。
この時の親方は元横綱の「佐田の山」で舞の海が出世頭やったです。
舞の海は体が壊れるけんていうてぶつかりけいこはあんまりせんで
立ち合いの稽古ばっかりしよりましたね。
そこであの「八艘飛び」やら技のデパートば編み出したとです。
それでも負けが込んだときは新宮の浜ば見つめてポツリ
明言聞きました・・
「負けても腹は減るとが悲しい・・・」
関取はちゃんこ場に出入りしたらいかんとばってんが
よくちゃんこ場に顔出してました。
この佐田の山の後継親方が元関脇小兵力士で関脇張った
「鷲羽山」です。おいしゃん好きやった。
朝稽古ん時見ても良うあげな小さな体で真っ向相撲取りよったて
感心したほどです。
話は違いますばってんが舞の海の手形はおいしゃんより小さかったですよ!
おいしゃんの実家も昔は時津風部屋の谷町やったです。
おふくろ(秋田出身)の同郷の力士が時津風部屋で
十両までなったけん爺さんが贔屓にしとりました。
そのしこ名も「大蛇石房三(おろちいしふざぞう)」強そうなしこ名でしょう?
おいしゃんたち子供の頃は「石さん石さん」て呼んどりました。
関取になったときうちの爺さんが送った化粧まわしは
「黒田武士」の意匠やったです。
石さんが体壊して引退しても九州場所の頃には様々な
関取やら親方がうちに出入りして座敷で芸者上げてました・・
子供心に関取についてきた付き人(しこ名は轟)が
うちの住み込みの従業員に手だして破門になって話は
少しおいしゃんが大きゅうなって聞いたはなしです(^^♪
当時は「時津風親方(豊山)」やらも出入りしよんしゃったばってんが
おいしゃんが一番好きやった人がそっぷ型の釣りが得意な
「明歩谷関」

堀の深い外人みたいな顔した人でした。
妹とふたんで我が家の犬ばももぐりよったら
厠に立ち寄った明歩谷関が「そんなにしたら犬死んじゃうよ・・」て
声かけて通りかかり、妹とふたりポカ~~~ン
「今の大きな人だれ?」てなもんで・・・・
その明歩谷関、ある日三つ揃い着て頭には帽子かぶって
髷は見えんし痩せてとうけん立派な紳士姿でうちにやってきました。
「恰好良か~!」ておいしゃんあこがれてみたもんです。
九州場所も天神のスポーツセンターから九電記念体育館ば経て
今の国際センターに代わり
おいしゃんの実家の前ば朝早うから風呂敷(回し)一つ抱えて
場所に行く若い力士ば見かけよりました。
あの頃は若い力士は素足に下駄(九州場所は年末)で寒そうやったばってんが
今の若い力士は足袋履いてマスネ
ちゃんこも昔のように残った汁でご飯かきこむ時代ではなく
ちゃんと食べられるみたいです。
面白いが話が・・・・・・・
関取が谷町に呼ばれたら付き人もご相伴にあずかって
帰りにはわずかながらもご祝儀もらえるけんうれしいもんらしいです。
ある日、今日は谷町のお誘いでってウキウキした付き人・・
「今日はちゃんこ要りません」って関取についてでかけたばってんが
食事の頃になって関取から
「今日は大事な話があるんで先に帰れ」って言われて・・
もちろん部屋に帰ったらちゃんこはもうなかったってお話。
九州場所の頃は街中でも良く谷町と関取が一緒に食事する
光景見かけたもんです。
新宮の家に遊びに来よった若い衆に
「ちゃんこやになったやら便り聞きとうないけん出世せれよ」って
言いよったけど番付の上にそのしこ名が載ることはありませんかった・・
大学相撲から各界入りした力士でちゃ
鳴かず飛ばずのもんがおる中で一介の若者が這い上がって
関取になるまでの苦労は大変でしょう・・・
新宮の部屋の朝稽古でも回し一つで先輩に稽古つけてもらえんで
戸板背にして寒さにぶるぶる震える若い力士ば見てきました。
思い切って幕下の先輩力士に向かって行っても
「お前はまだここでとる顔じゃねえんだよ!」て戸板にたたきつけられてました。
それでも向かって行って番付上げていって出世していくとですね。
力が一番の世界ですから・・
スポーツの世界は結果がすべてですもんね・・
ばってんが相撲は相撲道やけん強いだけじゃ横綱はいけません。
その点、モンゴルの横綱はどげんでしょう?
万歳三唱やた一本〆やら要求する態度がいけません・・・
その点今回の徳勝龍の初優勝は初々しくてよかったですね。
遅咲きやばってんがこれで生涯給金もぐっと上がるでしょう。
来場所番付が一気に上がってからが正念場です。
精進して番付守って欲しいもんです。
日本人の力士が活躍し始めたけん
またお相撲に目ば向けてみようかて思うこの頃です。
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