千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

日航123便から35年

今日、8月12日はあの日航123便が御巣鷹の尾根に
墜落した日から35年ば迎えます。

当時のことははっきり覚えとります。
おいしゃん、20代最後の夏やったです。
かみさんのおなかに入っとったK介が
この4日後に生まれたけん、今年で35歳ば迎えます。

夕方のニュースで突然日航123便の消息不明の一報。
しばらくの間、どこに墜落したかもわからんで
情報が錯綜しました。
午後7:00過ぎに米空軍のC-130 輸送機が
発見し通報し現場がやっと特定されました。

次第に情報が明らかになり乗客の中には坂本九ちゃんはじめ
著名人もたくさん乗っとらっしゃって520名が犠牲になりました。
翌日も仕事しながらラジオのニュースに噛り付いてました。
※当時はまだお盆の13日は休みやなかったとです。
奇跡的に4名の生存者がおらっしゃっとにはびっくりしました。

生存者の証言で墜落直後はまだ生きとった方も
おったそうです。

お盆の時期が来たら毎年思い出します。
阪神の社長も犠牲になり阪神タイガースは奮起し
この年優勝しております。

あらためて犠牲者の方のご冥福をお祈りいたします。

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コメント一覧

konoichi
運命は紙一重って言いますね。
うちの親父はハイジャックされたよど号に乗る予定やったとです
ばってんが前日飲み過ぎて便ば替えて助かりました。
その便に乗っとうて思うた我が家は心配しとりました。
生き残った4名の方はそれも運命やったとですね・・
のぶ
初めまして、当時は大学1年生の10代最後の年でしたそしてその事故に有った大阪行き日航123便に実は当時の笑点メンバー一行が搭乗していたかもしれなかったです、当日は徳島に向かっていたが徳島空港が大雨で飛行機が着陸出来ないかもしれないと心配して大阪から船で行くに変更しょうとしていたが今は病気で引退した林家こん平師匠が予定通り直行便で行こうと提案した為に徳島行きの飛行機に乗り心配していた徳島空港に着陸出来ない事態もなく無事到着した事が有ったそうです。
山笠大好き
おいしゃん、こんにちは。
月日の経つとは早かですね。
私は当時社会人一年目で
去年の今頃はまぁだ夏休みで遊びよったとに・・・って。
帰宅してテレビつけたら、どっこもこればっかりで
本当に痛ましい事故でした。

別件ですが日航機の羽田沖墜落事故、
あの便に父が出張で搭乗予定でしたが
同僚が遅刻したので1便遅らせたおかげで
難を逃れました。
しかし当時は携帯電話の無い時代だったので
会社から連絡を受けた母は動揺するし
大騒ぎになったものの公衆電話から父が電話してきて
母が泣き崩れたのを思い出します。
人の生き死にっちゃ、紙一重です・・・。
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