私のゼミの出身者が本を出した、と言ったら、「編集者として」、と考えるのが普通かもしれない。
実際、出版関係の仕事で実績のある卒業生は少なくないと思う。
で、今回は、やっと、専門書の著者が現れた、と言う話。
菊池庸介『近世実録の研究-成長と展開-』汲古書院 15000円
私が静岡大学に就職した年に入学した学年は全体的に出来が良かった。
ウチのゼミは6人で、今では考えられないことだが、全員が近世文芸で卒業論文を書いた。
馬琴の読本を扱った恐ろしく優秀な二人は早々に学問の道を離れ、南北を扱った二人のウチ一人は教師に、一人はコピーライターになった。
残りの二人は男子で、ふたりとも進学、片方は塾をやっている。
で、ある意味一番心配だった奴が、06年度に博士号を取得し、著書の出版となったわけだ。やれやれ。
「著者略歴」の肩書きは「国文学研究資料館研究支援者・学習院生涯学習センター講師」。
厳しいねぇ。
で、序文を書いた。
教え子の学位論文出版には教師が序文を書くのが普通なのかと思って、気安く引き受けてしまったが、そうでもないらしい。まぁいいや。
「不肖の弟子」という、どこかからお叱りを受けそうなタイトルをつけた理由はどこかで本書を探してお読みいただければと。
何はともあれ、こういう地道にこつこつ仕上げる研究は、今の大学教師(特に地方国立大学や小さな私学)では、とても無理だと思う。
そういう意味では就職が遅れて良かったのかもしれない。
まぁ、今後はそうも言っていられないわけだけれど。
ちょうど、来年度は久しぶりに「天一坊」を授業で扱うつもりでいたので、翻刻が収録されているのもありがたい。
本を出せ、と言われて久しい。
しかし、もう、無理だね。
研究者らしい暮らしは、全く、文字通り、全然していない。
過去の論文はもう殆ど価値がないでしょう。
授業のこと、入試のこと、地域連携のこと。
考えなければならない課題はあまりに多く、しかも、それに今取り組まなかったら、大学そのものが崩壊する。
多少大袈裟な話だけれど、未来の日本のことを考えたら、私個人の研究など全く意味がないくらい、今、大学は危ない。
本当は、まっすぐに研究に向かう姿を示すことで、研究そのものの魅力を伝えられればいいのだけれど、「研究者」としてのコニタという認識は学生には全くない。だから、進学希望者もいない。
自分と同じ道を歩みたい、と言ってくれる人がいるのは嬉しいことだ。
今は、本当に就職も厳しいから、とても推奨できない進路だけれど。
今のところ、ここはそういう環境ではない。
菊池君の後ろに、そういう「弟子」が付いてくれるといいねぇ。
明るいニュースのはずが、暗くなった。
いかんいかん。
まずは、出版おめでとう。
実際、出版関係の仕事で実績のある卒業生は少なくないと思う。
で、今回は、やっと、専門書の著者が現れた、と言う話。
菊池庸介『近世実録の研究-成長と展開-』汲古書院 15000円
私が静岡大学に就職した年に入学した学年は全体的に出来が良かった。
ウチのゼミは6人で、今では考えられないことだが、全員が近世文芸で卒業論文を書いた。
馬琴の読本を扱った恐ろしく優秀な二人は早々に学問の道を離れ、南北を扱った二人のウチ一人は教師に、一人はコピーライターになった。
残りの二人は男子で、ふたりとも進学、片方は塾をやっている。
で、ある意味一番心配だった奴が、06年度に博士号を取得し、著書の出版となったわけだ。やれやれ。
「著者略歴」の肩書きは「国文学研究資料館研究支援者・学習院生涯学習センター講師」。
厳しいねぇ。
で、序文を書いた。
教え子の学位論文出版には教師が序文を書くのが普通なのかと思って、気安く引き受けてしまったが、そうでもないらしい。まぁいいや。
「不肖の弟子」という、どこかからお叱りを受けそうなタイトルをつけた理由はどこかで本書を探してお読みいただければと。
何はともあれ、こういう地道にこつこつ仕上げる研究は、今の大学教師(特に地方国立大学や小さな私学)では、とても無理だと思う。
そういう意味では就職が遅れて良かったのかもしれない。
まぁ、今後はそうも言っていられないわけだけれど。
ちょうど、来年度は久しぶりに「天一坊」を授業で扱うつもりでいたので、翻刻が収録されているのもありがたい。
本を出せ、と言われて久しい。
しかし、もう、無理だね。
研究者らしい暮らしは、全く、文字通り、全然していない。
過去の論文はもう殆ど価値がないでしょう。
授業のこと、入試のこと、地域連携のこと。
考えなければならない課題はあまりに多く、しかも、それに今取り組まなかったら、大学そのものが崩壊する。
多少大袈裟な話だけれど、未来の日本のことを考えたら、私個人の研究など全く意味がないくらい、今、大学は危ない。
本当は、まっすぐに研究に向かう姿を示すことで、研究そのものの魅力を伝えられればいいのだけれど、「研究者」としてのコニタという認識は学生には全くない。だから、進学希望者もいない。
自分と同じ道を歩みたい、と言ってくれる人がいるのは嬉しいことだ。
今は、本当に就職も厳しいから、とても推奨できない進路だけれど。
今のところ、ここはそういう環境ではない。
菊池君の後ろに、そういう「弟子」が付いてくれるといいねぇ。
明るいニュースのはずが、暗くなった。
いかんいかん。
まずは、出版おめでとう。
序文、ありがとうございました。「弟子」に序文を寄せるのが一般的でないのかどうか、私もよくわかりませんが、とにかく、一番書いて貰いたい人に書いて貰えて何よりです。この本を自分の中の里程標としてさらに研究を続けていきますよ。あらためて、これからもよろしくお願いします。
「ある意味一番心配な奴」の汚名(?)を返上せにゃ。
>多少大袈裟な話だけれど、未来の日本のことを考えたら、私個人の研究など全く意味がないくらい、今、大学は危ない。
これは非常に考えさせられる話です。
私もかつては研究者目指していたのですが、やめて良かったかな?ナンテネ
アメリカ的に、研究者が企業と「見返り」で結ばれた関係になる、というのもどこまで可能なのか、つい考えてしまいますね。
日本の学校制度は、小・中・高・とてんで勝手で連携できてないところが最大のまずい点だと私には思えますが、いかがでしょうか…
長くなりましてごめんなさい。
玉藻の前様
入試制度の弊害もありますね。
しかし、一貫が必ずしも良いとは思えません。
学力以前に、内向きになりすぎる実例を見てしまっているので。
ローカルのコミュニティ全体が、学校を支えていく必要があるのですよね。