コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

競争

2010-02-26 22:51:08 | 
スケートの清水宏保が朝日新聞のコラムで、日本はスポーツ後進国だ、と書いたことが、話題になっているらしい。

そのコラムは
五輪の時だけ盛り上がって、終わったら全く関心がないというのではあまりに悲しい。日本にスポーツ文化を確立させるため、国もJOCも努力を惜しまないでほしい。
と結ばれている。

スポーツ選手と言う立場でのこの主張そのものは全く正しい。
ただ、その時JOCで良いのかな、と言うのはちょっと。


夏のオリンピックの野球やソフトボールの様な、日本ではそこそこ人気があってもオリンピックでは微妙な位置にある競技は、助成金問題があってかなり生臭い。冬季でも、“仕分け”られてしまう競技が出てくるかもしれない。

オリンピックやワールドカップを見ながら毎度思うのは、国家がどうのこうのという、まぁ、もしかしたらオリンピックという物の始まりからあったかも知れない欲望装置に対する違和感。
スポーツの世界をよく識らないまま言うのだけれど、世界陸上などでは、欧米の選手の記録を楽しみに観戦する人も多いのではないかと思うのだけれど、どうも、「ニッポン!」じゃなきゃ、というのが腑に落ちない。
マスコミが煽ってるんじゃないか、と言う気もちょっと。
そこへ来てまた、暴れん坊知事がなんだかんだケチをつけるもんだからどんどんキナ臭くなる。

まぁ、散々繰り返されてきた議論で、そうそう簡単にどうにかなる物でもない。

暴論批判は覚悟の上で言えば、“国家の威信”を懸けて戦争するのも、競技するのも、“先進国”のやる事じゃないだろうと思う。
どこの国の人だろうが、頑張ったら褒美をやればいい。
IOCがちゃんと富を公平に分配できれば問題ないんだけどね。

むしろ、本当に「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」なら、選手の服装やそれはそれであり得ないミスをどうのこうの言う前に、自分が納めるべき税金の仕組みさえ理解していなかった、で済まそうとしている国辱モノの首相をどうにかしなきゃいけないんじゃないか。


で、ただ、今日はそのことが言いたいのではないのですよ、実は。

清水選手は、オリンピックの時だけ盛り上がるのではない、健全なスポーツ文化の確立、と言っている。

大事なのはそこだ。
「世界に勝てるレベルだから」育てよう、と言う論理はなんだか気味が悪い。
「世界に勝てないレベル」のマイナー競技は育ちようがない。
て言うか、“競技”じゃなくて“種目”と言っておこう。


で、このはなしは、スポーツだけの問題ではないのですよ。

「世界に通用するから」という理由でアニメに助成しようとか。
ノーベル賞をいくつ取るのを目標とか。

そんなことやるなら小学校の相撲大会に億単位でつぎ込めば外国人力士に席巻されるような事にならずに済んだはずじゃないのか。

世界的な規模の映画祭、音楽コンクール、文学賞……。
美術の世界でも、学問の世界でも、“賞”はある。

競い合うことが向上に繋がるならそれも良い。
運動会で競わないのはナンセンスだ。
褒美だってあった方が良いに決まってる。

しかし、一方で、全てのジャンルに等しく“賞”があるわけではない、と言うこともちゃんと心に留めておかないと。


科学でも文化でも、“健全”さを損ねているのは、実は、競争と助成だったりするんじゃないかと思っている。

何が必要なのか、と言うことの座標軸を見つめ直す事から始めましょうよね。

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