ダイヤモンド社の記事から。大事なことがいくつも書かれている。
なぜ、結婚に後悔が集中するのか? 一生を左右する決断を間違える本当の理由
藤原和博×大塚寿 対談【前編】
いざ結婚となると、相手に求める条件は厳しくなる。「あっ、間違えた」なんてできないし、何十年も一緒にいるわけだからね。
でも、何となくだけど、誰を選んだところで、それほど大差がないかも、という気もする。要は、自分を納得させられるかだと思う。
これも大事なこと。「性格の不一致」、「価値観が合わない」、どちらも、もったいないと思う。性格が一致するわけがないし、価値観も一致するわけがない。一致しないからといって離婚していたら、日本から夫婦がなくなってしまう。結婚する前に一致することを確かめていたら、おじいさん・おばあさんになってしまう。一致しないことを前提として、その違いを認め合ったり、譲りあったり、許し合ったりしないと何もかもがうまくいかなくなってしまうと思う。
なぜ、結婚に後悔が集中するのか? 一生を左右する決断を間違える本当の理由
藤原和博×大塚寿 対談【前編】
自由な決断は、制約があってこそ成立する
多くの人はいろいろな選択肢のなかで夢を追っていくんだけれども、住宅というのは、最後の最後で、「予算」という限りがあるから決着がつくんですよ。決断がしやすいというか、懐具合によって、決断せざるを得ない。つまり、どうしてもどこか妥協して手を打たざるを得ないんですよ。
それが結婚という場合には、箍(たが)が外れてしまって、背後にある経済条件という限界が、まったく無視されてしまうので、選びようがなくなってくるんですね。
結婚やパートナー探しをするというときに、やはり困ってしまうと思うんですよ。偏差値という指標がないじゃないかって。だから、偏差値という、いままで自分が信じてきた指標では答えは得られないし、さらに、お金という制約条件もない中で、夢はドンドンふくらんで、結局絞りきることができなくなっちゃうのが結婚なんです。
要するに「正解」ではなく、納得できる答え、「納得解」を探すしか、なかなか相手を選ぶことはできないし、結婚もできないということなんですよ。ところが、日本の教育は「正解主義」でばかり教えるから、多くの人はその「納得解」探しが不得意なんです。
それが結婚という場合には、箍(たが)が外れてしまって、背後にある経済条件という限界が、まったく無視されてしまうので、選びようがなくなってくるんですね。
結婚やパートナー探しをするというときに、やはり困ってしまうと思うんですよ。偏差値という指標がないじゃないかって。だから、偏差値という、いままで自分が信じてきた指標では答えは得られないし、さらに、お金という制約条件もない中で、夢はドンドンふくらんで、結局絞りきることができなくなっちゃうのが結婚なんです。
要するに「正解」ではなく、納得できる答え、「納得解」を探すしか、なかなか相手を選ぶことはできないし、結婚もできないということなんですよ。ところが、日本の教育は「正解主義」でばかり教えるから、多くの人はその「納得解」探しが不得意なんです。
いざ結婚となると、相手に求める条件は厳しくなる。「あっ、間違えた」なんてできないし、何十年も一緒にいるわけだからね。
でも、何となくだけど、誰を選んだところで、それほど大差がないかも、という気もする。要は、自分を納得させられるかだと思う。
正解主義ではなく、「修正主義」で生きる!
離婚届には「性格の不一致」なんて書きますけれど、そもそも夫婦の性格が一致するわけがないと思うんですね(笑)。
好きか嫌いかで、中間がないから、対極にいってしまう。好きでなければ嫌い、という二元論では、夫婦生活はもちろん、仕事の人間関係も友人関係でさえ上手くいかなくなってしまいますよね。好きでも嫌いでもないゾーンが一番広いかもしれないのに。
だから、僕は「修正主義」というのを提唱しているんですよ。「正解主義」ではなくて「修正主義」。自分も歩み寄っていく、相手も変わっていく、その変化と変化を認め合うことでお互いが成長していくことこそ大切だと。夫婦も二元論で判断するんじゃなくて、修正しながら変わっていっていい。いまの若い人たちは、違いを認めて修正していくというのが苦手ですね。
好きか嫌いかで、中間がないから、対極にいってしまう。好きでなければ嫌い、という二元論では、夫婦生活はもちろん、仕事の人間関係も友人関係でさえ上手くいかなくなってしまいますよね。好きでも嫌いでもないゾーンが一番広いかもしれないのに。
だから、僕は「修正主義」というのを提唱しているんですよ。「正解主義」ではなくて「修正主義」。自分も歩み寄っていく、相手も変わっていく、その変化と変化を認め合うことでお互いが成長していくことこそ大切だと。夫婦も二元論で判断するんじゃなくて、修正しながら変わっていっていい。いまの若い人たちは、違いを認めて修正していくというのが苦手ですね。
これも大事なこと。「性格の不一致」、「価値観が合わない」、どちらも、もったいないと思う。性格が一致するわけがないし、価値観も一致するわけがない。一致しないからといって離婚していたら、日本から夫婦がなくなってしまう。結婚する前に一致することを確かめていたら、おじいさん・おばあさんになってしまう。一致しないことを前提として、その違いを認め合ったり、譲りあったり、許し合ったりしないと何もかもがうまくいかなくなってしまうと思う。